第5話 僕と昼食と気になるあの子

「あのくらいの事でニコさんを立たせるなんて、アンブロワーズ先生は心が狭すぎます!」

 腹立たし気に言うと、正面に座ったテレーゼがパンを頬張る。

 アンブロワーズ=ゾエ先生の魔物学の授業が終わった後だった。

 ニコはテレーゼと一緒に中央食堂で昼食を食べていた。

 食堂は白を基調とした洒落た作りで、丈夫そうな長テーブルがずらりと並んでいる。

 席数は千に近いという話だが、ほとんど満席である。アカデミーには他にも二つの大きな食堂があるというのだから驚きだ。

 中央食堂はブッフェ形式で、奥のカウンターには様々な料理の盛られた大皿が並んでいる。向こう側は厨房になっており、大勢の料理人が忙しく働いていた。

「でも面白かったね。次の授業が楽しみだなぁ」

 立たされたのは恥ずかしかったが、はしゃいでいたのは事実である。びっくりはしたが、悪い先生という印象はない。むしろ、面白い先生だなとニコは感じていた。

「ん~、美味しい! ピザって僕、初めて食べたよ。見た事ない料理が沢山あって、最高だね!」

 トレーに盛った料理を頬張りながらニコは言う。ピザ、ステーキ、フライドチキン、ハンバーグ、どれも故郷では珍しい食べ物ばかりだ。しかも全部食べ放題。その分学費も高いのだが、それ以上の価値はあると感じた。

「だめですよニコさん。育ち盛りなんですから、ちゃんと野菜も食べないと大きくなれませんよ」

 そう言うと、テレーゼはボウルに盛った山盛りサラダをこちらに押し付けた。やけに野菜ばかり盛っていると思ったら、ニコの分だったらしい。

「はーい……」

 まぁ、言われるかなとは思っていた。ニコのトレーは見事に茶色と黄色しかない。炭水化物と肉ばかりだ。野菜と言えば、ハンバーガーの間に挟まっているトマトとレタスくらいのものである。

 野菜嫌いというわけではないが、野菜で腹を満たすくらいなら沢山お肉を食べたいと思ってしまうお年頃だ。半ば作業のように口にサラダを詰め込むと、上から肉を押し込んで誤魔化す。

「そんなに沢山お口に入れたらお行儀が悪いですよ」

 テレーゼが言う。詰め込み過ぎてニコの頬は風船のように膨らんでいた。

「は~い」

 ごっくんと飲み込み返事をする。

「口の周りをこんなに汚して]

 身を乗り出すと、テレーゼはハンカチでニコの口元を拭った。

「ありがと。テレーゼさんって、なんだかお母さんみたいだね」

 他意はないのだが、言われたテレーゼはバツが悪そうに頬を赤くした。

「ごめんなさい……教会では子供達のお世話をしていたので。お節介でしたよね……」

「ううん。僕って結構だらしないタイプだから、テレーゼさんみたいな人がいてくれた方が助かるよ」

 ベルファレストにいた頃も、落ち着きがないとか行儀が悪いとよく叱られていた。そんな自分が自由気ままな下宿生活など送ったら、際限なくだらしなくなってしまうのでないかと母親も心配していた。実際既に、その兆候は見えている。テレーゼのように叱ってくれる人間はありがたい。

「そ、そんな、私と一緒だと助かるだなんて……」

 褒められたのが嬉しかったのか、テレーゼは真っ赤になって三つ編みの先端を弄った。

 面白い人だなと思いつつ、ニコは食堂を見渡した。

「どうしたんですか?」

 不思議そうにテレーゼが尋ねる。

「アルマさんがいないかなと思って。退学は取り消しになったのに全然見ないからさ」

 あれから三日たっている。アルマも同じ勇者科だ。受講する授業をある程度好きに選べると言っても共通の必須科目はある。まったく会わないはずはないのだが。

「……いいじゃないですか。あんな女の事は」

 急に不機嫌になってテレーゼは言った。

「でも心配だよ。アルマさん、思いつめて自殺までしようとしてたんだよ?」

「ニコさんの気を引く為の演技だったんじゃないですか」

 興味なさげにテレーゼは言う。

「違うよ! たまたま僕が居合せたからよかったけど。それだって、元を正せば全部僕のせいだし。なにかあったのかなぁ……」

 思い返せば繊細そうな女の子だった。そう思うと、むくむくと不安が膨れ上がる。何もなければいいのだが。

「……そんなに心配なら、様子を見に行ったらいいじゃないですか」

 不貞腐れてテレーゼが言う。

 その言葉で、ニコの気持ちは決まった。

「そうだよね! こんな所でぐちぐち言ってても仕方ないし! テレーゼさんの言う通りだよ!」

 残った料理を瞬く間に平らげると、トレーを持って席を立つ。

「ありがとうテレーゼさん! 僕、行ってくるね!」

「行ってくるねって、午後の授業はどうするんですか!?」

「様子を見たらすぐに戻るから!」

 肩越しに言いながら、ニコは食堂を飛び出した。アルマの下宿は市街の端っこだ。どう頑張っても今からでは午後の授業に間に合わないが、細かい事は考えないニコだった。

「ニコさん!?」

 呼び止めるテレーゼの声はニコには届かず、後には一人、賑やかな食堂に取り残される。

 茫然とするテレーゼは涙を浮かべ、大人しそうな顔はぐらぐらと湯が煮えるように憤怒の形相へと変わった。

 どかん!

 乙女の細腕とは思えない強烈な台パンがテーブルを揺らし、賑やかな食堂の団欒を凍てつかせた。

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