第18話 嬉しい誘い

「いつまで泣いてるつもりですか……」

 大きなサンドイッチを手に持って、呆れた様子でテレーゼは言う。

「うぅ、ひっぐ、らってぇ……」

 ぐすぐすと鼻を鳴らして泣くアルマの前には、テレーゼと同じサンドイッチ。ただしこちらは随分と控えめだ。

「嬉しかったんだよね。クリュスカ先生の授業」

 アルマは大きく頷く。

「魔王軍の残党とやらの話をしだした時は生きた心地がしなかったが……あんな風に私の事を気遣ってくれるなんて……」

 確かに、神の王国教団の話を始めた時は嫌な感じの空気になった。みんながみんなそうではないが、不躾な視線を送り、アルマを揶揄する者もいた。そんな人たちに、クリュスカ先生はしっかり釘を刺してくれた。良い先生だなとニコも思う。

「食堂に来てる人達も今日はあんまり変な目で見てこないし。クリュスカ先生のお陰かな?」

 周りを見渡してニコは言う。

 犯罪学の授業を終わった後、ニコは二人を食堂に誘った。フレッチャーの一件以来、アルマは人目の多い場所で昼食を取る事を嫌がっていた。アカデミーの敷地には、軽食のテナントやカフェが入っているので、そちらで食べる事は出来る。が、食堂と違ってそれらは有料だった。金欠のニコには辛い。アルマだってそのはずだ。そうでなくとも、なにも悪い事をしていないのに逃げ回るような真似はしたくないと、アルマを説き伏せてやってきたのである。

 嫌な目を向けてくる者がまったくいないわけではないが、前に来た時と比べれば格段に減っている。聞こえるように意地悪な事を言ってくる者はいない。

「まったく関係ないとは言いませんけど、ニコさんのお陰の方が大きいですよ」

 強調するようにテレーゼが言う。

「え、なんで?」

「なんでって……本気で言ってるんですか?」

「う、うん」

 呆れられてニコは戸惑った。なにかおかしな事を言っただろうか。

「ニコさんは有名人なんですよ。元々そうですけど、今はもっとです。食堂の一件に加えて、乱暴者のフレッチャーをこてんぱんにやっつけたんですから。アルマさんに意地悪をしたらニコさんが黙ってない! そういう事になってるんです」

「そうなんだ? じゃあ、頑張った甲斐があったかな。でも、こてんぱんっていうのはちょっと違うよ。フレッチャーだって強かったんだから。楽勝みたいに思われたら嫌だな」

 あの時のニコは、アルマの為に頑張ったのだ。そういう理由がある時は、普段よりも力が出せる。そういう血筋なのである。ズルをしたわけではないが、有利な条件だったのは確かだ。もう一度、なにも背負っていない状態で戦えばどうなるか分らない。そのくらい、フレッチャーは強かった。性格は悪いが、同じ戦闘術士として、そこには敬意を払いたい。

「こんな事を言うのはアレかもしれないが、結果を見れば、あの時魔導列車でニコ君と出会ったのは、私にとっては幸運だったのかもしれない。君との一件がなくても、結局私はイジメられていたと思う。ニコ君が友達になってくれなければ、どのみち心が折れてアカデミーを辞めていたはずだ」

「どうでしょうか。ニコさんの事ですから、アルマさんと出会っていなくても、可哀想だよ! とか言って首を突っ込んでいたかもしれませんよ」

「……確かに。あり得そうな話だな」

 二人に笑われ、ニコはくすぐったい気持ちになった。

「大袈裟! 別に、大した事はしてないよ。嫌だなって思ったからやっただけ!」

 実の所、アルマの為にと思って動いた事は一度もない。見過したら嫌な気分になると思ったから動いただけだ。

「立派な男だよ君は。私なんかが友達で申し訳ないくらいだ」

「またそういう事を言う! でも、その気持ち、少しわかります。私も時々、私なんかが一緒にいていいのかなって思う事がありますから」

「僕は二人といると楽しいけど。二人は楽しくないの?」

 寂しそうにニコは言った。

「楽しいに決まっている! 人生で、こんなに楽しいと思った時はなかった程だ!」

「私も。大変だけど、すごく充実してます」

「ならよくない? 変な事言わないでよ」

 ニコは頬を膨らませて拗ねると、自分の頭程もあるハンバーガーに齧りついた。

「ん~美味しい!」

「ところでニコさんは、サークルに入ったりはしないんですか?」

「はひほへ?」なにそれ?

「部活みたいなものですよ。色んなサークルがあって、大抵の学生は自分の趣味や進路に合わせたサークルに所属してます。アカデミーの場合、普通の学校にあるようなクラス分けがなくて、好きなように自分の学びたい授業を選べるので、友達が出来にくいんです。その代わりにサークルがあって、趣味の近い人、同じような夢を持つ人と一緒に活動出来るわけです」

「へ~、知らなかった。面白そう! テレーゼさんはなにか入ってるの?」

「医術系のサークルに入ってますね。勉強会をしたり、それぞれの地元の風土病について話し合ったり。他には救助活動を行っている方々のサークルと、イーサ教のサークルにも入っています」

「そんなに!?」

「勉強家だとは思っていたが、凄まじいな」

 二人で驚く。三人一緒の時間は多いが、テレーゼに関しては四六時中一緒というわけではなかった。医術科の授業は、ニコやアルマは取っていない。帰りも遅くなる事があったが、サークルに出ていたのだろう。

「少ないくらいですよ。サークルは毎日出ないといけないわけじゃありませんから。そのサークルをメインに活動している人はそうじゃないですけど、大抵の人はたまにちょっと顔を出して、情報交換をしたり、興味のあるサークル活動をご一緒させて貰う程度です。お客さんみたいなものですね」

「そうなんだ。それなら気楽に入れそうだね」

「……私は歓迎されるか不安だ」

 浮かない顔でアルマは言う。

「アルマさんこそ入った方がいいよ! 沢山サークルに入って沢山友達作れば、アルマさんの事を悪く言う人もいなくなるでしょ?」

「……そうだな」

 乗り気には見えないが、確かにアルマはそう言った。

 そんなアルマを、テレーゼは驚きの表情で見つめる。

「な、なんだ、テレーゼ」

「だって、いつものアルマさんなら、そんな事はないって泣き言を言っている所なので」

「だよね! びっくりしちゃった!」

 二人の反応に、アルマは恥ずかしそうに俯いた。

「ぅ、むぅ。確かにそうだが……ニコ君は私の為にこんなに頑張ってくれている。テレーゼもそうだ。忙しいのに、合間を見つけて、勉強や魔術を教えてくれている。それなのに、肝心の私がいつまでも後ろ向きではいけない……そう思ったんだ」

「別に私は……アルマさんがいつまでも情けないままだとニコさんが大変なので、早く独り立ち出来るようにお手伝いしているだけですし」

「……それについて本当にすまないと思っている。君達だって、他にやりたい事が色々あるだろうに」

「あははは。違うよアルマさん。テレーゼさんは照れてるだけ! アルマさんが新しい事を覚える度に、嬉しそうに僕に教えてくれるんだから!」

「そうなのか?」

「ち、違います! ニコさんはアルマさんの保護者みたいなものだから、進捗を報告してるだけですから!」

「それも照れ隠しなのか? 私は、遠回しな言い方はよくわからないのだが」

「うぅ~……知りません!」

 テレーゼは真っ赤になってサンドイッチに齧りついた。

「楽しそうにやってるじゃない」

 白銀の甲冑が声をかけた。風紀部のロリカである。手には肉々しい料理の乗ったトレーを抱えている。

 先輩の登場にアルマとテレーゼが身構える。ニコは全く気にせず挨拶をした。

「ロリカさんだ! お昼一緒に食べます?」

「そのつもりで声をかけたんだけど。先に言われちゃったわね」

 微笑んで――いるのかは分らないが、ロリカは声を弾ませた。

「テレーゼの隣でいいかしら?」

 ニコの隣にはアルマ、向かいにはテレーゼが座っている。

「ど、どうぞ」少し緊張した様子でテレーゼが答えた。

「そんなに怖がらないで。って、この格好で言っても説得力ないわね」

 そんな状況を楽しむように言うと、ロリカががしゃんと椅子に座る。

「前から思ってたんですけど、ロリカさんってなんでいつも鎧を着てるんですか?」

 ニコの質問に、アルマとテレーゼがぎょっとした。二人とも内心疑問に思っていたが、なんとなく聞きづらい雰囲気を感じていた。

「なんでだと思う?」悪戯っぽくロリカが尋ねる。

「なんでだろ? かっこいいからとか?」

 トンチンカンな答えに、テレーゼがむせた。

「流石にそれはないだろう……」アルマも呆れる。

「正解よ?」

 あっさり言われて、アルマとテレーゼが言葉を失う。

「いぇ~い当たり~!」ニコは無邪気に喜んだ。

「勿論、それだけじゃないけど。あたしの魔術はちょっと特別なの。簡単に言えば金属操作だけど、常時発動しているのね。いつも鎧を着ているのは修行みたいなものよ。重そうに見えるけど、魔術で操ってるから身体は疲れないわ。それに、こんな格好をしている人間が風紀部にいたら、悪い事は出来ないなって思うでしょ?」

 言いながら、ロリカは両の掌を開く。白銀のガントレットの中央が鋭く盛り上がり、それぞれの手に同じ材質のナイフとフォークが生えだした。

「わぁ! すごい! かっこい~!」

 その様子に、ニコは興奮する。

「戦ってる時のあたしはもっとかっこいいわよ? 白銀の鎧を自在に操る白鋼の戦士、人呼んで鋼鉄の聖騎士(フルメタルパラディン)」 

 得意げに言いながら、ロリカは切り分けたステーキを兜に運ぶ。兜の口元が生き物のように開いてステーキを受け入れた。

 かっこいいか? いえ、全然。アルマとテレーゼが視線で会話する。

「いいないいな~! 僕もかっこいい異名欲しいな~!」

「フレッチャーの一件があってから色々呼ばれてるわよ。勇者の後継(サクセサーオブブレイブ)、魔装使い(イーサウェポン)、童顔(ベビーフェイス)。まだこれと言ったのは決まってないけど。フレッチャーを倒した事でランカー入りしたし、その内良い感じの異名がつくでしょ」

「ランカー入り? なにそれ?」

 ニコが尋ねる。

「ファイトクラブって戦闘術士系のサークルがあって、名前の通り戦闘好きの生徒の集まりなんだけど、そこが活動の一環でアカデミーの戦闘術士を勝手にランク付けしてるのよ。その中でも、上位百名はランカーって呼ばれてるわ。フレッチャーはランカーの生徒に喧嘩を売って回っててね。ニコにやられるまでは負けなしだったの。今のランキングは八二位。入学したての新入生にしては異例の順位よ。相性とかもあるし、フレッチャーに勝ったからっていきなりそこに入れ替わりで入るわけじゃないけど、それを言うならフレッチャーだって様子見の順位で、実際はもっと上だって言われてたし。彼を倒したニコはランカー入り確実ね」

「ほぇ~?」

 よくわからず、生返事をする。

「すごいじゃないかニコ君! こんなに沢山の生徒がいる中で、百位以内の強さだなんて!」驚いてアルマは言う。

「ん~、どうかなぁ。勝負は時の運っていうか、タイミングとかもあるし。一回勝ったぐらいでフレッチャーより強いって言われるのはどうなのかなって思うけど」

「気持ちは分かるけど、学生のお遊びみたいなものだし。順位が全てじゃない事はみんな分かってるわ。とは言え、ランカーが強者揃いなのは確かよ。それだけ注目度も高い。フレッチャーみたいにランカー狩りを趣味にしてる奴もいるし、今後は勝負を挑まれる事もあるでしょうね。なにより、その辺のサークルが放っておかないわ。特にこの時期はどのサークルも、有望な新入生を引き入れるのに躍起になってるし。ニコはどこか入りたいサークルあるのかしら?」

 何気なくロリカが聞いてくる。

「全然。サークルがあるっていうのもさっき知ったくらいだし」

「あらそう」

 ロリカの声には、獲物を前に舌をチラつかせる蛇の響きがあった。

「だったら、風紀部はどう? 忙しいけど、やりがいのあるサークルよ。対魔術士戦の経験も積めるし、就職にも有利」

 どうやら、それがロリカの目的だったらしい。

「風紀部ってサークルだったんですか?」

 意外そうにテレーゼが聞いた。

「そうよ? アカデミーは生徒の自治が基本だから。正式な名前はラーカイム自警団。毎年選挙が合って、立候補したサークルの中から風紀部が選ばれるの。とは言っても、もう何十年も風紀部の座を譲った事はないけどね。アカデミーの中でも最大級のサークルの一つで、アカデミーは勿論、市街の治安維持も請け負ってるわ」

「ん~」

 腕組みをしてニコは悩んだ。

「なにか問題?」

「僕、堅苦しいのって得意じゃないから。上下関係とかも苦手だし」

「そこは大丈夫。生徒の自治が基本って言ったでしょ? 風紀部って言っても、そんなに口うるさい事をするわけじゃないのよ。この前の食堂の一件みたいに、明らかに止めないとマズイなって時は動くけど。あとは生徒や市街の人から依頼を受けて問題を調査して解決する感じね。腕っぷしも大事だけど、結構頭も使うのよ。上下関係に関してはなくはないけど、アカデミー自体実力主義の場所だし、ランカーのニコにとやかく言える奴はそんなにいないでしょうね。実際あたしも好き勝手やってるし」

「ん~」

 傾げた首を逆側に傾ける。

「ニコ君でも悩む事があるんだな」

 意外そうにアルマが言う。

「僕の場合、入ったら入ったでなんだかんだ頑張っちゃうと思うんだよね。それで、やっぱりやめればよかった~ってなったら嫌だなって」

「籍を置いてくれるだけでもいいのよ。厭らしい話をすると、勇者ロッドの子孫が在籍してるってだけで箔が付くし。あと、風紀部の仕事には予算がついてるから、報酬も出るわ。依頼に関しては別途報酬が出る。風紀部の人間は、アカデミーや市街から寄せられる依頼を優先的に受けられるってメリットもあるわね。ニコって裕福なタイプじゃないでしょ? 風紀部は近場で手堅く稼げるからオススメよ。勇者資格を取る為に必要なポイントも稼げるし。勿論、今すぐ返事をする必要はないけど。他のサークルに取られるのも癪だから声をかけたって感じ。とは言え、欲しくないかって言われたら、物凄く欲しいけど。ニコが入ってくれるなら、そっちの二人もまとめて面倒見るわよ? ね、悪い話じゃないでしょう?」

「物凄く良い話だと思います。良すぎて、ちょっと疑っちゃうなぁ」

 あけっぴろげにニコは言う。

「そりゃあもう! ニコは勇者の子孫で、実力も性格も申し分ないし。おまけに顔も可愛いと来てる。風紀部に引き入れる為なら幾らでも優遇するわよ。アルマだって、今はアレだけど、磨けば光るタイプっぽいし。風紀部は荒事が多いから、現場で応急処置が出来る人員がいると助かるわ。そう言う意味では、戦える医術士のテレーゼも結構貴重なのよね。言わば君達は、お得な新入生三点セットってわけ」

 知らない間に随分高く買われてしまったらしい。

「二人はどう? 僕はどっちでもいいけど」

 二人も一緒という事なら、自分一人では決められない。

「悪くないと言うか、ロリカさんの言う通り、ものすごく良いお話だと思います。風紀部に所属すれば、アルマさんに手を出す人はいなくなるでしょうし。本当に籍を置くだけでも良いなら、入らない手はないかなと」

 三人のブレインであるテレーゼがそう言うのならそうなのだろう。

「アルマさんはどう?」

「……私は……正直に言って自信がない」

 三人の視線が集まり、俯き加減でアルマは言う。

「良い話なのは分かる。だが、魔王の子孫である私が風紀部なんかに入ってしまっていいのだろうか。風紀部の中には、快く思わない者もいるんじゃないか。取り締まられる側だってそうだ。誘いは嬉しいが、だからこそ、私は迷惑をかけたくない。戦闘術士としての実力だってまだまだ未熟だ。ニコ君の友人、魔王の子孫であるというただそれだけの理由で、風紀部などという立派なサークルに入ってしまうのは、真面目に頑張っている人達に対して失礼なんじゃないかとも思う……」

「真面目な子だとは思ってたけど、そこまでとは思わなかったわ。あなた本当に魔王の子孫? って言うのは失礼だと思うけど、言いたくなっちゃうわね。そこまで他人の事を気にする奴、いないわよ?」

 呆れ半分にロリカ。

「そういう子なんです、この子は」

 こちらは完全に飽きれてテレーゼ。

「でも、やってみたいんでしょ?」

 アルマの話とは全くあべこべの事をニコは言った。

 テレーゼとロリカは訝しむが、アルマは申し訳なさそうに頷いた。

「……あぁ。私のような者でもサークルに入れてくれると言うのなら……頑張ってみたい。今はまだ、足手まといにしかならないと思うが……風紀部に入って困っている人を助けられるなら……それは、私の目指す勇者に近づく道になると思うんだ」

 それを聞いて、にっこりとニコは頷いた。

「じゃあ決まりって事で。ロリカさん、お世話になりま~す」

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