クリスマス(鏡・太/太・安・織/太・鷗)
「此れ、綺麗」
細かく装飾された硝子細工の覆い付き
「
降誕祭用らしく赤い色をした蝋燭に火を点けた後、何となく揺れる火を眺めていた太宰治は、いつの間にか横に立っていた泉鏡花にそう云いながら笑いかけた。
関係者全てが絶賛した、天使の羽やリボンと星飾りも可愛らしい降誕祭衣装を身に着けた鏡花は、太宰が蝋燭台の正面を譲るように動きながら向き直ると、じっと此方の顔を見上げてから蝋燭台に近寄った。きらきらと内側からの光で浮かび上がる細工を指差して「此の絵は何?」と頸を傾げる。
「それは聖書の一場面だね」
この降誕祭の主役である出来事を三人の人物が祝福している様子である。ざっくり説明すると納得したらしい。鏡花は頷いて礼を言った。そのまま炎の揺らぎで変化する硝子のきらめきを愉しむように眺め続ける。
改めて太宰も装飾を眺め、此れは敬虔な信徒の家庭にありそうな意匠だなと思う。おそらく舶来の品だろう。この街では比較的手に入りやすいだろうが、何故探偵社にあるのだろうか。
「其れねえ、何時だったか僕が依頼人に貰ったんだよ。ずっと此処の倉庫に仕舞ってあったんだけど国木田が覚えてたみたいで引っ張り出してきたの」
僕、すっかり忘れてたけどねー。欠伸交じりの声が後ろから内心の疑問に答えてくる。気に入ったから、と云ってトナカイの角をつけた江戸川乱歩がひょいっと間から覗き込んできて「へー」と声を上げた。
「絵は善く判んないけど光ってるのは善いね」
んー、と何事か問いかけるように鼻に声を響かせながら横目に此方を見上げた名探偵はあっさり云い放った。
「太宰、此れお前にあげる」
くるりと踵を返して去っていく背中を瞬きして見送った太宰は思わず鏡花と顔を見合わせた。
「……好き?」
蝋燭台を示して尋ねる鏡花に、曖昧に微笑んで「乱歩さんがああ仰られるなら有難く頂戴しようかな」と此方も曖昧に返す。
太宰の笑みと蝋燭台と乱歩の歩き去った方を順繰りに見た鏡花は胸の前で何か気合を入れるように胸の前で両の手を拳にしながら「敦にも見せて善い?」と尋ねてきた。頷くと乱歩の後を追うように招宴会場の中心に走って行く。
「……参ったね」
乱歩さんにああ云われてしまっては持っていくしかないじゃないですか。
『太宰君、降誕祭蝋燭は一晩中灯しておくものですよ』
記憶の中から掛けられた声に一瞬だけ目を伏せて、太宰は少女に手を引かれてくる敦にひらひらと笑顔で手を振った。
☆★☆
「降誕祭蝋燭?」
一応名称は知っていたが使い方は殆ど知らないも同然だ。
綺麗に切り分けられた
「ああ、織田作さんに別れ際に渡されたものですか?」
目の下の隈は凄いがちゃんと起きたらしいしっかりした声音に軽く肯定を返して、大体いつもの店で出てくるグラスと同じくらいの大きさと形状であるその蜜色の蝋燭を観察する。
側面の凹凸はどうやら簡略化した宗教画のようだ。さんけんじん、と心の中で呟いて太宰は安吾に向ってその蝋燭を掲げて見せた。
「これ、如何すれば善いんだい? 火を点けて置いておくの?」
「ええ……火を点けるなら直ぐにやったほうが善いですね」
と、堪え切れなくなったように大きく欠伸をして続ける。
「太宰君、降誕祭蝋燭は一晩中灯しておくものですよ」
妙に改まってそう主張されて、瞬きをした。
「何でだい?」
「降誕祭蝋燭はこの日に生まれ落ちた希望の灯の象徴です。そして彼の者を地上に遣わした天主の愛の象徴でもある。降誕祭蝋燭は見守ってくれるんですよ。大事な相手、家族とか恋人とか……友人とかを」
云いながらごそごそと丁寧に贈答品箱を開封して太宰が持つものとそっくりの蝋燭を手に取る。
「朝まで灯ってたらお守りになるそうですよ。本来は聖夜の夕方から火を入れるらしいですけど」
よく知ってるね! と誉めると「多分……子供の頃に外国の絵本で読んだんですよ……如何しても題名が思い出せないので」と眉間に皺を寄せて云う。
むしろ織田作之助の方が善く知っていたと云うべきなのだろうか。あの下級構成員は時々思いもよらぬ知識があることは重々承知していたのだけど。
俺のサンタ任務はまだ終わっていない、などと首領命令で構成員に贈答品を配っていた時より引き締まった表情で云った織田作が「二人とも善い降誕祭を」と何時もの無表情で箱を差し出してきたのを思い出しながら、太宰はふと気が付いて蝋燭の入っていた箱を逆さに振ってみた。
緩衝材と飾りを兼ねた紙くずと一緒に見覚えのある怪盗紳士が描かれた燐寸箱が落ちる。此方の行動を見て同じようにお馴染みの燐寸箱を見つけた安吾と顔を見合わせて、笑った。
「うわぁ……此れは私も中々恥ずかしい気分だよ、織田作……」
「少々照れくさいですね……」
この太さだ。多分外側がくっきり残って中の蝋燭の灯が透けて絵が見える、という仕掛けなのだろう。……蜜色のこの蝋燭は琥珀色になるんじゃないだろうか。意外な洒落モノだ。
安吾と同時に燐寸を擦って蝋燭の灯を点ける。思ったより小さな火をしばし眺めて、
「ねえ、安吾。お守りになるのは朝まで点いていたらなのかい? それとも起きた時で善いの?」
「……厳密には“朝起きた時”でしょうけど。点けたのも遅いですし起きた時で善いのでは?
夕方までに起きれれば、まあ燃え残っているのではないでしょうか。太宰君大丈夫ですか?」
「安吾の方が危ないじゃないかな。先刻は寝てなかった?」
「早く寝て、早く起きるんですよ。……“サンタクロースも来れないでしょう?”って。
ああ、本当に題名が思い出せないな……」
すました顔で西洋菓子を口に運びながらの言葉に、妙な文言を付け加えて宙に視線を彷徨わせていた安吾に、其れは絵本のお母さんかい? と聞こうとしたが変な気分になってやめる。そして気が付いてにやっとした。
安吾が食べている西洋菓子には有益な糖分も有害な酒精もたっぷり入っている筈だ。彼の寝不足の脳と体にさぞ効くだろう。
「ふうん、じゃあ私が安吾を起こしてあげるよ」
そう云って太宰は自分の皿に盛られた果物を口に頬張った。
翌日、手付かずになっていた咖哩の鍋を掻き回す赤毛のサンタに同時に目を覚ますのだが。
〈了〉
おまけ。
「やあ! 太宰君、メリークリスマス!!」
世間一般の勤め人たちは昼休憩も終わった頃だろう。欠伸混じりに本部に顔を見せた太宰治は、その瞬間真顔になって即座に執務室の扉を閉じた。
善し、自殺しに行こう。今日は寒波が来ているとかでホワイトクリスマスになるかもしれないとニュースで言っていた。川に入るのが佳い。最高のクリスマスは自分で演出しなければ。
高級な木材が衝撃に震えるうちにそう決めて、踵を返す。返そうとした。
「酷いよ、太宰君!!」
本部中に響けとばかりの大音声での抗議に、思わず執務室の中に押し戻す。後ろ手に引いて閉めながら、出来れば無かったことにしたかった相手の装いを確認した。
赤い三角錐の天辺に白い毛玉をつけた布の帽子、同じく赤い上着に赤いズボン、黒いブーツ。白い綿のような縁飾りを付けられたそれらは一言で表せば“サンタコス”と呼ばれるものだ。
その衣装はいい。この時期街中では頻繁に目にするものだ。
問題はその中身が泣く子も黙る(はず)のポートマフィア首領、森鴎外であることだ。
「何のお心算でしょうか?」
「わーん! エリスちゃーん。太宰君が恐いよー。反抗期だよー」
「何のお心算でしょうか?」
視線の温度を下げながら繰り返す。
「仮装して部下の部屋を襲撃しないでいただきたいのですが」
「ええー、ハロウィンで君もやったことじゃない。知ってるんだよ? その後本部のパーティーにも来てたよね?」
「知りませんね。何処の小悪魔が紛れ込んでいたのでしょうか」
「いやー、正しく小悪魔だったかもしれないねー」
即答で返すと、にこりと人好きのする笑みを浮かべて話題を流した鴎外はその地位に相応しく表情を引き締めた。サンタのままで。
「太宰君、君にたのm「お断りします」最後まで聞きなさい!」
「巻き込むなら中也にして下さい。断らないでしょう」
「紅葉君が放してくれないんだよー。無理だよー」
「姐さんですか……」
あの人から中也を取り上げるのは無理だろう。特にこんな明らかに遊びであろう用事では。
「何をするお心算で?」
「皆にプレゼントをする」
「……皆?」
「みーんな!」
どこまでの範囲か聞くと人差し指で天井から床までを示される。
太宰は半眼になった。
「構成員全員とか正気ですか?」
「勿論! 皆頑張ってくれたんだから平等だよ。鴎外サンタにとって良い子とは大事な部下たちの事なのだからね」
おお、今私良いことを云ったね。と自画自賛する鴎外に太宰は心の中で冷ややかに呟く。うざい。
「という訳で、此所にサンタとトナカイの衣装を三着用意してある」
「ネタ振りが明確すぎますね……」
「ちゃんと家に居るよう手は回しておいたからね。構成員のリストは安吾君に予め頼んでおいたから持ってるはずだよ」
「休ませてあげてください」
「当然明日はお休みにしてあげるとも。君にもあげよう。ここの仕事は代わりにやっておくからね」
「慎んで拝命致します、首領」
「その変わり身の早さは好きだよ」
この年のクリスマス、ポートマフィア構成員全てに訪れたサンタの正体は一応組織の機密である。
「こんなに大量の雑貨を良く用意したな」
「感心してるところ申し訳無いけど、此れはおそらく資金洗浄を担当しているフロント企業が、「其れは俺が聞いていい話なのか?」「不可ません。其れより疾く配り終えましょう。寝る時間がなくなります」
〈了〉
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