第8話 誤解だよ! テレーゼさん!?

「ふぁ~~~……ほぁ」

 大欠伸を隠そうともせず、ニコはアカデミーの前庭を歩いていた。

 アカデミーの敷地は巨大な公園のようだった。舗装された道は広く、あちこちに街路樹が植えてある。学びの門と呼ばれる巨大な校門を抜けて、今は噴水通りと呼ばれる場所を歩いていた。大きな十字路で、中央にはロッドを含めた伝説の勇者の一団がかっこいいポーズで折り重なった意匠の噴水が睨みを利かせている。

 真っすぐ行けば校舎棟や実習棟があり、右に曲がれば運動場や模擬戦場がある。左手には学生寮があり、朝の授業を受けに行く大勢の生徒が川のように流れている。

 ニコのように、学びの門を通ってやって来る生徒は多くない。通学の便を考えれば、寮を借りるのが普通なのだ。

「アルマさんが起こしてくれなかったら寝坊してたよ。最初は大家さんが起こしてくれてたんだけど、毎日だし寝起きも悪いしで最近は起こしてくれなくて。僕も出来るだけ頑張ろうとは思ってるんだけど、もしだめだったらまた起こして貰えないかな?」

 並んで歩くアルマに言う。アルマが起こしてくれたおかげで、久々に大家さんの手作り朝ごはんを食べる事が出来た。通学中も色々とお喋りが出来るし、同じ下宿に友達がいると心強い。誘ってよかったなぁとニコは思った。

「……ニコ君には世話になったからな……それくらいなら、お安い御用だが……」

 俯き加減のアルマは、内緒話でもするように呟いた。朝は元気だったのに、アカデミーに近づくにつれ、どんどん元気がなくなっている。

「どうかした?」

 あっけらかんとニコは聞く。

 アルマは周囲の人間と目が合う事を恐れるように視線を下げたまま、申し訳なさそうに言った。

「私のせいでニコ君まで変な目で見られている。こうなるだろうとは思っていたが……嫌な思いをさせてすまない……」

 言われて、ニコは周りを見た。大勢の生徒がこちらを見ている。驚いて目を丸くし、指をさして内緒話をしている。嫌な顔をする者や、小馬鹿にしたように笑う者もいる。その内の何組かと目を合わせると、ニコはにっこり笑って手を振った。相手は気まずそうな顔すると、歩く速度を落として人ごみに身を隠した。

「僕はそんなに気にならないけど。アルマさんは大丈夫?」

「……平気とは言えないが。一人でいるよりはずっとマシだ。ニコ君が一緒なら、どうにか頑張れると思う」

「ならよかった!」

 にっこりとニコは笑った。その為に一緒に通学しているのだ。

「でも、あんまり気分よくないよね。どうにかして、アルマさんの誤解を解けないかな~」

 これでは、あまりにアルマが可哀想である。

「私が魔王の子孫である以上無理な話だ。髪を染め、肌を隠し、サングラスでもしていればよかったのかもしれないが、今となっては手遅れだろう」

「そうかな~。アルマさんは良い人だから、本当のアルマさんを知って貰えば、みんなも意地悪しない思うけど」

「気持ちは嬉しいが、そう思うのはニコ君ぐらいのものだよ」

「そんな事ないよ! 大家さんだってアルマさんの事わかってくれたし! 今はダメでも、そのうち分かって貰えるよ!」

 アルマは言い返そうとするが、言葉を飲み込み、苦く笑った。

「……そうだといいな」

「その為には……そうだ! 少しずつ友達を増やして、アカデミーのみんなと友達になっちゃえばいいんだよ! うん、そうしよう!」

 一人で納得すると、困惑するアルマにニコは言った。

「とりあえず、目標百人って事で!」

「む、無理を言うな! 私は、ニコ君みたいに社交的じゃないんだ! その、人見知りで、根暗だし、知らない人と喋るのも苦手で……」

「そこは僕がサポートするから! そうと決まれば、だ~れ~に~し~よ~う~か~な~っと。とりあえず、あそこの顔の怖いモヒカンの男の子に――」

「待て! まさかニコ君、あの見るからに不良顔の少年に話しかけに行こうとしてるんじゃないだろうね!」

「そうだけど?」

「なにか問題でも? みたいな顔をするんじゃない! 知らない人に友達になって下さいと突撃するだけでもおかしいのに、あんな怖そうな人! 絶対にトラブルになる!」

「アルマさん。人を見た目で判断しちゃよくないよ?」

 頬を膨らませてニコは言う。

「そ、それは私もそう思うが、そうは言っても……」

 よほど嫌なのだろう、アルマはちらちらと不良少年を盗み見ると、涙を滲ませてニコを見返した。

「……そっか。そうだよね……アルマさんの気持ちを考えないで僕……」

 しょんぼりしてニコは言う。

「……そんな風に落ち込まないでくれニコ君。私の為を思ってくれる気持ちはとても嬉しいんだ」

「うん、わかってる。アルマさんだって友達が欲しいに決まってるもん。でも、男の子枠は僕がいるし、次は女の子がいいって事だよね!」

「いや、ニコ君? そういう話ではないのだが……」

「遠慮しないで大丈夫だよ! それじゃあ改めて、だ~れ~に~し~よ~お~か~な~っと、出ました! あそこの……ゴリゴリの化粧をしたおじさんにしか見えないけど、スカートを履いてるから多分女の子っぽい雰囲気の子に!」

「ニコ君!? もしかして、君はわざと変な人を選んでいないか!?」

「そんな事ないよ! 面白そうな人を無意識に選んでるだけ!」

「自白してるじゃないか! 私は嫌だぞ! 二人目の友達にアレはハードルが高すぎる!」

 アルマはニコの襟元を掴んでがくがくと揺さぶった。

「その手を、放せええええええ!」

 突然の絶叫に振り向く。

 鬼の形相をしたテレーゼが凄まじい速度でこちらに駆け寄っていた。全身が淡く光って見えるのは、身体強化術によるものだろう。

 右手を掲げると、テレーゼの手首の腕輪が輝き、どこからともなく、先端が巨大な鉄球になった両手持ちのメイスが現れた。空中でそれをがっちり掴むと、テレーゼはアルマに向かって思いきり振り下ろす。

「――ひぃ!?」

 いきなりの事にアルマは反応できずにいる。

 ニコはアルマの手を振りほどくと、素早く腰の剣を抜き、鉄球の側面を思い切り叩いて軌道を逸らした。

 ばごん! 大質量の一撃が石畳を砕いて地面を揺らす。

「ニコさん!? なんで邪魔するんですか!?」

「危ないからだよ!?」

 困惑するテレーゼにニコは言った。

「ニコさん……」

 テレーゼはショックを受けたような顔すると、殺意のこもった眼でアルマを睨む。

「お前ぇええ! ニコさんに精神操作をかけたな!」

 半ば地面に埋まったメイスを軽々引き抜くと、横なぎのフルスイングでアルマを狙う。

「――ひぃ!? なんなんだお前は!?」

 アルマは恐怖で腰が抜けたのか、その場にしりもちをついている。

 ニコは背の小盾を構え、二人の間に割って入る。

「――うわぁぁぁぁぁ!?」

 鉄球の一撃を小盾で弾くが、衝撃でニコも吹き飛んだ。

「ニコ君!?」

「ニコさん!?」

 植え込みに墜ちたニコを慌てて二人が追いかける。

「だ、大丈夫ですかニコさん!?」

「大丈夫なわけないだろう! いきなりあんな真似をして、君は頭がおかしいんじゃないのか!?」

「黙れ魔王女! お前がニコさんを操ったりしなかったら事にはならなかったんだ! ニコさんを元に戻せ!」

「は、はぁ!? なんの話だ!? ニコ君を操るなんて、そんな真似はしていない!」

「嘘をつくな! お前をぶちのめして、無理やりにでも術を解いてやる!」

「ストップ!」

 植え込みから顔を出すと、ニコは身体強化を使って叫んだ。爆撃の如き声量に、二人のみならず周囲の野次馬までもがたじろいで耳を塞ぐ。

「喧嘩はだめ! テレーゼさんは落ち着いて! 僕は操られてなんかないから!」

 テレーゼの目を真っすぐに見てニコは言う。

「……でも、その女はニコさんの首を絞めて殺そうと……」

 わけがわからないという風にテレーゼ。

「誤解だよ! ちょっとふざけてただけ! そうだよね? アルマさん」

「当然だ! ニコ君は私の恩人なんだ! 殺すなんてとんでもない!」

 アルマは言うが、テレーゼに睨まれ、怯えるように視線を逸らす。

「……そんなの、信じられません! 大体、どうしてニコさんがこんな奴と一緒に登校してるんですか! それこそ、ニコさんが操られてる証拠じゃないですか!」

「えーっと。話せば長くなるんだけど、実は僕達――むぐっ?」

 説明しようとするニコの口を、アルマの手が塞いだ。

「ほーひはほ、はふははん?」どーしたの、アルマさん?

「どうしたもこうしたもない! このイカレ女は君に対して並々ならぬ感情を持っている。同じ下宿に住んでいるなんて言ったら、ブチ切れて大変な事になるぞ!」

「イチャイチャするんじゃあない!」

 テレーゼが足元にメイスを叩きつける。

「内緒話をして! やっぱりお前が操っているんでしょう!」

「ち、違うと言ってるだろうが! 私にはそんな事をする技術も理由もない! どうしたら信じてくれるんだ!」

「理由なんてどうでもいい! お前ばぶっ飛ばして、二度とニコさんに近寄れない身体にしてやる!」

「ほら! 隠し事をするからややこしい事になるんだってば!」

 アルマの手の中から抜け出すと、テレーゼの前に立ってニコは言った。

「僕達、一緒に住んでるんだよ!」

「ニコ君!? その言い方は語弊がありすぎるぞ!?」

 アルマが周りの目を伺った。黒山の人だかりと化した野次馬達は、ニコの爆弾発言に目を丸くしている。

 肝心のテレーゼはと言えば。

「一緒に? 住んでいる? 魔王女と、にににに、ニコ、さん、が? ぁ、ぁが、ぁがが、ががががががが!?」

 テレーゼは目を見開くと、血走った目の焦点が右に左に暴れ回り、全身が感電したみたいに痙攣する。それが止まると、目玉がくるりとひっくり返り、テレーゼは棒のように身体を硬直させ、ゆっくりと仰向けに倒れていく。

「テレーゼさん!?」

 ニコは慌てて彼女の背後に回り身体を支えるが。

「ふご!? おももも、おもたい!?」

 テレーゼはがっちりメイスを抱いている。ニコの身体強化はもう解けていた。超重量を支えきれず、ニコはテレジアの下敷きになった。

「アルマさ~ん! 助けて~!」

 テレーゼの尻に顔を潰されながら、ばたばたとニコがもがく。

「なんなんだ……この女は……」

 頭痛を堪えるようにこめかみを押さえ、げっそりとしてアルマは言うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る