パロ
おきつね太宰さんとちびとら敦くん
(あまいにおいでいっぱいだ)
森の中だ。
空は見えない。
(……おなかすいたな……)
甘い甘い薫りが辺り一面に広がっている。花か、水菓子だろうか。しかしここまで濃く、良い薫りのするものを敦は知らなかった。
(このにおい、どこからきてるんだろう)
くう、と小さく音を立てる腹を押さえて敦はきょろきょろと周りを見渡した。
まるでけもの道のように細く木も草も生えていない処を見付けて歩き始める。
まるで夏の朝露に陽の光が宿る様に、周りの全てが光を放っているが眩しくはない。
さらに言えば暑くも寒くもなく。此処の何もかもが、敦に優しい。そう感じた。
まるで木の根や石が自分でどいていってくれてるんじゃないか。そう思えてくるほど森の中のけもの道だというのに随分と歩きやすい。足の爪の出し方が下手ですぐ転んでしまう敦もこの森の中なら駆け回っても平気そうだった。
もふっ
「!??」
突然柔らかいものに頭から突っ込んで、慌てて抜け出そうともがく。
が、抜け出せない。柔らかすぎて手足が沈む。
「ふえ!? えっ?」
動揺してバタバタと暴れると余計に沈む。どこから出るべきなのかわからなくなってしまった。顔も全部この柔らかくてふかふかした何かに埋まってさらに混乱する。
(―あまい)
この森に満ちていた香りがはっきりと此処から流れてきていたのだと分かった。
「……君」
「わああ!?」
「急に現れて、
陸の上で
意味の全く分からない言葉と共にしゅるしゅると微かに体に擦れる音を立てながら、尻尾が動いてゆく。頭からつま先までをすっぽり包み込んでいた毛皮はそれこそ水の流れのように優しくあっさりと敦を解放した。ぽてりと落とされたのは地面ではない。さっきよりは沈み込みが浅い、尻尾の先の部分にのせられた。
「やあ、小さな虎くん」
にこりと笑うその顔を見上げてぽかんと目を見開いて固まった。見たことの無い生き物だ。ゆるく波打つ黒髪の間からは白くて大きな三角形の耳が生えている。同じく白の、光沢すらある立派な毛並みの尻尾を此処から見えるだけでも三本も従えたその姿は敦より年上の男性のようだった。自分の尻尾を丸めたその上で頬杖を突く彼は鳶色の目で瞬きして、敦の鼻を指でぶにゅっと潰してきた。
「ふあ!?」
「おや、生きてるようだね。ふふ、ひょっとして私に見蕩れていたのかい? この美貌とこの霊格! 無理もないけど、うん? それとも狐を見たのが初めてなのかな」
ぴん! と耳を立てて胸を張っていたかと思うと、じいと顔を覗き込んできた。
間近に迫った瞳からちょっと引きながら、聞き返す。
「きつねさん? ですか?」
「そうだよー」
楽しそうに相槌を打つ、その姿を改めて見つめる。
「しましまどうしたんですか?」
「しましま? ……ああ……狐には元々しましまはないのだよ、虎くん」
そうか……随分と箱入りなのだね、と何か考え込むように呟く。
機嫌の良さそうな笑みの消えた彼に、怒らせてしまったのかもしれないと不安に身をすくませると、すぐ此方に視線を合わせてにこりとしてくれた。ほっとする。ほっとすると同時に腹がまた鳴った。
「おやおや」
笑う背後の尻尾が揺れると空中から薄い紅色をした丸いものが沢山落ちてきた。もうすっかり嗅ぎ慣れたこの場所と同じ、甘い香りのする果実だ。一つ手渡される。
「食べていいよ、虎くん」
「え、ほんとうですか!? ありがとうございます、きつねさん! あ、ぼく、あつしです」
「あ」
ずっと“虎くん”と呼ばれていたので名乗ると、短い声を漏らして目を丸くした。
「?」
手元の果物から香るのは変わらないが、周囲の芳香が薄くなった気がして左右に視線を振る。まるで夢のように美しい景色はそのままだったが、……何だかはっきりしたような近づいたような感じだ。
「……私は太宰。太宰治だよ」
よろしく、敦君。
〈了〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます