第23話 医術士の責任

「……どうしよう……私は……どうしたら……」

 ロリカと戦い始めた二人を遠目に見て、アルマは慌てていた。どういう訳か、自分だけが無傷である。わざとなのか、たまたまなのか。理由など、見当もつかない。とにかく、無傷なのだ。なにかしなくてはと思うが、なにも浮かばない。いや、浮かびはする。ニコ達に混ざって戦う事だ。だが、そんな事をしてなんの意味がある? たいして強くもないくせに、足手まといになるだけだ。だからと言って、ここで見ている事しかできないのか? そんな思考のループに迷い込み、ただ意味もなくおろおろしている。

「ぐぅ、くぅっ、切れろ……切れろってばぁ!?」

 がしゃがしゃと鎖の鳴る音と共に、テレーゼの声が背後で響いた。

「テレーゼ!? 何をしているんだ!?」

 振り向いて、アルマは目を疑った。テレーゼは腹を貫く鎖を両手で掴み、引き千切ろうともがいていた。鎖が揺れる度傷口から血が滴り、苦痛に顔が歪む。

「見て分かりませんか!? 鎖を……くぁ! 千切ろうと、してるんですよ!?」

「止さないか! そんな事をして、死んでしまうぞ!?」

「そうですよ! この傷は致命傷じゃないけど、放っておけば出血多量で死んでしまいます! そんな怪我をした人が、大勢いるんです! 早く、応急処置をしないと!」

 テレーゼの目はアルマでも、ロリカと戦うニコ達でもなく、鎖に貫かれて血を流す不良少年達に向けられていた。 

「お、落ち着け! 気持ちは分かるが、君だって大怪我をしてるんだぞ!?」

「だからどうしたって言うんですか!? 私は医術士なんです! 私が治療すれば、あの人達は助かるんですよ! もし死んでしまったら、私が殺したのと同じなんです! くそ、くそぉ! 切れろ、切れろぉおおお!」

 前に言っていた身体強化と肉体強化の併用だろう。テレーゼの細腕が逞しく膨らみ、弾けてしまいそうな程張り詰める。過剰な強化に耐え切れず、手の皮が破れ、血が流れる。鎖の輪の一つが軋みを上げて変形するが、千切れるには至らない。

「テレーゼ……」

 壮絶な形相で力むテレーゼをアルマは尊敬し、己の無力さを恥じた。

「アルマさん!? 見てないで、手伝って下さい!?」

「て、手伝うって、ど、どうやって……」

「一緒に引っ張って下さい! あとちょっとで切れそうなんですから!?」

「えぇ!?」

 アルマはたじろいだ。芋掘りとは違うのだ。鎖は血まみれで、一方はテレーゼの腹を貫通している。そんな物を、引っ張れと言うのか!?

「はやくして!」

「は、はい!?」

 叱り飛ばされ、アルマは涙目になりながら鎖を掴んだ。

「いきますよ。体重を乗せて、力いっぱい引っ張って下さい。いっせーのーせ!」

「ふんんんんん!?」

 自分ひとりが手伝った所で、こんな太い鎖千切れるわけがない! そう思いながらがむしゃらに引っ張ると、歪んだ輪があっさり弾け飛んだ。

「きゃっ!?」

「うわぁ!?」

 思いきり体重をかけていたせいで、二人は折り重なるようにして尻餅をつく。

「いたた……テレーゼ!?」

 テレーゼの上に倒れてしまい、アルマは青ざめた。両手や制服が、生暖かい血でべっとり濡れている。

「ひぃっ!? あ、あわわわ……す、すまなテレーゼ!? そんなつもりじゃ――」

 恐ろしい光景に眩暈がする。

「そういうの今はいいから!」

 鬱陶しそうに叫ぶと、テレーゼは立ち上がり、腹に残った鎖を引き抜こうと歩き出した。「い、ぎ、ぎ、ぎぃぃ……」

 鎖がピンと張り、少し歩いた所で痛みに立ち止まる。

「テレーゼ……む、無理はしない方が……」

 見ていられずアルマは言うが。

「引っ張って下さい」

 食いしばった歯の隙間からテレーゼが言った。

「ひ、引っ張ってって……」

「言わなくても分かるでしょ!? 痛くて、自分じゃ出来ないの!? お願いだから、一思いにやって!」

 張り詰めていたテレーゼの表情が涙に崩れかける。その時になって、ようやくアルマも理解した。テレーゼだって辛いのだ。痛いし、怖い。アルマのように弱音を吐いて泣き叫びたい。けれど、やらなければならない事があるから、勇気を出して頑張っている。

「……わかった。せーのでいくぞ」

 なんという勇気。なんという気高さだろう。テレーゼの覚悟に涙しながら、アルマは彼女の小さな背中から冗談のように突きだした鎖を握った。

「……せーの!」

「ああああああああぁあ!?」

 テレーゼが絶叫した。思わず手を放しそうになるのを必死に堪え、力いっぱい引き抜く。

ずるずると、内蔵は抜けるような気持ちの悪い手応えと共に鎖が抜けた。

 力尽きて、テレーゼが四つん這いになる。

「テレーゼ!? 大丈夫か!?」

「大丈夫なわけないでしょうが!?」

「す、すまない……」

「はぁ……はぁ……はぁ……平気です。アルマさんに怒ってないと、痛すぎて失神しそうなので……」

 仰向けに倒れると、テレーゼは腹に空いた穴に手を翳した。複雑な構成が幾つも弾ける。急速に血が凝固し、穴の内側から灰色の粘土のようなものが膨らんで傷口を埋めた。

「ふぅ……」

 安堵したように、テレーゼが息を吐く。

「だ、大丈夫か?」

「とりあえずは。止血して傷を張り合わせ、充填剤を詰めて麻酔をかけました」

 さらりと言ってのける。

「……医術士というのはすごいんだな……」

 さっきまで、アルマはテレーゼが死んでしまうと思っていた。治ったわけではないのだろうが、今はそこまでではないように思える。

「そうですよ。魔王や勇者の子孫じゃなくたって、すごい事は出来るんですから」

 己を鼓舞するように言うと、テレーゼは勢いをつけて立ち上がり、ふらついて倒れそうになる。

「テレーゼ!」

 咄嗟に支えると、アルマは言った。

「私にも、なにか出来る事はあるか?」

「あんまりなさそうですけど、いないよりはマシです」

 血を流しすぎたのだろう。青い顔で言うと、テレーゼは手近な不良少年のもとへと歩き出した。彼女の肩を支えながら、アルマはニコ達に視線を向ける。

 素人のアルマには、二人が優勢なのか苦戦しているのか分からなかった。

 もっと私に力があれば……。

 己の無力さを心から悔やみながら、小さな背中を応援した。

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