第12話 お腹が空いて力が出ないよ
「ごめんなさい……僕のせいで午後の授業も休む事になっちゃって」
下宿先の一階、鷹の目亭のテーブルにべったりと突っ伏して、ニコは言った。
フレッチャーとの決闘が決まった後、そのまま食堂で昼食というわけにもいかず、他の場所を探す事にしたのだが。
それからすぐに、ニコは自分で歩くのも難しい状態になり、二人に肩を借りて下宿に戻っていた。
「ニコ君が謝る事じゃない……元はと言えば、全部私のせいなんだ……」
隣のアルマが落ち込んだ様子で言う。心配そうにニコを見つめる目には、薄く涙が滲んでいる。
「アルマさんのせいじゃないよ。僕達はただお昼ご飯を食べに行っただけなんだから」
ぐったりしながらも、ニコは精一杯の笑顔でアルマを慰める。
「それよりも、どうして魔力欠乏だって言ってくれなかったんですか! 知っていたら、私だって止めたのに!?」
向かいに座るテレーゼも涙を浮かべていた。魔力欠乏の事をアルマに聞いてからずっと、フレッチャーとの決闘をけしかけた事を悔やんでいる。
「あそこでそんな事言ったら、食堂にいた人達がアルマさんの事を誤解しちゃうから。僕は大丈夫だよ。沢山食べてぐっすり寝たら、明日には元通りになってるから」
「そんなわけありません! 私は医術士なんですよ!? 大丈夫かどうかなんて、ちょっと調べればわかります。前ほどじゃないにしろ、かなり重度の魔力欠乏を起こしてます! 普通なら、三日間は絶対安静です! こんな状態で戦えるわけないじゃないですか!」
「すまないニコ君……私のせいで……」
テレーゼの診断を聞いて、アルマはめそめそとすすり泣いた。
「だから、アルマさんのせいじゃないってば」
気怠い身体をどうにか動かし、ニコはアルマの手を握った。アルマはびくりとして、逃げるように手を引き戻すが、ニコはありったけの力を掻き集めて、放されないよう掴み続ける。
「大丈夫。怖くないよ。あの時だって、アルマさんは力を抑えようとしてたでしょ? 僕だって、こうなるって分かってて手を掴んだんだ。だから、そんな風に自分を責めないで。じゃないと、僕まで悲しくなっちゃうよ」
「ニコ君……君って奴は……うぅ、ぅう、あぁぁああああああ」
優しい言葉に、アルマは声を上げて泣き出した。
「テレーゼさんも心配しないで。普通の人はダメかもしれないけど、僕は普通じゃないから。大勇者ロッドの子孫、尽きぬ魔力の異名を持つ男の血を引いてるんだ。これくらい、なんてことないよ」
「でも……」
テレーゼの心配を和らげるには至らない。彼女は医術士である。いくらニコが口で言っても、安心させるのは難しいのだろう。
「うん、そうだね。全然平気とはいかないかな。僕が勝つに決まってるけど、楽勝とはいかなそうかも。だから、少しでも楽が出来るように、あいつについて知っている事があったら教えて欲しいな」
意図して、ニコは話題を変えた。どんな状態であろうと、あそこで退くという選択肢はなかった。絶対に。ニコには、正しい選択をしたという自負がある。ならば、後悔をする余地などどこにもない。
「ニコさん……わかりました。そこまで言うのなら、私も覚悟を決めます。ただし、決闘の前にもう一度検査をして、明らかに無理な場合は決闘を辞退して下さい。それだけは、約束して貰えますか?」
「え~。僕って、本番になるまで調子が出ないタイプなんだけど……」
「約束して貰えますね?」
にこりともせず、冗談を許さない真面目な眼差しでテレーゼが言う。
「……わかった」
医術士として、テレーゼにも譲れない物があるのだろう。尊重して、ニコは言った。いざその時になれば、どうなるかはわからないが。
「すまない……ニコ君……私なんかの為に……」
アルマは泣きながら謝罪する。慰めようとニコは口を開くが、それより先にテレーゼが言った。
「いい加減にして下さい! さっきからなんなんですかあなたは! 口を開けば卑屈な事ばかり言って! それでも魔王の子孫ですか!」
「ふぇっ、そ、そんな事言われても……」
テレーゼに叱られて、アルマは涙交じりの鼻声を出した。
「ニコさんは、あなたの為に頑張ってるんですよ! それなのに、私が悪い、私なんかがって、あなたがそんなんじゃ、ニコさんが報われません!」
「だ、だって……」
「だってじゃない! この弱虫! そもそも、あなたは悪い事なんか全然やってないじゃないですか! それなのになんですか! 自分のせいって! 卑屈すぎるにも程があります!」
「な、なんなんだ!? 君だって、私の事を邪悪な魔王の子孫だって言ってたじゃないか!」
わけがわからず、アルマは言う。
「それについては謝ります。私はアルマさんの事を誤解していました。アルマさんは邪悪な魔王の子孫じゃなくて、情けない魔王の子孫です。恐れる必要なんかこれっぽっちもありません」
「ぇ、ぁ、ぅ……それは、喜んでいいんだろうか?」
「いいと思うよ。テレーゼさんも、アルマさんがいい人だってわかってくれたんだから」
「そういうわけじゃ……」
反射的に言いかけた言葉をテレーゼは飲み込んだ。
「こういうのが良くないんでしょうね。他の人達のように、私もアルマさんの事を魔王の子孫という色眼鏡で見てしまっていました。それを外せば、アルマさんは卑屈で臆病で泣き虫なだけの普通の女の子です。こんな仕打ちをされる理由なんて、どこにもありません」
義憤の炎を瞳に燃やし、テレーゼは言う。
「ともかく、フレッチャーです。彼は一年生の中では有名な問題児で、入学してまだ二週間も経っていませんが、あちこちで問題を起こして、何人もの生徒を病室送りにしています。決闘の回数も豊富で、その全てに勝利しています。性格は最悪ですが、戦闘術士としての実力はかなりのものかと」
「札付きのワルってやつだね」
「……実は、あいつに意地悪をされたのは今日が初めてじゃないんだ」
苦い思い出を語るようにアルマは言う。
「ニコ君が退学を取り消してくれた次の日だ。学校に行って、私は散々な目に合った。その締めくくりが奴だった。あいつは、魔王の子孫の実力を見せてみろとか言っていきなり襲い掛かってきた。私は怖くて泣いてしまって、そしたらあいつは、目障りだから二度と姿を見せるなと。もし会ったら、酷い目に合わせてやると脅してきたんだ。それが怖くて、私はアカデミーに行けなくなってしまった」
「なにそれ……ひどい! どうして言ってくれたなかったの?」
「……言おうとしたんだが、タイミングを失った。その内に、ニコ君は私と友達になってくれた。嬉しかったよ。そんな君に、情けない奴だと思われたくなかった。あんな恐ろしい人間に目をつけられていると知られたら、友達をやめてしまうかもしれないとも思った。保身に走ったんだ。私は卑怯者だ……」
申し訳なさそうにアルマは言う。
「ま~た卑屈な事を言う! 少しくらい笑っていられないんですか!?」
テレーゼは身を乗り出すと、アルマの頬を引っ張り、無理やりに笑顔を作った。
「ほ、ほんなほほひはへへほ」そ、そんなこといわれても。
「だったら目も笑わせないと!」
ニコも加わり、アルマの目の横を下に引っ張って笑い目を作る。
「ぶふっ!?」テレーゼは吹きだし。
「あはははは!」ニコはテーブルに突っ伏して笑った。
「やめてよ! 今疲れてるのに、そんなの見せられたらしんどいって!」
「君達が勝手にやったんだろ!?」
涙目になってアルマが言う。
「ていうか、疑問なんですけど、アルマさんって弱いんですか?」
思い出したようにテレーゼが尋ねた。
「あ、それ、僕も気になってた。吸魔の力はすごいけど、それ以外はなんかう~んって感じだし。訓練とかあんまりしてこなかった感じ?」
「そうだな。職業勇者になろうと思ったのはここ一年の事だ。それまではごく普通の……と言えるかはわからないが、魔術など使わずに生きてきた。一応アカデミーに入学するにあたって訓練のような事はしてみたが。身の回りに手本になるような者はいなかったから、使える術は皆、見よう見まねの素人芸のようなものだ」
「たった一年で? しかも見よう見まねで魔術を憶えたって……へなちょこでも、才能はしっかり魔王の子孫なんですね」
呆れたようにテレーゼが言う。
「そ、そうなのか?」
「僕はそういうのよくわかんないけど、テレーゼさんが言うならそうなんじゃない?」
「普通だったら、魔力に対する感応力を目覚めさせるだけで三年はかかります。職業勇者を目指すような人はみんな、小さい頃から魔術の教育を受けるものなんですよ」
「知らなかった……」
「僕も。魔力とか、生まれた時から感じれたし」
「……一応私も、故郷では天才児って呼ばれてたんですけど。お二人の話を聞いていると自信をなくします」
「そんな事ないよ! 医療術みたいな難しい術、僕は全然だし。ていうか、魔力を集めたり形を変えるくらいしか出来ないんだよね」
「……ぇ?」
テレーゼの目が点になる。
「あれ? 知らない? 僕の家系はみんなそうだよ。魔力は人の百倍! 魔術のセンスはその反対! 人呼んで脳筋のブレイブハート!」
「確かに、聖ロッドの伝説には魔術らしい魔術は出て来ませんでしたけど……剣士としての側面を誇張した表現だとばかり……」
「よくわからないが、それで大丈夫なのか? フレッチャーは炎や爆発を操る術を使うようだが」
心配そうにアルマは言う。
「大丈夫じゃない? 魔力を集めてぶっ叩けば大抵の事はなんとかなるってひい爺ちゃんも言ってたっぽいし」ひい爺ちゃん、つまりは勇者ロッドである。
「……ニコさんの実力を疑うわけじゃないですけど、油断はしない方がいいと思います。フレッチャーはハピール州の州王に仕える将軍の家系です。彼の一族は代々炎と爆発を操る術を得意とし、三姉弟の中でも末っ子のフレッチャーは一番の才能があると噂されています。武器は爆炎系の魔術に対する補助機能を持つ短剣型の魔術具、憤怒(モラルタ)と激怒(ベガルタ)で、食堂で見せたように、炎を噴出しての高速移動や、炎そのものを刀身に変えたりと、様々な使い方が出来ます。近接戦闘は勿論、遠距離戦闘でも優れた実力を発揮する、戦闘術士の見本のような人間なんです」
「やけに詳しいな」
意外そうにアルマが言う。
「フレッチャーは問題児ですから。あちこちで喧嘩をして目立っているし、嫌でも噂は聞こえてきます」
「飛び道具得意なんだ。いやだな~」
面倒くさそうにニコが言う。
「その様子だと、ニコ君は得意ではないのか?」何気なく、アルマが尋ねる。
「全然だめ。うちって剣士の家系でしょ? 飛び道具って苦手なんだよね~」
「そうなのか……」
ニコは呑気な笑みを浮かべて、なんて事ないように言うが。
「……戦いについては詳しくないんだが、フレッチャーを相手にそれは、もしかすると不味いんじゃないか?」
「もしかしなくても不味いですよ! フレッチャーは清々堂々戦うタイプの人間じゃありません。戦闘の最中に相手の弱みを知れば、容赦なく、嫌がらせのようにそこばかり狙ってきます! 戦うなら、なにか対策を練っておかないと!」
「対策って言ってもな~。僕、近づいてぶっ飛ばすしか出来ないよ?」
「そうかもしれませんけど……三人で考えたらなにか名案が出てくるかもしれないじゃないですか」
「飛び道具が得意って分かっただけで充分だよ。対策って言っても、どうせ防ぐか躱すかしかないし。僕から聞いといてなんだけど、あんまり知っちゃうと面白くなくなっちゃうしね」
お気楽なニコを見て、二人の少女は顔を見合わせた。
「ニコ君!?」
「ニコさん!?」
「大丈夫だってば。本当、僕って強いから。心配なのは体調だけだよ。はぁ、早くご飯出来ないかな~」
ひもじそうにニコは言う。飢えた腹の虫がぎゅるぎゅると切なそうに鳴いた。
「待たせたな」
ぶっきら棒に言うと、エプロン姿の大家が両手に持った皿をテーブルに置いた。一枚でテーブルを覆う程の大皿には、向こうに座るテレーゼが隠れる程大量のミートボールスパゲッティーが盛られている。
「質より量と言われたが、こんなんでよかったか」
「ばっちりです! 質とか気にしなくても大家さんのご飯はなんだって美味しいし! はぁ、もう限界! いただきま~す!」
両手にフォークを構えると、ニコはずぞぞぞ~! と飲むようにしてパスタを食べだした。
「……ふん」
店主は満更でもない様子で鼻を鳴らすと、ポケットに手を突っ込んで奥の厨房へと引っ込んでいく。
「なんだかしらんが、頑張れよ」
「ふ~~~ふ!」は~~~~い!
左右の頬を風船のように膨らませながら、にっこり笑ってニコは答えた。
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