第16話 野外実習

「ふぁぁぁ……むにゃむにゃ……うぅ、眠いよぉ……」

 大欠伸をしてニコが呻く。瞼はほとんど落ちていた。立ってはいるがいかにも眠たげで、武具を持った両手をだらりと垂らし、ふらふらと身体を揺らしている。

 月明かりの降り注ぐ真夜中の林である。周囲には錆びついた武器を持ったスケルトンが十数体、からんころんと小気味よい音を鳴らしながら近づいている。その内の数体が手斧や折れた長剣を振り回してニコに襲い掛かる。

「ていうか、これって夜中にやる意味ある~?」

 揺れながら、魔術も使わずスケルトンの攻撃を避ける。ついでと言うように、適当に剣を振り回し、動く白骨を叩き割る。多少の骨を砕いた所でスケルトンは止まらない。

 アンブロワーズ先生の魔物学の授業を思い出す。低位のスケルトンは骨全体が弱い魔力を帯びている為、原型がなくなるまで破壊するか、魔祓いのような特殊な術で骨に宿った魔力を祓わないといけない。脅威度は低いが、処理が面倒な相手だった。

「この手のスケルトンは暗い所じゃないと活性化しないってアンブロワーズ先生が言ってたじゃないですか。昼間に来ても見つけるのが大変だし、ぱっと見は普通の白骨死体と見分けがつかないので、夜中に退治するしかないんですよ」

 説明しながら、テレーゼがメイスを振るう。スケルトンを相手にするには、テレーゼの武器はうってつけだ。振り上げてぐしゃり。これで終り。テレーゼ一人で事足りそうだが、本日は班を作っての野外実習だった。勇者同盟に寄せられた依頼の中から、難易度の低い案件をアカデミーの教材として振り分けている。たいした額ではないが報酬も出る。移動は空間魔術を用いたポータルでひとっ飛びだ。

 アカデミーには各州の主要な同盟支部と紐づけられたポータル設備があり、それらの支部は地方の支部とポータル設備で紐づけられている。ポータル設備は依頼や授業目的なら無料で利用でき、里帰りや休日の小旅行のような私的な目的でも、しかるべき料金を払えば利用が可能だった。ただし、ポータル設備は人気が高く、授業や依頼が優先されるので、個人利用は後回しにされる事が多いそうだ。

 ともあれ、ニコ達は勇者科の実習でロックハンド州のなんとかという町の近くに広がる魔力を帯びた森にやってきていた。夜な夜なスケルトンが徘徊しているので退治して欲しいという依頼である。朽ちてはいるが、辺りは人が生活出来るように整えられた形跡があり、盗賊のアジトだったのだろうとニコは推理した。同士討ちか、盗賊狩りに合ったのか、魔物にやられたのか、理由は分からないが死体が放置され、森の魔力を帯びて低位のスケルトンになったのだろう。

「こんな事をしたらバチが当たるんじゃないか?」

 安全な位置で身を縮めながら、怯えた様子でアルマが言う。この三人で一つの班だ。魔導列車での一件を除けば、アルマが実戦を行うのは今日が初めてである。

「ん~、どうなのかな? 可哀想だとは思うけど、ほっとくわけにもいかないし。終ったらまとめて埋めてあげたらいいんじゃない?」

 アルマの疑問は今更だが、ニコもそんな風に思う事はあった。見知らぬ盗賊のスケルトンだからまだいいが、地元の墓でスケルトンが出たりしたらこんな風には暴れられないと思う。

「イーサ教の見解としては、死した段階で魂は肉体から抜け出し、冥界へと旅立つとされています。魔物学の授業でも、スケルトンは自然発生したゴーレムやスライムと同じで、無機物の媒介に魔力が定着した疑似生物とされています。この場合の疑似生物というのは偽りの生命という意味でなく、生物を模倣して動く自動人形のような位置づけなので、例えそれが人骨であっても、破壊する事で故人の尊厳を損なう事にはならないとされています。そうは言っても、気持ちがいい事ではありませんが、気に病みすぎる必要はないかと」

 普段から真面目に授業を受けているテレーゼである。要点を押さえた解説に、アルマも納得したらしい。

「そういう事ならいいのだが……いや、そうであるからこそ、死後本人の意思と関係なく暴れ回るような状況は終わらせてやらねばならないのだろうな」

「だね」

 ニコも同意する。

「それじゃあ、そろそろアルマさんも戦ってみようか」

「ふぇ、わ、私か? ま、まだ、心の準備が……」

 アルマがたじろぐ。先ほどから戦っているのはニコとテレーゼだけで、アルマは遠目に見ているだけだった。

「いつまでそんな事言ってるんですか。勇者科の授業は実戦がメインなんですよ。座学の点数が良くても、依頼をこなして貰えるポイントが規定に満たなかったら落第です。低位のスケルトン退治でそんな事を言っていたら勇者資格なんて取れませんよ」

「うぅ……それは私もわかっているんだが……」

 情けない声を出すと、アルマは遠くに残されたスケルトンに視線を向けた。生前の愛用品だったのだろう。朽ちた武器を手に持って、月光浴でもするように空を見上げている。この手の魔物は魔力に反応する。植物が太陽に向かって育つように、月の魔力に気を取られているらしい。もう少し近づけば、こちらの魔力に反応して襲ってくる。戦闘力としては、非魔術士の成人男性よりちょっと強い程度である。死を恐れず、痛みで怯む事もない。一度魔力を感知されれば、範囲外に出るか、太陽が昇るまで、疲れ知らずの身体で追いかけて来る。ある程度の戦闘力がある者からすれば欠伸が出るような雑魚だが、一般人にとっては充分危険な存在である。そしてアルマは、魔王の子孫ではあるが、気持ちの上では一般人と大差はない。戦闘力も、才能はあるだろうが今はまだ未熟だ。怯えてしまうのも無理はない。だからと言って、本気で勇者を目指すなら避けては通れない道ではあるのだが。

「大丈夫だよ。危なくなったら僕達が助けるから。この依頼はアルマさんの練習のつもりで受けたんだし、難しく考えないでやってみようよ」

「というか、早くアルマさんに強くなって貰わないと、私達も難しい依頼を受けられないので。アルマさんを置いてけぼりにして、二人だけで行っていいのならそれでも構いませんが」

「……そうだな。二人とは、実力の差がありすぎる。迷惑になっては申し訳ない。私は気にせず、これからは二人で――」

「あぁもう! なんでそうなるんですかあなたは!?」

 じれったくなり、テレーゼが声を荒げる。

「ふぇっ、なな、なんで怒るんだ!?」

 例によって、アルマは涙目になった。

「テレーゼさんは三人で一緒に頑張ろうって言ってるんだよ。僕だって同じ気持ちなんだから。水臭い事は言いっこなし! ほら、今ので向こうもこっちに気づいたみたいだし。頑張ってみよ~!」

「え、えぇ!?」

 ぎょっとしてアルマが振り返る。テレーゼの怒気に乗った魔力を察知したのだろう、数体のスケルトンがかしゃかしゃとめちゃくちゃな走り方で近づいてくる。

「落ち着いて戦えば大丈夫です。ほら、アルマさん! 新しく覚えた魔術! ニコさんに見せる良い機会ですよ!」

「え、そうなの? 見たい見たい!」

「焦らせないでくれ!?」

 半泣きになって叫ぶと、アルマはスケルトンに向き直った。真っすぐ突き出した右手を支えるようにして左手を添える。普通なら魔術の為に練り上げた魔力が見える所だが、相変わらずそんな様子はない。いつでも飛び出せるように準備しながら、ニコは見守った。

 緊張しているのだろう。アルマの息は荒く、肩が激しく上下している。肩幅に開いた足は目に見えて震えていた。

「大丈夫。アルマさんなら出来るよ」

 そっと転がすようにしてニコは言った。アルマの震えが止まる。

「……吹き飛べ」

 澄んだ声が響いた。なんの予兆もなく、火花のように構成が弾ける。拳大の火球が飛び出し、スケルトンの空っぽの胸に突き刺さって爆発した。

「え? 今のって、フレッチャーの?」

 驚いてテレーゼに視線を向ける。

「ニコさんとフレッチャーの戦いが終わった後、もしかしたら出来そうな気がするって相談されたんです。そんなわけないと思ったんですけど、ちょっと練習に付き合ったらこの通りです。流石は魔王の子孫、なんてアルマさんに言っても嬉しくはないと思いますけど。本当にすごい才能があるみたいです」

 呆れ交じりの苦笑いでテレーゼが言う。

「見よう見まねで盗んじゃったんだ。すごいなぁ~」

 ニコは感心した。魔力は豊富だが、構成を編むのは苦手なニコである。魔力を集めたり形を変えたりは出来るが、それ以外は火花一つ起こせない。そんなニコからすると、見ただけで魔術を再現するアルマは物凄い大天才だった。

「問題もありますけどね。これ、本当にただの見よう見まねなんです。訓練で身に着けたわけじゃないので、応用が出来ないんです。過程をすっ飛ばして、結果だけを再現した魔術ですよ。じゃあ、アルマさんがちゃんと訓練して術の構成を理解したら、どれ程の事が出来るんでしょう。想像すると、ちょっと怖くなっちゃいます」

 暗に、テレーゼは魔王の所業を仄めかしているのだろう。天候すらも自在に操り、たった一人で軍隊を壊滅させ、大陸中の魔物を意のままに操ったと言われる大魔術士。文字通りの魔王。その力を、アルマは身に宿している。

「アルマさんなら大丈夫だよ」

 掛け値なしにニコは言った。差別され、イジメられ、多くの人に忌み嫌われ、それで泣く事はあっても、他人を恨んだりはしなかったアルマである。彼女は優しい。優しすぎるくらいだ。他人を否定するよりも、自分を否定し消える事を選ぶほどに。そんな彼女が、邪悪な魔王になどなるはずがない。

 真っすぐな目を見つめられ、テレーゼは杞憂を恥じるように視線を逸らした。

「……そうですね」

 そうしている間にも、アルマは一発一発、確実に爆炎弾を当て、襲い来るスケルトンを吹き飛ばす。小粒だが強力な魔術の余波に、遠くのスケルトンも集まって来た。それら十数体を、一歩も動かず倒しきる。

「……終った、のか?」

 静寂の中、辺りを見渡してアルマが呟いた。

「やったねアルマさん! 今の魔術、すごかったよ!」

「一応言っておきますけど、普段勇者が相手をするような魔物はもっと強くて、魔術だって避けたり防いだりするので。低位のスケルトンを倒したくらいで満足してはいけませんよ。特に、体術の方はからっきしなんですから、今後はそちらも鍛えないと」

 テレーゼが小言を言う。すっかりお姉さんが板についた様子だ。

 聞こえているのかいないのか、呆けた顔で立ち尽くすと、アルマは突然その場にへたりこんだ。

「アルマさん!?」

「ど、どうしたんですか!?」

 驚いて駆け寄る。

「……安心したら腰が抜けた……うぅ、うぇ……怖かったよ~!」

 目元に手を当て子供のように泣き出す。

 そんなアルマを見て、二人は顔を見合わ肩をすくめた。

 こんな泣き虫が、どうして魔王になれるだろうか?

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