第26話 勇者の心
クリュスカの長話を、ニコはほとんど聞いていなかった。歯を食いしばり、全身を苛む痛みに耐えながら、身体を休め、湧き上がる魔力を掻き集めて、どうにかこの腐れ外道をぶち殺す方法を考えていた。
絶望などしていない。恐怖もない。あるのは激しい怒りと、みんなを助けなければという強い使命感だけだった。自分にはその力があるとニコは信じていた。クリュスカが言っていたではないか。勇者ロッドは神をも殺して見せたと。なら、その子孫である自分が、ただの悪人一人殺せないでどうする? 僕にはその力があるんだ。絶対に諦めたりなんかしない!
一方で、絶望的な状況である事も分かっていた。全身傷だらけで、血を流しすぎている。両膝は砕かれ、左腕は使い物にならない。全身が疲労して、物凄く痛いのに気を抜けば眠ってしまいそうだ。それでも、胸の奥から沸き上がる魔力はニコに勇気を与えてくれた。そこから魔力が湧き出る限り、自分はまだ勇気を失っていないのだと信じられる。
「はっはっはっは! 凄いねニコ君。君は本当に勇者の心を持っているらしい。この状況でも諦めていないなんて。でも、僕の不意を突きたいんだった、魔力は隠しておくべきだったね。そんな見え見えの状態じゃ、僕を用心させるだけだ」
ニコの位置からクリュスカは遠い。手負いの獣を相手にするように、彼は不用意に近づこうとはしなかった。その上に、いつでも身を守れるように、そばにはロリカを立たせている。
「楽しいなぁ。実に楽しい! どこまでやったら君の心を折る事が出来るんだろうね? 四肢を落されたら、流石に君も絶望するかな? あるいは、人質を全員殺したら? 守る相手がいなくなったら力を出せなくなるんじゃないかと思って生かしておいたけど、もう充分堪能したし、試しに殺してしまおうか」
「……その前に、お前を殺してやる」
身体を起こすと、ニコはクリュスカを睨んだ。愛らしい顔は壮絶に歪み、目には視線だけで人を殺せそうな殺気に満ちている。
そんなニコを、クリュスカは鼻で笑った。
「やってみたまえ。出来るものならね」
見せつけるように右手を上げ、クリュスカは指を鳴らした。
「やめろおおおおおおおお!」
ニコが叫ぶ。
助けないと。
なのに、身体は動かない。
哀れな少女の骨を抱いた甲冑が鎖を伸ばす。
「……おや?」
不思議そうにクリュスカが視線を下げた。
一本の鎖が、彼の腹を貫いている。
それ以外の全ての鎖が、吸い寄せられるようにして甲冑に引き戻された。
「……そんな事はさせない!」
震える声が響いた。
「……アルマさん?」
ニコが呆ける。
血まみれになって倒れるテレーゼの隣で、アルマが右手を掲げていた。金色の目が眩く光る。突きだした手の先にはロリカが立っていた。
「ほら……ね……出来たじゃないですか……」
足元のテレーゼが蚊の鳴くような声でアルマに言った。
「……まいったな。魔術に関しては素人同然だと思っていたんだけど。僕の死霊術を模倣して操作権を奪うとは。魔王の力というのは恐ろしいね」
腹を貫かれても、クリュスカは平然としていた。冷静に、ロリカへと左手を向ける。
「さぁ、力比べと行こうじゃないか。付け焼刃の死霊術で僕に勝てるかな?」
クリュスカの腹を貫いていた鎖が甲冑の中に戻る。
教師の皮を被った悪魔は振り返ってアルマと対峙した。
ロリカの伸ばした鎖がテレーゼの額を狙う。
「ッ!?」
アルマの瞳が輝きを強め、鎖が空中で静止する。二人の力で操作され、鎖は困惑するように身悶えた。
「どうした? その程かい? それじゃあお友達は守れない。君の力が足りないせいで死んでしまうよ」
「くっ……ぁ、ぁ、ぁああ、よせ、やめてくれ……」
アルマは必死に力を送るが、鎖はじりじりとテレーゼの額に近づいていく。
「いいねぇ。実に良い。教え子が必死に頑張る様を見るのは教師の喜びだよ。失敗し、絶望する姿を見るのはもっといい! ははははは、ははははははは!」
「だめ……押し切られる……テレーゼ……逃げて……」
「こっちを見ろ!」
声に出したのは、クリュスカの気を引く為だった。
猛スピードで近づく声に、クリュスカはハッとして振り返った。
全力で強化した右腕で床を叩いて飛んだニコが、すぐそこまで迫っている。
「――ッ!?」
クリュスカの張った防御魔術を突き破り、ニコの拳が顔面を捉える。
凄まじい破壊力に、首は折れ、拳が深くめり込んだ。そのまま、床に向かって拳を振りぬく。クリュスカの身体は勢いよく半回転し、脳天から突き刺さるように床にぶつかった。
勢いのままニコは吹っ飛び、受け身も取れず落下する。
確かな手ごたえを噛み締めると、ニコの意識は闇に沈んだ。
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