第11話 楽しくない昼食

 テレーゼが軽蔑を向ける先では、一人の男子生徒が椅子に座り、腹を抱えて笑っていた。鋭い目つきをして、真っ赤な髪を針のように立てている。着崩した制服とピアスだらけの耳が、不良然とした印象を与える。同じテーブルには、侍らせるようにして派手な格好の女生徒が並んでいる。

「はぁ? なんの事だよ? そこのうすのろが勝手に転んだんだろ。そうだよなぁ?」

 ニヤつきながら赤毛の少年が周囲の女生徒に同意を求める。

「そーそー」

「あたし見てたし」

「言いがかりはやめてくんない?」

「てか、なにフレッチャーのせいにしてんだよブスが」

 取り巻きの女生徒達が口々に言うが、テレーゼは確かにフレッチャーと呼ばれた少年が脚を出す所を見ていた。堂々としたものである。隠そうとする素振りすらなかった。彼女達だって、それは分かっているはずだ。分かった上で嘘をついているのである。

「どうしてそんな嘘が言えるんですか? あなた達は、人として恥ずかしくないんですか!?」

「……いいんだテレーゼ」

 よろよろと立ち上がり、アルマが言った。顔から胸まで、ぐっちょりと料理で汚れている。必死に平静を保とうとしているようだが、眼には並々と涙が滲み、喉は痙攣して震えている。

「彼の言う通りだ……私が一人で転んだんだ……」

「そんなわけないでしょう!? 私は確かに見ました! 他の人達だって!」

「いいと言っているだろ!?」

 苦し気に叫ぶと、満杯のコップが溢れるように涙が零れた。

「頼む……これ以上、私を惨めにしないでくれ……」

 見るに堪えない悲痛な言葉だが、それすらも少なくない生徒達が笑い者にした。

 からかうようにオウム返しにされて、アルマはなにも言う事が出来なくなり、逃げるようにその場から走り去ろうとする。

「逃げちゃだめだ」

 アルマの手を、ニコが掴んだ。

「――っ!? 放せ! 放してくれて!?」

 アルマは必死にニコの手を振りほどこうとするが、強く握られた手はどれだけもがいても解けない。

「――どうして? どうしてだニコ君!? 君はまだ、私に苦しめと言うのか!?」

 ニコは真っすぐにアルマを見返している。その顔には、四六時中浮かべている蜂蜜みたいな笑みは欠片もない。

「ここで逃げたら、アルマさんは二度と学校に通えなくなる。だから行かせない」

「ニコ君……」

 どうしてそんな事を言う? なぜ行かせてくれない? 裏切られた気持ちになりながら、アルマはハッとして気付いた。触れ合う手から大量の魔力が流れ込んでいる。彼の、燃えるような怒りに満ちた熱い魔力が感じられる。激しい怒りと憎悪のせいで、アルマは力を暴走させていた。

「だめだ、放すんだ!? 力が、制御できない!? このままじゃまた君を!?」

「じゃあ、約束して。逃げないで、僕のする事をここで見ていて」

「わかった! わかったから!? なんでもいいからその手を放せ!」

 ニコがじっと見つめる。涙に濡れたアルマの金色の瞳を通して、心につけられた惨たらしい傷口を憐れむように。

「約束だからね」

 静かに言って、ニコは手を放した。その瞬間、アルマはニコが倒れるのではないかと思った。どうにか制御しようとはした。抑えようとはしたのだ。それでも、常人ならとっくに死んでいるような量を奪ってしまっていた。

「ニコ君……君は……」

 なにがしたいんだ?

 続けられずに消えた問いに答えるように、ニコは微笑んだ。いつもの、愛くるしい笑みで。次の瞬間にはそれは消え去り、虚ろな無表情が顔を覆う。

 振り返り、ニコはフレッチャーの元へと向かった。

「なんだよ、チビ助。まだ俺に――」

「アルマさんに謝って」

 フレッチャーの言葉を無視して、ニコは言った。

「……はぁ? だから言ってるだろ。その女が勝手に――」

「僕は見てた。君が脚をかけたんだ。ちゃんとアルマさんに謝って、クリーニング代も払って。じゃなきゃ、許さない」

 ただ、告げる。ありのままを、真っすぐに。背は小さく、頼りない容姿のニコである。そんな彼が凄んでも、迫力などあるはずもない。それなのに、食堂は静まり返った。ニコの発する、静かに煮えるマグマのような魔力がそうさせた。

 フレッチャーは一瞬真顔になると、脈絡もなく笑い出した。取り巻きの女生徒たちは困惑するが、すぐに彼を真似して笑い出す。

「はははは! 許さないと来たか! 笑えるぜ! お前、俺が誰かわかってねぇのか?」

「知ってるよ。女の子に脚を引っ掻けて喜ぶ情けないクズ男だ」

 次の瞬間、ニコの目の前で小規模の爆発が起き、彼を後ろへと吹き飛ばした。

「ニコ君!?」

「ニコさん!?」

 二人の悲鳴が響き渡る。

 受け身も取れず、ニコは仰向けに床に倒れて咳込んだ。

「はっ! なにがロッドの子孫だ。口ほどにもねえ。知ってるんだぜ、てめぇ、そこのクソ雑魚魔王女に負けたんだってな。そんな三下以下のゴキブリ野郎が、軽々しく俺に話しかけてんじゃねぇよ」

 フレッチャーが床に唾を吐く。

「……そっちが先に手を出したんだ」

 呟くと、ニコはのろのろと起き上がった。

「だからどうした? 悔しかったら――」

 フレッチャーの顔面が、食べかけのスパゲッティーの皿に沈んだ。

「アルマさんに謝れって言ってるだ!」

 ニコが吠える。いつの間にか距離を詰め、フレッチャーの頭を掴んでぐりぐりと皿に押し付けている。

 騒然とする食堂で、取り巻きの女生徒達が逃げるように席を立つ。

「――がっ!? ぺっ、あぁが、この、クソッタレが!?」

 フレッチャーの魔力が膨らみ、至近距離で指向性の爆発が爆ぜた。

 ニコは魔力感覚で予備動作を察知し、既に距離を取っていた。

「この野郎!? ぶっ殺してやる!」

 フレッチャーの手首の腕輪が輝き、燃え盛る炎を刀身に封じような意匠の短剣がそれぞれの手の中に現れた。

 狂犬の形相で吠えるフレッチャーを見て、ニコは指をさして大笑いした。

「あはははは! そんな恰好で凄んでも全然怖くないよ!」

 野次馬達も吹き出し、次々に笑い出す。

「な、てめぇら、なに笑っていやがる!」

 わけがわからず困惑するフレッチャーに、取り巻きの女の一人が遠くから鼻を指さすジェスチャーをする。

「あぁ? 鼻がどうしたって――」

 それでようやくフレッチャーも気付いた。先ほどの騒動で口から入ったパスタがにょろりと鼻から飛び出し、ぷらりぷらりと揺れていたのである。

「――っ!?」

 真っ赤になって引き抜くと、鼻の奥をパスタが抜ける感覚に噎せて咳込む。その姿を見て、ニコや野次馬、取り巻きの女たち、果てはアルマやテレーゼすらも腹を抱えて笑い出した。

 その様子に、フレッチャーは激怒する。

 食堂の中央で爆発が起き、テーブルや椅子、生徒達をもみくちゃに吹き飛ばす。

「笑うんじゃねぇ」

 血走った形相に、笑っていた生徒達は大慌てで口を塞いだ。

 ただ一人、ニコを除いて。

「あはははは、あーおかしい。どう? 今ので少しは人に笑われる気持ちがわかった?」

 フレッチャーはニコの言葉など聞こえてはいないらしい。

「この俺に恥をかかせやがって……てめぇ、ただで済むと思うなよ!」

 フレッチャーが駆けだすと、逆手に持った短剣が火を噴き、彼の身体を爆発的に加速させた。

 ニコも身に着けた武具を構えるが、強烈な眩暈に襲われ膝を着く。

「燃えちまえ!」

 フレッチャーの右の短剣が激しく火を噴き、炎の刀身を形成する。左右の推進力のバランスが崩れ、フレッチャーは燃えさかる炎刃のコマとなって襲い掛かった。

 この一撃は防げない。そう思った時だ。

「そこまでよ!」

 凛とした女の声と共に、白銀の巨躯が風のように踊り出て、美しい白金の大剣でフレッチャーの炎撃を受け止めた。

「フレッチャー=バング。私闘をしたいならちゃんと許可を取って、しかるべき場所でやりなさい。何度言ったらわかるのかしら」

 白銀の甲冑が女の声を発した。二メートル以上もある、重装甲の全身鎧である。荘厳な意匠は神秘的で、聖騎士という言葉を連想させる。頭部は流線型の洒落た兜に覆われて顔は見えない。

「……なぁ先輩。不良みたいな見た目をしてるからって偏見で物を言うのは止めてくれよ。このくそったれのチビは、そこの魔王女が勝手にこけたのを俺のせいにして襲ってきたんだぜ。被害者はこっち、こいつは正当防衛って奴だ」

 猫撫で声でフレッチャーが言う。

 甲冑の女は白々しい言い訳を聞かされたように溜息をついた。

「それが本当なら、どうしてあなたの周りでばかり騒ぎが起きるのかしら?」

「不幸な星の下に生まれたんだろうよ。疑うなら、野次馬共に聞いてみな。みんな俺の味方をするはずだぜ」

「野次馬が常に真実を話すとは限らないわ。あなたのような凶暴な生徒を前にした場合は特にね」

「あの~」

 置いてけぼりにされたニコが後ろから話しかけた。

「なにかしら」

「助けてくれてありがとうございますなんですけど、どちら様ですか?」

 肩越しに、聖騎士の兜が振り返る。

「始めましてね、ニコ=ブレイブハート。私は勇者科の二年生で風紀部所属のロリカ=マクシミリアンよ。見ての通り、アカデミーの風紀を守るのが仕事。フレッチャーはああ言ってるけど、反論はあるかしら」

 手慣れた様子でロリカが言う。

「あります! あの人、嘘つきだよ!」右手をあげてニコは言った。

「嘘つきはみんなそう言うぜ。俺はダチと飯を食ってただけだ。そしたらこいつがいきなり俺の頭を掴んで皿に押し付けやがった。先輩だってそんな事されたらキレちまうだろ」

「友達に足を引っかけて転ばせたんです! それで、謝ってクリーニング代払えって言ったら、魔術で僕を吹っ飛ばしたんです。口で言っても分からないから、ちょっと乱暴な事をしました!」

「証拠は? 証人はいるのかよ? いるわけねぇよなぁ? 嘘なんだから」

「いるよ! アルマさんとテレーゼさんが!」

「馬鹿かてめぇ。ダチの証言なんかノーカンなんだよ」

 ニヤつきながらフレッチャーが言う。

「そうなんですか? ロリカさん」

 甲冑が肩をすくめた。

「残念だけどそうなるわね。それに、個人間の争いに対して、風紀部は仲裁はするけど、断罪はしない。基本的にはね。フレッチャーの振る舞いには問題があるけど、風紀部が直接どうこうする段階にはまだないの。腕に自信があるのなら、決闘で解決する事をすすめるわ。正しさを語るには、まず第一に強くなければいけない。それがここでのルールよ」

 なんだか、想像していた勇者学校のイメージと随分違うが、そう言われては仕方ない。

「わかりました。決闘ってどうやったらいいんですか?」

「立会人を立てて宣言するだけでいいわ。勝ち負けでなにかを賭けるなら口頭で宣言して。お互いに同意すればそれでオーケー。あとは模擬戦場を借りる手続きがあるけど、あなたがその気なら立会人を含めてあたしがやってあげましょうか」

 どうやらロリカは、ニコに決闘をさせたいらしい。ロッドの子孫の実力を見たいのか、フレッチャーを懲らしめたいのか。なんにせよ、ニコに異論はなかった。

「お願いします」

 即答すると、ニコはフレッチャーを見据えた。

「フレッチャー、君に決闘を申し込む! 僕が勝ったら、アルマさんを転ばせた事を認めて、二度と意地悪をしないって誓って。ちゃんと謝って、クリーニング代も払って貰うから!」

「上等だ。てめぇが負けたら卒業するまで俺のパシリな」

「随分と不公平な条件だけど、ニコはそれでいいのかしら」

「勿論――」

「早まるなニコ君!」

 アルマが引き留める。

「私の為に、そんな賭けをする必要はない! そいつの魔術を見ただろう? 決闘なんかしたら、大怪我をしてしまう! テレーゼも、黙ってないで止めてくれ!」

 助けを求められ、テレーゼは迷うようにしてアルマ、ニコ、フレッチャーの顔を次々眺めた。思いつめた様に俯くと、なにかを決意して顔をあげる。

「私も……ニコさんと同じ気持ちです」

「テレーゼ!? なにを言っているんだ!? 君は止める側だろうが!?」

「アルマさんは悔しくないんですか? こんな目にあって、人としての尊厳を踏みにじられたんですよ!」

「……悔しいさ。悔しくないわけがない。だが、今のニコ君は――」

「それ以上は言わないで」

 ニコはアルマの言葉を遮った。

「だが!」

「大丈夫だから。僕はとっても強いんだよ。こんな奴、全然敵じゃない。必ず勝つから、僕を信じて」

「ニコ君……」

 ニコの瞳に宿る強い意志の光を見て、アルマはなにも言えなくなる。

「話はまとまったみたいね。この勝負、風紀部のロリカ=マクシミリアンが預かったわ。決闘は明日一七時、場所は第一小模擬戦場とします。以上、解散!」

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