日常

だざいさんはモフりたい(敦・太・国)

「敦君をモフりたい」

「……は?」

 突然何を云い出すのだろう、この人は。

 通常運転と言えばそうなのだが、周りを引っ掻き回すろくでもない行動パターンである。

 心持ち座席ごと引きながら聞き返した中島敦を、机に頬を付けたまま見ていた太宰治は不満そうに唇を突き出した。

(うわぁ、めんどくさい……)

 仮にも上司で恩人であるはずの相手に対して容赦ない感想が心に浮かんだが、直ぐにため息に変わった。どのみち付き合う以外の選択肢がないのだ。

「……おい、敦。諦めるな。この頓智気騒動の発生源にいちいち取り合うな。―太宰ッ、貴様いい加減に仕事をせんか!!」

 太宰の向かい合わせの席からぬっと立ち上がった高身長の男―国木田独歩が上半身を大きく乗り出し、太宰の蓬髪に覆われた頭を鷲掴みにしてぐりぐりと机に押し付ける。……簡単に脱け出せそうに見えるのだが、悲鳴があがったあたりそうではないらしい。プロレスのマットのごとくバンバンと机が叩かれている。

「降参! 国木田君、降参!! 待って!? 私もう十分此の机と仲良しだから……!! 此のままでは永遠に離れられなくなって仕舞うよ!」

「戯けたことを抜かすな! 勤労の時間に頬を付けておくような怠惰な関係はおよそ真っ当な会社員とその机の交際とは言えん! 友好を結んだと公言するならばまず姿勢を正し、誠実なる勤労奉仕を以て、机が机足る尊厳を全うせしめるべきだ! つまりは、さっさと、溜まってる書類を、片付けろ!」

「国木田さんこそ付き合いがいいですね⁉」

「当たり前のことしか云っていないが?」

 真顔である。

 思わず解放されて姿勢だけは机との真っ当な交際関係を築けるようになった太宰を振り向くと、此方は見事なアルカイックスマイルだった。

(ツッコミ無用……)

 悟って自分も机への友好的アプローチを試みる体勢に戻りながら、ちらりと国木田を伺うと一仕事終えたという、心持ち満足げな表情で席に座り直していた。

 何となく神妙な気分になりながら、こちらも妙に大人しく隅の方に追いやられていた報告書を中央に引き寄せている太宰を見る。

 国木田には申し訳ないのだが、正直なところ後で蒸し返される方が面倒だ。小声で話しかける。

「ていうか、何だったんですか。あのー……モフりたいって」

「おや、善いのかい?」

 ぱちりと瞬きをして愉しそうな含み笑い。

 視線が示す先には再び眉間の皺が寄った国木田が眼鏡の奥からこちらを見ている。

(うわああ…ごめんなさい!)

 心の中で全力で謝りながらちょっと早口で「だって、忘れたころに何か仕掛けられても困りますしッ」と言うと、こめかみを揉みながら無言で手元の書類に目線が戻った。

 さっさと済ませろは思っているだろうが……許容されたようだ。

「……そのままだよ、敦君の虎の毛皮を触ってみたいと思ったのさ」

 国木田の様子にちょっとつまらなそうになった太宰が答える。

 叱られたいのかこの人は、と思いながら敦は首を傾げた。

「……触ったらそのまま異能が解除されますよね?」

 一撫でする暇もないだろう。

「おそらくね。国木田君の独歩吟客で出した道具やQの人形のように一度発動されたら異能者から離れても存在し続けるものなら触れていられるんだけれど」

 異能無効化と云っているけど、根本的な機能は“発動を阻害する”なのだよね、と首を傾げながら続ける。

「敦君は、虎化している間はずっと能動的に異能を発動している状態だろう? 触れれば即座に“発動の阻害”が成されてしまうね」

 だからモフれない~、などと無駄に哀愁が漂った表情で首を振ってみせた。

「何と云うかね、大型の肉食獣だしぱっと見すごく剛毛そうに見えるのだけど、ひょっとしたらこの世のものとも思えぬくらいの極上の毛皮なのかもしれないとふと思い至ってね。此の頬を親しく寄せるなら冷たく固い天板よりも、魅惑のモフモフが佳い。そんな当然の欲求が口から零れ落ちてしまっただけだよ」

「……貴様は自分のサボりにもいちいち敦を巻き込まずにはいられんのか!!」

 途中の異能の説明は興味深そうに耳を傾けていた国木田が雷を落とす。

 何だかどっと疲れた気分になりながら、自分の腕を見た。毛皮の状態とか気にしたこともない。というか出来るような状況だったことがない。

「僕、全身牛乳石鹸で洗ってるのでゴワゴワだと思いますよ」

「敦君の状態ってそんなに細かく変身後の虎に反映されるの?」

「……されないかもしれません」

 こて、と首を傾げた太宰と同じ方向に自分の頭も傾けて、疑問符を浮かべた。

 敦自身がどんな状態、それこそ手足が千切れていようが虎の方は固定の性質で現れていたような、気がする。

「そこで揃って首を捻っていても仕方がないだろう。手だけでも変化させて確認すれば済むことではないか」

 眉間のしわを深くした国木田にそう言われてもう一度視線を落とす。出来るだけ虎の前足に近い状態の方が善いだろうか。

「おお、敦君器用になったね」

「あ、両方とも虎の足にしてしまいました!」

 太宰は完全な虎の足になったことを褒めて呉れたようだが、両手とも毛皮と肉球では触れても感触が分からないではないか。片方だけ戻そうとして、どうも出来るような感覚がしないことに項垂れた。

「ほら、猫が顔を洗うみたいにしてみればいいじゃない」

 ニコニコとしながら言う太宰に眉を八の字に下げながら虎の前足を持ち上げる。なんというか実物大? だ。顔と同じくらいの大きさがある。

 片目を閉じながら顔の半分に当てて動かす。

(うーん、何と云うか)

「どうだい敦君、モフモフしてる?」

「モフモフ、とはしてないですね。思ったより柔らかい気がしますけど」

 とりあえずとても顔の汚れは取れそうだ。毛がしっかりしていているのか、何だかすべすべしてる気がする。

「……それって……天鵞絨のような、と例えられる感じじゃないかい? ……むう、……あーやっぱり自分で触ってみたい!」

「仕事に戻れ!」

 再び机と怠惰な関係を築こうとする太宰を怒鳴りつける国木田の声を聞きながら顔全体を拭ってしまうと、虎化を解いて仕事に戻る。隣から小さく「あ、写真撮るんだった……」と呟かれたのは流石に無視することにした。


(了)

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