第10話 楽しい朝食?

 食堂に踏み込むと、三人はスポットライトを当てられたみたいに注目を集めた。

「…………だから言ったんだ」

 蚊の泣くような声で言ったのはアルマである。涙目になり、大きな背を精一杯小さくして、ニコの後ろに隠れようとしている。

「アルマさんのせいですよ」

 当てつけのようにテレーゼが言う。

「うっ」

 アルマは呻くと。

「お前が騒ぎを起こしたから余計に目立ってるんだ!」

 テレーゼに言った。

 実際、その通りではあった。噴水通りでの大立ち回りは既に学校中の噂になっている。魔王の子孫が勇者の子孫を操って手駒にし、止めに入ったイーサ教徒の医術生も取り込まれた、あるいは勇者の子孫を取り合っての痴情のもつれ等々。そんな事になっているとは、三人はまだ知らないのだが。

「気にする事ないよ。それよりご飯ご飯! 僕もうお腹ペコペコだよ!」

 ただ一人、ニコだけは能天気なものである。

 いがみ合う二人の後ろに回り込むと、背中を押して大皿の並んだカウンターへと突き進む。

 最初は怯えていたアルマだが、カウンターに並んだ料理を見ると目の色が変わった。

「なんだ、これは? 本当にこれが全部食べ放題なのか?」

 信じられないという様子で目をパチパチさせる。

「ね! 来てよかったでしょ? 昨日食べたけど、どれもすごく美味しいんだから!」

 大声ではしゃぐニコの姿に、カウンターの向こうで働く料理人達が嬉しそうにはにかんだ。

「どれにしようか迷ってしまうな……」

「僕のおススメはね~、これとこれとこれとこれ!」

 目移りをして立ち尽くすアルマのトレーに、ニコはピザやハンバーガといったジャンクな料理を次々のせていく。

「ニコ君!? 気持ちは嬉しいが、そんなに盛られても食べられないぞ!?」

 ニコが山盛りにしようとするので、アルマはトレーを高く掲げてそれを阻止する。

「え~? アルマさんって案外小食なんだね」

「案外って……確かに私は背の高い方だが、一応これでも女なんだ。男の子みたいには食べられないよ」

 背が大きい事を気にしているのだろう。すこしむくれてアルマは言う。

「じゃなくて。魔術士なのに小食だなって」

「そうなのか? 私は身の回りに魔術を使える人間があまりいなかったからよく分からないのだが」

 言いながら、アルマは辺りを見渡した。確かに、アカデミーの生徒は大食いばかりだ。男子はもちろん、アルマより線が細く小さな女の子ですら、信じられない量をトレーに盛っている。トレーを二枚並べている者も少なくない。

「魔術士は普通の人よりも沢山魔力を使うので、その分多く食べるんです。その中でも魔力の消費が激しい戦闘術士は特に大食いだと言われてます。常識ですよ?」

 当て擦るようにテレーゼは言う。彼女のトレーはニコに比べれば控え目だが、それでもアルマの倍は料理が盛られている。

「し、仕方ないだろ。授業に出れていないんだから」

「そんな当たり前の事、授業では習いませんよ。その程度の知識で、よく勇者になろうと思いましたね」

「……悪かったな。私は、孤児院で育ったんだ。君のように、恵まれた環境にはいない」

 俯くと、アルマは悔しそうに唇をかんだ。

「テレーゼさん」

 あんまり意地悪しちゃだめだよ! そんな目で、ニコがテレーゼを見つめる。

 ニコに言われたからではないが、テレーゼの胸にも罪悪感の針が刺さっていた。

 テレーゼの両親は敬虔なイーサ教徒だ。優れた医術士であり、職業勇者でもある。イーサ教の教えを広めつつ、魔物や災害に襲われた場所に出向いて、問題の解決と医療行為を行っている。戦う事が勇者の仕事ではない。大事なのは命を救う事だ。そんな両親の背中を見て育ったテレーゼは、自分も二人のような医術の使える勇者になりたいと思っていた。故郷には、両親の建てた教会孤児院もある。そこに両親は、力及ばず孤児となってしまった子供達を引き取り育てていた。多忙で留守の多い両親である。テレーゼも、幼い頃からそこに入り浸って、年上の孤児たちに世話をして貰ったり、年近い孤児たちと遊んだり、年下の孤児の世話をしていた。不幸な理由で親を失ってしまったが、みんな自分と変わらない人間ばかりだ。同じように夢があり、やりたい事があった。けれど、お金が理由で学校に通えない子達が多かった。ボランティアの先生や、院を巣立って自立した孤児達が先生役をしに来てくれる事があるが、どうしても普通の学校には劣ってしまう。そのせいで、夢を諦めないといけない子達を何人も見送った。姉のように慕っていた子に言われた言葉をテレーゼは今も忘れられない。羨ましそうに彼女は言った。テレーゼはいいよね、両親がいて、学校にもいけて。頭の良い子だった。建物が好きで、小さい頃は建築家になりたいと無邪気に言っていた。今は、どこかのブドウ畑で働いている。

 彼女の顔がアルマと重なり、テレーゼの胸は窒息しそうな程に苦しくなった。

「……ごめんなさい」

 誰に対しての謝罪なのかわからない。あるいは、本当に謝罪だったのかも。ただ、胸を鷲掴みにする罪悪感から逃げたくて絞り出したような言葉だった。

「……い、いや。そんなに真剣に謝ってくれなくてもいいんだが……私に学がないのは本当の事だし……」

 突然のテレーゼの変貌に、アルマも困惑した。ニコも不思議そうにして、二人で顔を見合わせる。

「……別に、アルマさんの事を信用したわけじゃありません。ただ、もしかすると、ニコさんの言う通り悪い人ではない可能性も一パーセントくらいはなくはないので。その……」

 歯切れの悪い言葉に、アルマが首を傾げる。

「もどかしいな。君はなにが言いたいんだ?」

「……べ、勉強ですよ。学がないと言うのなら、教えてあげても構いません。えぇ、そうです! 大切なのは啓蒙です。仮にアルマさんの中に邪な考えがあったとしても、私が正しい教育を施す事で更生させる事が出来るかもしれませんから」

 そうとも。アルマを信じたわけではない。信じられないからこそ、信じられるように教育するのだ。これは立派な奉仕活動だ。そんな風に、テレーゼは自分に折り合いをつける。

「……いや、君のような尊大な態度の人間から教わるような事は何もないのだが」

 なにを勝手に盛り上がっているんだこいつは? そんな白けた目をしてアルマは言った。

「なっ!? 折角私が譲歩したのに、そんな言い草がありますか!?」

「どこが譲歩だ。雲の上にでもいるような物言いをして。君に教わらなくても私にはニコ君がいる」

 ふんとアルマがそっぽを向く。

「ごめんアルマさん! 僕、勉強は全然ダメなんだよね!」

「だそうですけど?」

 勝ち誇った顔でテレーゼがいった。

「……それならそれで、自力で勉強するだけだ」

「ふーん。そうですか。一週間以上も授業を休んで、予備知識もたいしていないのに、今から追いつくのはものすご~く大変だと思いますけど。私は勇者科の授業も受けているので、ノートを見せてあげようかと思ったんですけど、そうですか。ふ~ん」

「ぐ、ぬ、ぬ……なんなんだ君はさっきから! 私に嫌がらせをしたいのか!?」

「違うよアルマさん。テレーゼさんはアルマさんと仲直りがしたいんだよ。でも、素直になれないからこんな言い方になっちゃってるだけなんじゃないかな。そうだよね? テレーゼさん」

「ニコさん!? その言い方は、あまりにも身も蓋もないと言うか……私にも、人並みに見栄というものがあると言うか……」

 真っ赤になってテレーゼが弁解する。

「……驚いたな。本当なのか?」

 信じられないという風にアルマが疑う。アルマにはあれこれと酷い事を言ってしまった。疑われるのも当然だろう。

「だからその……アルマさんがこれと言った悪事をしでかすまでは、とりあえずグレーという事で、勉強を教えてあげてもいいかなと……あなたが嫌なら無理強いはしませんが……」

 恥ずかしいやら情けないやらでテレーゼは体が熱くなってきた。本当の自分はこんな風に意地っ張りではないはずなのだが。ニコの件や魔王の子孫という色眼鏡のせいで、色々と拗らせてしまったらしい。少しでも彼女の事を普通の人間として認めてしまうと、途端に今までの失礼な仕打ちが思い出されて、恥ずかしくなってしまう。それが余計にテレーゼを意地っ張りにするのだった。

 ちらちらと上目づかいでアルマの顔色を伺う。

「……はぁ」

 アルマは大きなため息をついた。

「テレーゼが私に意地悪をしないのなら、嫌がる理由は特にない。勉強を教えてくれるのは、素直に助かる。君の言う通り、今から授業についていけるか不安には思っていた」

「アルマさん……」

 その言葉に、テレーゼはホッとした。胸につかえていた苦い塊が取れたような気分である。

 そんな二人を、ニコは微笑ましく見守っていた。アルマは良い子である。少し話すだけでニコにはそれが分かった。それならば、テレーゼにだって分からないはずはないのである。

 料理を盛り終え、三人はトレーを手にして歩いていた。

 食堂は今日もほとんど満席で、ずっと奥の日陰の空席を目指している。

「――ぁ」

 突然の事だった。

 アルマが躓き、前のめりになって倒れていく。

 手を伸ばそうにも、ニコの両手はトレーで塞がっていた。

 アルマの倒れる様が、酷くゆっくりに見える。

 アルマはトレーを手放さなかった。宝物のように大事に抱えたまま、顔からトレーの上に倒れ込む。

 がしゃん!

 トレーの叩きつける音がやけに大きく響いた。

 それがなにかの合図であるかのように、食堂から音が消えた。

 衣擦れの音すらはばかれるような気まずい静寂の中、アルマは料理に顔を埋めたまま、ぴくりとも動かない。

 忍び笑いが静寂を破る。

 くすり、くすりと、あははは、あはははと。

 笑い声は転げて膨らむ雪玉のように大きくなり、食堂を満たした。

「だっせぇ! なにやってんだよ!」

「あははは! 魔王女が食堂なんかに来るからこんな目に合うのよ!」

「お前の顔を見てると飯が不味くなるんだ! これに懲りたら二度と顔を見せるなよ!」

 心無い声が飛ぶ。

 アルマの肩が震えだす。

 抑えきれずアルマの漏らした嗚咽がニコの胸を締め付けた。

「なんですか……これは。なんなんですかこれ!?」

 蒼白になってテレーゼが叫んだ。

「こんなのって、あんまりじゃないですか! 確かに彼女は魔王の子孫かもしれません! でも、そこまでする必要がありますか!? そこまでされるような事をしたんですか!?」

 おぞましい悪意に眩暈を感じながら、テレーゼは激しく己を恥じていた。自分だって彼らと変わらない。ニコと出会わず、アルマと話す事もなければ、あちらの側で笑っていただろう。

「脚をかけて転ばせるなんて! アルマさんが、あなたになにをしたというんですか!?」

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