社長おたおめ

「随分久し振りな気がするな」

ふと差し向かいで手酌を楽しむ福沢諭吉が誰に云うでもなく呟いた。

「そう?」

半分の時間は未成年だったといえ長い付き合いだ。甘いものを好む江戸川乱歩が注がれたお猪口一杯の日本酒を舐めるようにゆっくり干す前でこうして無言で杯を重ねるのももう何度目だろうか。

勿論、正確な回数もなんだったら日時も乱歩であれば上げられたがそれは野暮だろう。福沢の言葉に込められていたのは感慨だ。久し振りという言葉は福沢の中のその気分の違いにかかっていただろう。

今日は彼の誕生日だ。……無論良い年なのでそれ自体に重きが置かれてるわけではない(……と、いうわけではないような気がしたのだが、断定はしない。乱歩ももうそんな無遠慮な子供ではない積もりだ)が、周囲から祝福されれば何か感じるものがある。喜びだけ感じてくれれば善いのにそうではないのには探偵双人の片割れとしては溜め息を吐きたくなるが、まあそれも野暮になるだろうか。

福沢の感慨にあえて踏み込まず杯を傾けて冷たい炬燵の天板に頬を付けた。

空になったびーどろの深緑から翡翠へと色を変えるモダンな意匠のお猪口を指でつついて弄ぶ。透明な縁がきらりと光を弾くのが実に乱歩好みである。全く同じ意匠のお猪口と徳利が福沢の手にあるが和風の落ち着いた雰囲気にもその色彩で溶け込み違和感はない。よく見付けたものだ。

認めた序でに乱歩以外にとって何時置かれたか全く分からないように社長室に残されていた祝いの品の贈り主であろう後輩に、心の中で(バーカ)と評価を下しながら欠伸をする。もっと正確に評価するならあの後輩はわざわざ其れをこの名探偵に云わせる手間をかけさせないくらい出来る男だが、その事自体を含めて“やっぱり莫迦”になる男である。というか別の手間はかかっている。毎年新年会兼社長の誕生日会(いちいち注釈も必要はない気がするが実質飲み会)に姿を見せない国木田曰く不届き者を、まともな新年行事が初めてだという新人の社会勉強(お節介の御人好し揃いである)に年越しから神社行事にまで巻き込んでそのまま例年より早い新年会に雪崩れ込み、逃がさなかったという手間だ。乱歩は仕切り役に社長の誕生日は各自贈り物だけして宴会は新年行事に纏めて仕舞えと提案してやっただけだが中々の手間だ。いや、逃げる素振りは今回全く無かったので手間は減ってるが……やっぱり莫迦だ。

乱歩にとって此の世界には莫迦しかいないが、あの莫迦には其の結論に至るまでの思考手順がやたらと増える。

お猪口の縁を指で押さえつけてぐるぐると回す。反射する光と薄く色付いた影を捏ね繰り回すように遊ばせた。

「皆で宴会するのも善いが……、こうして昔のようにお前と二人きりというのは落ち着くな」

「じゃあ来年もこうしようよ」

暫く沈黙して自分の感慨をそう処理した福沢に反射で応える。乱歩の興味から解放されたびーどろが涼やかに音を立てた。

この人は何故自分の誕生日にまで乱歩の欲しいものをくれるのだろうか。

勢いよく上げた頭がくらりと酩酊したために、ぽてと元の位置に戻る。

「ふくざわさんありがとー」

「此方こそ。又一年、頼みにするぞ」

閉じそうな目と回らなくなった口を頑張って動かして云うと、更に欲しい言葉と羽織が降ってきて―乱歩は(ずるい)と脳内で返しながら眠りに落ちた。


〈了〉

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