らんぽたんおめ

「お早う諸君!」

 派手な音を立てて事務所の扉を開きそのままふんぞり返った人物に、その場の全ての人間の視線が集まった。

 本来であれば何事か、と戸惑うところだろうが……此処は武装探偵社である。

 即座に状況を認識し「乱歩さんお早うございます。お誕生日おめでとうございます」「おめでとうございます!」と声を上げる社員達に、機嫌良く高笑いを上げる江戸川乱歩の帽子がのった頭を見ながら、福沢諭吉はほっと息を吐いた。


 誕生日を迎えた者を『今日の主役』と云い表す風潮が有るらしい。

 正直、乱歩が其れを云い出したとすれば「お前は常に主役の振る舞いをしてるだろう」と云わざるを得ぬところだが、この稀代の名探偵は既にその世間一般の流行を飛び越えている。

 曰く「いやあ、この奇蹟の存在がこの世に生まれた日だよ! 最早世界にとっての記念日だよね! 常日頃から僕を讃えてる皆ももっと特別にお祝いしても良いよ!」とのことだ。

 其の能力を認め、十二年の歳月の間に其の性格を諦め受け容れた福沢には「……そうだな」以外返す言葉が無かった。


 この麒麟児きりんじが甘味を周囲の者にねだるのは常のことではあるが、本日の其れは『特別』に重きを置いているようだ。

 生真面目さが滲み出てるような銘菓の化粧箱や乱歩用に育てたらしい蜜芋みついもの詰まったかごを眺めて、福沢は昼飯を摂るまでもなく腹が膨れたような気分になりながら、乱歩と他の社員を見守っていた。

 白い髪の少年と和装の少女が西洋菓子ケーキの紙箱を乱歩に渡す。

「すいません……あんまり凄い物は用意出来なくて……鏡花ちゃんと作ったんですけど」

乾蒸餅ビスケットの西洋菓子。乾蒸餅を猪口冷糖乳脂泡チョコレートクリームで包んで固めてある」

 ――甘味の最終兵器か……? 側で聞いていた福沢は密かに胸焼けを起こして引いたが、普段から駄菓子を食べ続けることの出来る乱歩は気に入ったらしい。その場で開けて中身を確かめている。

 形は簡素であるが艶やかな黒の西洋菓子の表面に眼鏡を掛けた人物と祝いの言葉、虎と兎らしき絵が添えてあった。愛らしい。

「社長、食べたいの?」

「……大事に食べなさい」

 多少興味を惹かれて覗き込んでいたがお裾分けはやんわりと遠慮した。猪口冷糖以外に蜂蜜の香りも強かった。よしんば口に入れられたとしても呑み込める気がしない。

招宴パーティーまで冷蔵庫に入れておきましょうね」と春野が箱ごと下げるのを見送って、幻影使いの青年とその妹が近付いてくるのを確認する。どうやら贈答品プレゼント西洋寒天ゼリーのようだ。「毎年のことだがデザートが多い招宴になるねえ……」と女医がぼやいているのが聴こえた。

 ……何時ものこと、と云えばそうだが一人足りない。

「んー」

 此方を見て小さく思案するような声を上げた乱歩が、にやっと笑った。

「後二秒」

「?」

 福沢が僅かに首を傾げるとほぼ同時、本日二度目の勢いよく事務所の扉が開かれる音が響き渡った。

「乱歩くーんッ」

 絶叫、と云うには声が小さい。頑張ったのだろうが、集めた注目にひいぃと怖気づいたその青年はそそくさと入り口の壁に隠れてしまった。入ってこない。

 その場の全員が開きっぱなしの扉を見たまま沈黙する。

 はあーと溜め息を吐いた乱歩が、福沢の腕を掴み歩き出した。

 今年の祝いの品は何が良いか尋ねた際に「その日はずっと僕の相棒で居なきゃ駄目!」と云われたが、片時も半径一米から離さないつもりのようだ。

 相棒と云うなら十二年前より常にそうだろうと思うのだが、此れにも『今日』と『特別』に重きを置いているのだろう。

 事務所から共用の階段部屋に出て、来訪者の青年を発見した。

 ここ最近有り難くも乱歩の友人のようになっている彼、エドガー・アラン・ポオは壁に寄り添って蹲り「無理、無理であるー吾輩には無理であるー」などとぶつぶつ呟いているところであった。対人恐怖症らしいのは把握していたが、その様子以外に違和感を感じる。

 アライグマがいない。

「あっ、乱歩く「ん」……カールが拐か「設定だろ。ん!」……前振りくらいちゃんとやらせて欲しいである!」

「失敗してたじゃないか! 面倒だなー。ほら早く最初の謎を渡しなよ!」

「ぎゃー!! うう……酷いである……」

 彼の目前に掌を出して何やら要求していた乱歩が焦れてポオの懐に入れてあった白い封筒を奪いとる。泣き崩れるポオと我関せず即座に封を切って中の手紙……アラビア数字の羅列に目を通す乱歩の会話に、福沢は薄ら事情を悟ったが、黙って説明を待つことにした。

 物見高く周りに集まった調査員達も大体事態を推測できたのだろう。好奇心に目を輝かせている者もいれば、予定が崩れ去った事に顔を覆う者もいる。

 彼らの注目を浴びながら、手にした紙をヒラリと振った名探偵は事件に挑む時の好戦的な笑みを浮かべていた。

「此れ、本当に僕が注文した通りの難易度になってるの?」

「むう……乱歩君にそう云われると不安になるであるが……個人であれだけの仕込みを熟せる者もそうそう居ない故、ついつい楽しくなって、思い付くままネタを詰め込んだである。正直実行役の負担が大きすぎて心配なのであるが」

「ふうん……彼奴のことだから半分は解いても外れの謎を仕込んでそうだな」

 にやにやしながら数字の羅列にしか見えない手紙を見せびらかし、やっと周囲の様子に目を向けた。

「……じゃ、前振りやっていいよ。僕以外には結局具体的に何をするのかはっきりわかってないみたいだからね!」

「……まだ人目が多いである……」

 ぼそぼそと文句を云いながらもしっかりやる気であるようだ。袖口から細い紙を引っ張り出して小さな字を確認し、両手を地面に付いて嘆きを表現する体勢をとった。

「吾輩の愛するアライグマ、カールが謎の怪人Dに攫われたのであるっ。嗚呼っ可哀想なカール……今頃、もふもふ、もふもふっと陵辱の限りを尽くされているに違いないであるっ。武装探偵社に救出を依頼するのであるっ」

 ずるぅと数名の調査員が脱力した気配がしたが、此れは間違いなく我が武装探偵社以外には攻略不可能の超高難度謎解き遊戯ゲームだろう。誕生日の贈答品とはいえ友人と後輩に随分無茶を云ったようだ。

「おや、じゃあ皆出かけるんだねぇ」

 面白そうに状況を伺っていた与謝野晶子が事務所の中から声をかけてくる。

「乱歩さんなら心配ないだろうが招宴迄には帰って来るんだよ。妾が腕によりをかけて料理してるんだからね」

 にいっと調査員を見渡して付け加えた。

「もし遅れる奴がいたら鉈持って迎えに行ってやるよ。食いっぱぐれさせやしないから安心しな!」

 とんでもない時間制限が付けられた。……皆顔が蒼くなったが気合いが入ったことだろう。

 余裕綽々の笑い声で彼女の激励に応えた乱歩に付いて建物の外に出る。

 この一年弱で倍に増えた調査員が後ろに並んでいく。ふと此方を見上げる乱歩と目が合った。自然に口が開く。

「では行くか、乱歩」

「うん! 行こう、福沢さん!」

 まるでその瞬間、世界中から祝福が降ってきたかのように笑って両手を広げる乱歩が、福沢の背後に「さあ、全員付いて来い!」と号令するのを聞きながら、安堵とも笑い声ともつかない息を吐いて、福沢はヨコハマの秋空を見上げた。


〈了〉

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