第9話 私が守らないと
「……ん、ん」
テレーゼが瞼を開くと、そこには視界いっぱいに広がるニコの顔があった。
「ぁ、起きた。おは――」
「ふぁ!?」
至近距離で顔を覗きこむニコに驚いて飛び起きる。
必然、二人額がゴチンとぶつかった。
「ふご!?」
「はぅ!?」
瞼の裏で火花が散り、お互いにしばし悶絶する。
「……なにをやっているんだ」
呆れた声で言ったのは……魔王女だった。
どうしてあいつがここに? ていうか、ここはどこ?
痛みに涙を滲ませながら辺りを伺う。
どうやら医療棟の病室のようだが。
「……なんで、お前が……ていうか、どうして私はこんな所に……」
わけがわからず呻く。
本当に、わけがわからない事ばかりだ。
どうしてニコは魔王女と一緒にいたのだろう。
一緒に登校し、楽し気に話をして、じゃれ合うように首を絞めて。
それを見ていたら、頭に血が上ってしまった。
おまけに、一緒に住んでいるだと?
悪夢にしたって質が悪い。
「テレーゼさん白目を剥いて倒れちゃったから。とりあえず医療棟に運んだんだよ」
赤くなった額をさすりながら、にこやかにニコが言う。
「……ずっと見ててくれてたんですか?」
「心配だったから。誤解も解かなきゃだし」
「ニコ君に感謝するんだな。貴様のせいで午前中の授業をサボる事になった」
不服そうに魔王女が言う。腹立たしいが、それよりもニコに対する申し訳なさが勝った。
「……ごめんなさいニコさん。迷惑をかけるつもりじゃなかったんです……」
「気にしないでよテレーゼさん。授業なんかよりテレーゼさんの誤解を解く方が大事だし。アルマさんも、意地悪言っちゃだめだってば」
「しかしニコ君! この女は!」
「列車の時と同じだよ。ちょっと誤解があっただけ。テレーゼさんも本当は良い人なんだから。怒んないであげて」
「……ニコ君がそう言うのなら」
不承不承という感じで魔王女が言う。
テレーゼは泣きたくなった。相変わらずわけがわからないが、一つだけ確かな事がある。ニコはニコだ。気高く、優しい、勇者の子孫の名に恥じぬ男の子。不可解な行動を取ってはいるが、魔王女に操られての事ではない。
きっと、なにか理由があるのだろう。
それなのに、自分はとんでもない事をしてしまった。
頭に血が上り、乱暴な言葉を使って暴れ回った。
きっと幻滅された。嫌われたに違いない。
そう思うと、やきれない想いが涙となって流れ落ちる。
「テレーゼさん!? どうしたの!? もしかして、どこか怪我した!?」
泣き出すテレーゼを見て、ニコはおろおろして言う。
「違うんです……あんな事をして、ニコさんに嫌われたと思ったら悲しくて……」
「嫌ってなんかないよ! テレーゼさんは僕を心配してくれたんでしょ? ちゃんとわかってるから、そんな風に泣かないでよ!」
飼い主を心配する子犬のようにニコが下から覗き込む。可愛いなとテレーゼは思った。愛らしくて、抱きしめたくなる。こんな時にそんな事を思うなんて、自分は悪い女だ。
「……本当ですか?」
彼ならきっと許してくれる。それをわかって尋ねる白々しさに内心で呆れながら、テレーゼは聞いた。
「テレーゼさんに嘘ついたりしないよ! アルマさんの事もちゃんと話したいし。だから僕の話、落ち着いて聞いてくれる?」
そんな話は聞きたくないが、そういうわけにもいかないだろう。
魔王女を一睨みすると、精一杯の笑みをニコに向けて、テレーゼは答えた。
「もちろんです!」
かくかくしかじか。
途中で叫びだしたくなるのを何度も堪えて、どうにかこうにか最後まで聞き終える。
「納得出来ません!」
その上で出した答えがそれだった。
「えぇ!?」
寝耳に水という風にニコが戸惑う。
「どこか変だったかなぁ?」
「全部変ですよ! だってそんな……この女は――」
「アルマさんだよ。ちゃんと名前があるんだから、そんな風に呼んだらよくないよ」
悲しそうな顔をされて、テレーゼの胸はチクりと痛んだ。
「……アルマ……さんは……」
ぎりぎりと奥歯を噛み締めながら、不承不承言い直す。
それだけで、ニコは嬉しそうに微笑んだ。
……それならば……仕方ない。
物凄く嫌だが、譲歩しよう。
「――赤の他人じゃないですか。自分の住んでる下宿を紹介して、一緒に登校して授業も一緒って。そこまでする筋合いがありますか?」
「あるよ!」
即答されて、テレーゼは眩暈を覚えた。
そうなのだ。彼はそういう人間なのである。
「それに、アルマさんは赤の他人じゃないよ! 友達だよ! 友達が困ってたら助けないと!」
正論だ。完膚なきまでの正論。完全無比の正論。そしてなにより、絵空事のような正論である。
「でも……その女……アルマさんは魔王の子孫なんですよ?」
「僕はそういう考え方、好きじゃないな」
また、ニコは悲しそうな顔をする。
「でも……」
「考えてみてよテレーゼさん。もしアルマさんが魔王の子孫じゃなかったら、同じ事が言える?」
「……そもそも、魔王の子孫じゃなくても、ニコさんの行動はやり過ぎだと思います」
テレーゼは言う。長年の親友ならいざ知らず、一度会っただけの、しかも事故とはいえ、自分の事を殺しかけたような相手の為にそこまでするような人間はいない。
「でも、アルマさんが魔王の子孫じゃなかったら、そんな風には止めなかったでしょ?」
真っすぐな瞳でニコが問いかける。
感情に任せて嘘を言う事は出来た。
だが、彼に対しては、それはしたくなかった。
「……立派な行いだと思ったと思います」
「でしょ! だったら――」
テレーゼは言葉を被せた。
「でも、アルマさんは魔王の子孫なんです。私だって、ただそれだけで邪悪だとは言いません。勇者によって魔王が倒されなければ、アルマさんは王族の家系です。こんな風に白い目で見られる事もありませんですした。その事で勇者やその子孫を恨んでるかもしれない。現にアルマさんはニコさんの事を殺しかけたじゃないですか。ニコさんは、本当に危なかったんですよ? あと少しで死ぬところだったんです。友達と言うなら、ニコさんだって私にとって大切なお友達です! そんな危ない人と一緒にいるなんて、見逃せません!」
必死に訴える。その気になれば、魔王女はいつでもニコを殺せるのだ。その事を思うと、テレーゼは生きた心地がしない。
「む~」
その事をちゃんと分かっているのだろうか。ニコは困り顔で唸ると、魔王女を振り向いた。
「アルマさん、僕の事恨んでる?」
「いいや。先祖の行いを恥じる事はあっても、自分の境遇を勇者のせいにした事など一度もない」
「だよね」
わかりきった事を確認するように言うと、ニコがこちらを向く。
「そんなの、口ではどうだって言えます!」
「ん~、つまり、テレーゼさんはアルマさんの事が信じられないって事だよね?」
悩まし気に呻ると、ニコは言う。
「そういう事になると思います」
というか、こんな奴を信じるなんて、ニコはお人よし過ぎる。それが彼の良い所なのだろうが、流石にこれは行き過ぎだ。
「じゃあさ、テレーゼさんも僕達と一緒に住む? それで、一緒に朝ごはん食べて、一緒に通学して、一緒に授業受けるの。そうすればアルマさんの事を信じられるようになるんじゃないかな?」
突拍子もない提案にテレーゼは唖然とした。
「ニコ君!? 私は反対だ! その女は――」
「テレーゼさんだよ。アルマさんも、ちゃんと名前で呼んであげて」
「……テ、テレーゼは、いきなり鈍器で殴りかかってくるような女なんだぞ! そんな奴と一緒に住んだら、命が幾つあっても足りはしない!」
「大丈夫だって。さっきの事はテレーゼさんも反省してるみたいだし、もうしないよ。ね? テレーゼさん」
「……え、えぇ」
上の空で答える。
ニコと一緒に住む?
一つ屋根の下で?
朝も、昼も、夜も、ずっと一緒?
「だとしても……テレーゼだって今住んでいる下宿なり寮なりがあるはずだ。そんな理由の為に引っ越しをさせるのは――」
「引き払います。えぇ、引き払いますとも。ニコさんと一緒に住めるなら、喜んで引っ越します!」
薔薇色の気分でテレーゼは言った。
「いや……君、目的が変わっていないか?」
「はぁ? そんなわけないですけど。一緒に住めばあなたからニコさんを守れます。下心なんて、これっぽっちもありません」
睨みつけると、魔王女は情けない顔をして怯んだ。
「うぅっ。ニコ君、本当にこんな女と一緒に住むのか? 私は嫌なんだが……」
「大丈夫だよ。今はちょっとすれ違ってるけど、一緒に暮らせばすぐに誤解は解けるから。そしたら後は仲良くなるだけでしょ? やったねアルマさん、女の子の友達第一号だよ!」
「全然嬉しくないんだが……」
「それはこちらの台詞です。絶対に化けの皮を剥いでみせますから、そのつもりで」
きゅるるるる。
ニコのお腹が可愛い音で鳴いた。
「えへへへ。お腹空いちゃった」
はにかんでニコが言う。今日からずっと彼と一緒だ。そう思うと、テレーゼの身体は悦びで震えた。
「お昼時ですもんね。私はもう大丈夫なので、このまま食堂に行きましょうか」
「そうしよう! アルマさん食堂は初めてだよね? アカデミーの食堂って凄いんだよ~!」
「食堂か……人目の多い場所は遠慮したいのだが」
「嫌ならどうぞご勝手に。私はニコ君と食堂に行くので」
「ふぇっ」
情けない声を出して魔王女が涙目になる。どうせウソ泣きだろうが。
「テレーゼさん、意地悪しないで。アルマさんが行かないなら、僕も行かないからね」
「……アルマさん、スイーツはお好きですか? お好きですよね女の子ですから。食堂には色んなスイーツが揃ってるのでつべこべ言わずに行きましょう?」
「……は、はい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。