第8話 約束①

「ぎゃー、寝坊したーっ!」

 早朝のきりしま家に、絹を裂くというには程遠い、ひめの叫び声が響き渡る。

 はやはその声を聞きながら「またか……」とつぶやき、あきれた顔のまま長方形の卵焼き用フライパンで、器用に卵をひっくり返していた。

 作っているのはだし巻きたまご。かつおぶしがしっかり効いた、隼人の得意料理の一つである。もちろん宴会でのお墨付きだ。冷蔵庫の掃除がてらに刻んだ水菜が入れられているのはごあいきよう。しかしこれはこれで食感が楽しくなるので、隼人本人は気に入っていた。

「もー、どうして起こしてくれなかったの!」

「いやだってほれ、時計」

「もう7時半回ってんじゃん!」

「余裕だろ?」

「ダッシュしても……って、そっか。そうだった」

「向こうと違って、学校近いだろ?」

 寝癖がまだ付いたままの姫子は、テヘりと小さく舌を出す。

 急な引っ越しに思うところはある。しかし登校時間が大幅に削減されたのは、素直に喜ばしいところだった。

「おにぃ、それなに?」

「弁当だよ。昨夜の残りにだし巻きを加えただけだけど。昨日、購買や食堂を見てちょっとな……」

「あーうん、そういうこと。で、時におにぃ様?」

「はいはい、姫子の分もあるぞ」

「さっすが、わかってる!」

 隼人は昨日の人だかりに薄ら寒いものを感じていた。

 全員が食べ物に向かって殺到する様はさながら合戦である。

 それは都会の学生にとっては慣れたものだろう。しかし田舎者の隼人はそんな訓練を積んでいない。たまにならともかく、隼人は毎日あの戦場に突撃する勇気は持ち合わせていなかった。それはきっと妹も同じだろうと思い、あらかじめ2人分用意していたのである。

 隼人は割と、世話焼きなところがあった。

 時間に余裕があるとはいえ、さほどゆっくりしていられるほどでもない。

 手早く朝食と準備を済ませ、隼人と姫子は同時に家を出てカギをかける。

「暑い……」

「あっつ……」

 そして外に出た瞬間、兄妹そろって同じ台詞せりふを吐き出した。

 田舎と違ってき出しの地面は無く、敷き詰められたアスファルトが熱を蓄えている。日差しを遮る木立も皆無で、初夏の太陽がこれでもかと肌を焼く。

 つきと違い、この街は体感温度がやたらと高い。兄妹は朝からげんなりした気分のまま通学路を歩く。

「じゃ、あたしこっちだから」

「おぅ」

 途中で姫子と別れた隼人は、田舎の涼しさを恋しく思う。

 人の多さと緑の少なさが、いやおうなしに新天地に来たことを意識させる。

 望んで来たわけではない。馴染むには、まだまだ時間が掛かりそうだった。

(あ、そういえば)

 田舎のことを考えていたからか、気になることを思い出す。

 昨日、月野瀬のことを連想させられた、校舎の裏手にあるうねの作られた花壇である。

 ズッキーニの花は朝に咲く。そして昼過ぎにはもうしおれてしまう。

 だから、朝の内に受粉させなければならない。

 脳裏に浮かぶのは、一所懸命だけどあわあわしてばかりの女の子。

(大丈夫かな……)

 校門を通り過ぎた隼人は、気付けば足が花壇へと向かっていた。「ぎゃー、寝坊したーっ!」

 早朝のきりしま家に、絹を裂くというには程遠い、ひめの叫び声が響き渡る。

 はやはその声を聞きながら「またか……」とつぶやき、あきれた顔のまま長方形の卵焼き用フライパンで、器用に卵をひっくり返していた。

 作っているのはだし巻きたまご。かつおぶしがしっかり効いた、隼人の得意料理の一つである。もちろん宴会でのお墨付きだ。冷蔵庫の掃除がてらに刻んだ水菜が入れられているのはごあいきよう。しかしこれはこれで食感が楽しくなるので、隼人本人は気に入っていた。

「もー、どうして起こしてくれなかったの!」

「いやだってほれ、時計」

「もう7時半回ってんじゃん!」

「余裕だろ?」

「ダッシュしても……って、そっか。そうだった」

「向こうと違って、学校近いだろ?」

 寝癖がまだ付いたままの姫子は、テヘりと小さく舌を出す。

 急な引っ越しに思うところはある。しかし登校時間が大幅に削減されたのは、素直に喜ばしいところだった。

「おにぃ、それなに?」

「弁当だよ。昨夜の残りにだし巻きを加えただけだけど。昨日、購買や食堂を見てちょっとな……」

「あーうん、そういうこと。で、時におにぃ様?」

「はいはい、姫子の分もあるぞ」

「さっすが、わかってる!」

 隼人は昨日の人だかりに薄ら寒いものを感じていた。

 全員が食べ物に向かって殺到する様はさながら合戦である。

 それは都会の学生にとっては慣れたものだろう。しかし田舎者の隼人はそんな訓練を積んでいない。たまにならともかく、隼人は毎日あの戦場に突撃する勇気は持ち合わせていなかった。それはきっと妹も同じだろうと思い、あらかじめ2人分用意していたのである。

 隼人は割と、世話焼きなところがあった。

 時間に余裕があるとはいえ、さほどゆっくりしていられるほどでもない。

 手早く朝食と準備を済ませ、隼人と姫子は同時に家を出てカギをかける。

「暑い……」

「あっつ……」

 そして外に出た瞬間、兄妹そろって同じ台詞せりふを吐き出した。

 田舎と違ってき出しの地面は無く、敷き詰められたアスファルトが熱を蓄えている。日差しを遮る木立も皆無で、初夏の太陽がこれでもかと肌を焼く。

 つきと違い、この街は体感温度がやたらと高い。兄妹は朝からげんなりした気分のまま通学路を歩く。

「じゃ、あたしこっちだから」

「おぅ」

 途中で姫子と別れた隼人は、田舎の涼しさを恋しく思う。

 人の多さと緑の少なさが、いやおうなしに新天地に来たことを意識させる。

 望んで来たわけではない。馴染むには、まだまだ時間が掛かりそうだった。

(あ、そういえば)

 田舎のことを考えていたからか、気になることを思い出す。

 昨日、月野瀬のことを連想させられた、校舎の裏手にあるうねの作られた花壇である。

 ズッキーニの花は朝に咲く。そして昼過ぎにはもうしおれてしまう。

 だから、朝の内に受粉させなければならない。

 脳裏に浮かぶのは、一所懸命だけどあわあわしてばかりの女の子。

(大丈夫かな……)

 校門を通り過ぎた隼人は、気付けば足が花壇へと向かっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る