与謝野先生おたおめ

 樹木の姿を模した西洋菓子ケーキに容赦なく白いフォークが突き刺さる。削られた猪口冷糖チョコレイトの樹皮をポロポロ落としながら分け取られ、口の中に運ばれた欠片は少々大きかったようだ。口の端に付いた乳脂泡クリームをちろりと舐め取っていくのを、温葡萄酒グリューワインを口に含みながら眺めていた与謝野晶子は、その相手が首を傾げたのに目を瞬いた。

「与謝野さん、それ美味しい?」

「ああ、やっぱり屋台で楽しむのは格別だよ。乱歩さんも呑むのかい?」

 彼が酒の味を気にするなど珍しい。じんわりと熱を伝える器を掲げてそう聞くと江戸川乱歩はあっさり「いや、僕はいいよ」と断った。

 ではどうしたというのだろう、と脳裏に言葉が浮かぶ前に答えが返ってくる。

「にこにこしてたからさ」

 云われて与謝野は、はっと笑いの混じった吐息を温葡萄酒の香りの中に混ぜた。湯気と一緒になって赤や緑の光の中に消える。

「だろうねえ、とても楽しいよ」

 今度ははっきりと含み笑いを聴かせて、周りを見渡す。

「気にしてくれて有り難いね。乱歩さんも温かいものを食べたらどうだい? 購ってくるよ」

「だーめー、今日は全部僕が出すの! 誕生日贈答品プレゼントだって云ったでしょ」

 膨れる名探偵が可笑しい。

「じゃあ沢山西洋菓子と葡萄酒を購って貰おうかねェ。皆待ってるんだろう?」

「そうだよ」

 与謝野が自分が事務所から連れ出された理由を察していることに気付いていたのだろう、さらっとこの後未成年組が用意してる隠しイベントを肯定した乱歩は、食べ終わった西洋菓子の容器を回収箱に入れて付け加えた。

「でもこれはデート」

「ん?」

 きょとんと「さっきの店の西洋菓子は中々善かったな。早めに購っておこうよ」と早口で続いた言葉と共に差し出された手のひらを暫し眺め、恐る恐る葡萄酒で温まった自分の手をのせる。ゆっくりと包んでくる体温に微笑みが零れた。

「あー……乱歩さん、有難う」

「僕の台詞」

 振り向かずに告げられた言葉に今日1番の笑い声を上げて、与謝野は晃々と輝くヨコハマの街を手を引かれて歩いた。ヤドリギの飾りにふと目を留めながら。



〈了〉

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