寒がり太宰さん②炬燵

「むー」

炬燵の天板に頬を付け、太宰治は眠気に抵抗するように声を出した。社員寮の自室である。一人暮らしの部屋に反応する者はいない。頭上の天井や左右の薄い壁の向こうからは人の気配を拾えるが、話し声はめったに聞き取れないのでこの部屋からも同様だろう。判別可能な人の声で一番よく確認されるのは某兄の悲鳴だが此の寮の住人は皆即座に忘却する。

窓を木枯しが揺らしている。

「うみゅー」

剥き出しの米神に触れる隙間風に、不満そうに奇声一歩手前のうめき声を出した。一歩手前に踏み止まっているのは聞く者が誰もいないからだ。聞く者がいても突っ込みは受けないだろうが。

砂色の外套に覆われたままの肩を冷たい空気が撫でていった。

「………………」

ずりずりと天板から炬燵布団へ蓬髪に被われた頭部が下がり、ぐりんと半回転して床に落ちる。肩まで布団に潜り込んで長く息を吐いた。

太宰の長身では脚が反対側から全部出ていそうだが、どういう訳かそうなってはいない。彼の同僚か後輩が居たなら二度見して布団を捲りたい衝動に駆られそうである。

「………………」

元々どれだけ抗する心算が有ったのか怪しいが眠気への抵抗は止めたようだ。部屋の片隅で適当に畳まれた薄い敷き布団と、その良質さ故に浮きまくっている高級羽毛布団が泣いているだろう。


バチン


「!?」

遠くからの自動車の走行音と其を掻き消す寒風の音しか無かった狭い部屋に異音が響く。同時に目を開いた太宰は素早く……素早すぎてにゅるんと表現するような動きで炬燵から抜け出した。そのまま迷わず電源から配線を抜く。振り返ると天板に引っ掛かって捲れたままの炬燵の中から、目の錯覚と思いそうなくらい微量の黒煙が出ていた。

慎重に中を確認する。……赤熱する熱源部分の一部が黒く変色していた。焼き切れたようだ。

「………………」

沈黙する。思わず笑顔になったのは色々認めがたい現実への防御反応だろう。それ以外に理由が無い。

「……え……?」

無情な大きさではっきり窓が揺れた。



○●○


「お風呂出た」

「湯冷めしないようにね」

「ん」

中島敦は洗い物を片付けつつ、背後に視線を投げた。二人分の食器を片付け切る前に入浴を終えたようだが、ちゃんと温まったのだろうか。きっちり寝間着を着込んだ泉鏡花が、羽毛布団を背負った太宰が溶けた顔で収まっている炬燵に向かうのを確認して、最後の皿を水切り籠に置いた。手の水を切って、手布でふき取る。

「………………ん?」

違和感に一瞬動きを止め、勢いよく振り返った。

きょとんと蜜柑の皮を剥いていた鏡花が目を瞬く。その手前に蓬髪の頭が転がっていた。どうやら見間違いではなかったらしい。

「だ、太宰さん!? いつの間に……」

「やあ、敦君。お邪魔してるよ」

ふにゃあ、と書き文字を付けたくなるようなゆるゆるの表情でにっこり宣う上司に色んな疑問が浮かぶ。鍵は閉めてあったはずだよな、とかまるで気配がしなかった、等は今更この相手に聞く意味がない。敦は一言だけ尋ねた。

「何か御用ですか?」

「ちょっとしたトラブルに見舞われてね。部屋に居られないから一晩此所に置いて欲しい」

「……トラブル?」

敦が鸚鵡返しに呟くと鏡花が警戒するように窓の方を見る。陽が完全に沈んだ刻限から勢いを増していた強い風が窓の硝子を叩いていた。

「炬燵が突然壊れてしまったのだよ。まだまだ厳しい寒さが続くと云うのに何て悲劇だろうか!」

「……そうですか」

脱力しながら適当に相槌を打つ。鏡花が何事もなかったように蜜柑の小袋をひとつ口に運んだ。最初から平然といつの間にか部屋に存在する太宰も受け入れていたが、危険がないのなら問題ないと判断してるのだろう。いっそ貫禄すら感じる。

もくもくとどこか満足そうな面持ちで咀嚼する彼女の正面に敦も炬燵に潜り込んだ。

「直せなかったんですか?」

「熱源部分が完全に焼き切れている様子だったから無理だろうね」

あーあー凍死も時間かかるし、感電死や焼死なんかもっての他だ、などと愚痴を続けるのを曖昧に笑いながら聞き流す。焼死は上の部屋の敦達も巻き添えだ。勘弁して欲しい。

話の内容から夕飯を抜いている気配を感じて、微妙に眉間に皺を寄せて曖昧に相槌を打つ。

その気配が伝わったのだろうか。半分ほど残した房を手のひらにのせた鏡花がちょいちょいと蓬髪をつついて「食べる?」と首を傾げた。普通に積み上げてあったものを食べて無かったので食欲はないのだろうと思っていたが、勧められれば拒否はしないらしい。一度目を瞬いてはしゃいだ声で「わーい♪」と云いながら無防備に口を開ける。きらん、と鏡花の瞳が輝いた。

「ふむぐ!?」

「……成功した。ぶい」

抵抗を許さない素早さで持っていた全ての実を太宰の口内に押し込んだ鏡花が敦に向かって無表情のまま、探偵社の面々にしか判らぬだろうドヤ顔で指を二本立てた。先程余計に緊張させられた意趣返しだろうか。

あはは、と乾いた笑いを返しながら太宰の様子を窺う。少々涙目になりながらも普通に咀嚼していた。鏡花はまた蜜柑を剥いて、今度は最初に中の房をばらばらにする。

ひとつ自分の口の中に入れて、次の実は太宰の顔の前に摘まんで差し出していた。……任せても善さそうだ。

「……太宰さん、お茶飲みますか?」

もぞもぞと炬燵の中で足の位置を調整しながら電気湯筒をと茶器を載せた盆を引き寄せる。



ちょっと狭くなった炬燵の中で触れてる足はみんな暖まっているようだった。


〈了〉

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