寒がり太宰さん③寒がり太宰さんと芥川君
らしい、と云ってしまえば確かにその通りであるのだが……それでもこの唐突さには戸惑う。
『やあ! 芥川君、元気かい?』
私物の携帯端末に表示された名前に大きな喜びと、其と同程度の緊張を覚えながら通話に応じた芥川龍之介は朗らかな元上司の声に心臓が凍りつきそうな程驚愕した。
聞いたことが無い訳ではない。ついぞ自分に向けられることが稀であったというだけである。
そんな余人に知られれば大いに憐れみを寄せられそうな裏事情で固まっていると電話口から聴こえる太宰治の声は怪訝そうに、しかし気のせいか微妙に揶揄いを含んで続いた。
『芥川君? 任務中だったかな?』
「否、問題在りませぬ。本日の業務は既に終えております故、」
今は別の組織に身を置く相手に告げると、小さく笑ったのが聴こえた。間違い無く知ってて云ったのだ。
『そう、今時間あるかい? 指定する場所に来て欲しい』
直ぐに続けられた市街地の住所に、脳裏で地図を展開しながら異能を使ってそれまでいた裏路地からビルの屋上へと移動する。最短距離を駆けながら芥川は太宰に告げた。
「三分でそちらに到着します」
『おや、速いね。 じゃあ私は店の中に居るから静かに入ってくるんだよ』
「は……」
短い返答を聴いたものか、早々に通話が切られた端末を私服の外套へ仕舞って芥川は内心首を傾げた。
(商店……飲食店か?)
マフィアの傘下にある店舗であれば、基本的に戦闘してはいけない場所として記憶している。太宰の云った住所は知らないものだった。それなりに人通りの多い道に面している筈だが。
その道に繋がる建物と建物の間、人一人が歩くのがやっとの細い路地に降りた芥川は数秒表通りの人の流れを見てその中に身を滑り込ませた。
電柱や覚えてるビルの住所から待ち合わせ場所の番地がどの方向に並んでいるか考える。
(この建物が……、あちらのビルの方が番号が若い。……なら向こうに……三軒ほど先か?)
足早に歩きながら横目で建物の壁に貼り付けられたプレートを確認して太宰の指定した住所を探す。
一分もかからなかったろう。そう苦労もせずに見付けたが……。
「……此処は」
飲食可能な休憩所が併設された全国展開の小売店舗、一般的にはコンビニと呼ばれる商業施設である。道路側の全面がガラス張りで明るい店中が良く見える。……此方の困惑が解っているだろうにヒラヒラと手を振る太宰も間違えようが無いほどしっかり視認出来た。
扉に貼られた【警官立ち寄り所】のステッカーを何ともいえない気分で眺める。
序でにその横の【防犯カメラ作動中】の文字も。……何も事件が起きなければ一定期間保存後に映像は破棄される筈だがマフィアの構成員、それも指名手配犯を探偵社員が呼び出すのに適当な場所なのだろうか。
(……僕が心配せずともあの人が此処を指定したのであれば大丈夫、なのだろう)
考えるのを放棄して自動扉の開閉ボタンを押す。
「おお、三分丁度だね」
レジに会計する客がいたのは幸いだった。特に注目も浴びず真っ直ぐ太宰の傍に向かった芥川はニコニコと機嫌良さそうに迎えられて、もう一度固まった。許容範囲を超えた動揺を覚えているが此処は目立ち過ぎる。ギリギリで自制して「……有難う御座います」と返した。
「呼び出しの用件は?」
「うん、此れだよ」
「……缶入りの珈琲飲料のようですが」
一瞬押し黙って観察したが、それ以外の物には見えない。
「先程、くじを引いたら当たってね。元々人数分買ってたから飲む人が居なくて」
社内に置いておけば飲む者が居るのでは。何となく絆創膏を貼った部下の顔を脳裡に浮かべながらそう思ったが、呼び出しの口実だろう其れに突っ込みはすまい。素直に受け取ってまだじんわりと熱い缶を手袋越しに握り込む。
未だ十月だが、今日は随分冷え込んでいたのにその熱が不快ではなかったことで気が付いた。
「探偵社の先輩が此所の限定季節菓子を突然御所望でねえ。敦君と一緒にお遣いにやってきたのだよ。敦君はお菓子を持って先に帰ったけど、会っておきたかったかい?」
「御免蒙ります」
「判ってたけど、即答だね!」
一瞬凶悪に眉と目尻が吊り上がっただろう。鏡を見なくても判る。
おそらく引いたくじは購い物の合計金額で付与される物だったのだろう。店内に告知が貼ってある。複数当たった物か、購入したものかは判らないが、可笑しそうに笑う太宰自身も未だ手付かずの缶珈琲を玩んでいる。
其れをするりと砂色の外套の衣嚢に滑り込ませ、店を出た太宰はふるりと僅かに身を震わせた。独り言のようにぼやく。
「むう、未だ十月だというのにこの冷え込みはどうしたことだろう。事務所は暖かいが下宿先は隙間風があってどうにも寒いのだよねえ……」
……そういえば、と思い出す。
此の人は真冬に薄着で平然と立っていたかと思えば、少し暖かいところに入ると途端に寒い寒いと騒ぎ出すようなところが有った。
彼の相棒は「此奴、体が冷てェからな。気温との差が出来てやっと気が付くんだろ」と云っていたが、今も変わらないのか。
「じゃあ、銀ちゃんに宜しくねー」
あ、広津さんにも! と告げて離れて行く太宰に最初からの戸惑いが抜けないまま、芥川は頭を下げる。
「……どうぞご自愛ください」
「ふふふ……君もね」
この類の挨拶はどうも此の人に云っていいものか悩みがちだが、含み笑いで受け取られた事に安堵した。片手上げて踵を返し、雑踏に紛れて遠ざかっていく蓬髪を見送る。
結局、缶珈琲を渡されただけで終わった。姿を見るだけでかなりの情報を彼の人は読み取ったであろうから、後々何かあるかもしれないが。
「兄さん?」
振り返ると目を丸くした銀が普段着で立っていた。
「早いな」
「ええ、首領が今日はもう帰っていいって仰るから。兄さんはこんな所でどうしたの?」
例え仕事で無くても表の通りを芥川が独りで歩くことは滅多にない。珍しがっている妹に「太宰さんに呼び出された」と一言説明し、ふと思い付いて手の中珈琲を渡す。
「お前に宜しくと仰られていた」
「……そう」
受け取った缶を掌で包みながら微笑んだ銀を暫し眺め、
「夕餉は外で摂るか」
提案に嬉しそうに相手が頷くのを確認した芥川は此の通りにある百貨店に目を留めて歩き出した。
何か体を冷やさぬ様にする物を購おうか、と考えながら。
〈了〉
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