第3話 死にたい魔王

 一口に王都と言っても広い。立派な建物が並ぶ中心街もあれば、廃墟同然の建物が並ぶスラムもある。流石にそこまで酷くはないが、アルマの下宿はそんな場所にほど近い、寂れた裏通りにひっそりと立つ古びた安宿だった。

 学校からは遠いし、治安は悪く、狭いし暗いし汚いし臭いし壁は薄いし家賃がものすご~~~く安い事以外に何一つ良い所のないというか悪い所しかない場所である。

 それでも、アルマには他に選択肢がなかった。アカデミーの学費は高い。寮を借りる余裕などなかった。孤児院のみんなにお金を出して貰い、それでも足りずに借金までした。

 ……それなのに。

 勇者資格を取ることも出来ず。

 たった一度も授業を受ける事なく退学になってしまった。

 みんなに合わせる顔がない。

 こんな状態では孤児院にも戻れず、かといって他に行く当てもない。

 勇者科の生徒は職業勇者の仮免許が与えられる。そうすれば、学生向けの依頼を受ける事が出来るので、それで生活費を賄うつもりだった。

 全部パーだ。

 手持ちのお金は残りわずか。

 この一週間、ろくに食べていない。

 彼を殺してしまった罪悪感もあり、どの道食事など喉を通らなかったが。

 毎日、真綿でじりじりと首を絞められているような気分である。

 希望はない。

 絶望しかない。

 なら、生きていたってなんになる?

 バネの壊れたベッドからのそりと起き上がると、アルマは汚れた天井の梁からぶら下がったロープを見上げた。先端には、丁度頭が入るくらいの輪が作ってある。

 退学した初日に用意して、そのままずるずると今日になってしまった。

 いい加減、終りにしよう。

 椅子を引っ張って来る。かつては四つ脚だったのだろうが、一本が根元から折れていた。

 慎重に登って、輪に手をかける。

 凍てついた心臓が、どくん、どくんと鼓動を速めた。

 背中を嫌な汗が流れる。

 気づかないふりをして、輪に首を通した。

 後は、椅子を蹴るだけだ。

 それだけで終る。

 終わらせられる。

 やれ。

 勇気を出せ。

 それだけで、解放されるのだ。

 孤児院のみんなの顔が脳裏を過った。

 優しかったシスターの顔も。

 凍らせたはずの心が解けて、津波のように恐怖が押し寄せる。

 涙が頬を流れた。

「……嫌だ……まだ、死にたくない……」

 まだなにも成してない。

 キスもしていない。恋もしていない。白いドレスを着てみたい。温泉に行ったり、映画を見たり、食べた事のない美味しい物を食べてみたい。

 勇者になれたらやりたい事が沢山あった。

 みんなに恩返しをして、孤児院を立派な建物に建て替えるはずだったのに。

 どうしてこんな事に……。

 終わらせたいのに、終わらせたくない。

 そうしてしまうには、あまりに多くの未練があった。

 そして今日も先延ばしにするのだろう。

 昨日もそうであったように……。

 ドンドンドン!

「アルマさん!?」

「ひぃっ!? う、うわぁ――」

 突然部屋の扉をノックされ、アルマは驚いてバランスを崩した。

 三本脚の椅子が倒れ、重力がアルマの身体を引っ張る。

 必然が、アルマの首を固く締めた。

「――っ! ――っ!?」

「あれ? いないのかな? アルマさ~ん! もしも~し!」

 マヌケそうな少年の声が言う。

 行くな! 助けてくれ!?

 首に巻き付いたロープに手をかけ、必死に支えようとするが、既に指を入れる余地もないくらいきつく締まっている。見よう見まねで憶えた拙い魔術でロープを切ろうとするが、こんな状況では構成など編めはしない。

「ここにいるって聞いたんだけど、出かけてるのかな? 仕方ない、出直すか~」

 やだ、やだ! お願い! 行かないで! 助けて!

 息が苦しい。

 視界が狭まる。

 死ぬ。

 死んでしまう。

 嫌だ。

 嫌だ。

 嫌だ!

「って! 居留守を使ってるのはわかってるんだからね!」

 どかん! と声の主が扉を蹴り破った。

「……えぇぇ!? ちょ、ななな、なにやってるの!?」

 頭上でなにかが閃き、ロープが切れる。

 声の主は下にいて、落ちるアルマをキャッチした。

 ロープは切れても輪は締まったままだ。

 必死に輪を解こうともがきながら、アルマは見覚えのある顔の少年に目で助けを請う。

「わかってる! すぐ助けるから!」

 そう言うと、少年は手に魔力を込め、フン! とロープを引きちぎった。

「――げほ! げほ! げほ! あぁ、がぁ――はぁ! はぁ! はぁ……はぁー……」

 息が吸える。

 それだけの事がこれ程までに幸せとは。

 一瞬見えた向こう側に恐怖しながら、げっそりとしてアルマは言うのだった。

「し、死ぬかと思った……」


 ◆◆◆



「なんで自殺なんかしようとしたの!」

 ぷっくり頬を膨らませ、腕組みをしてニコは言った。

 アルマは床に正座させている。

「いや、その、本気ではなくて、君が急に入って来るからびっくりして……」

「言い訳なんか聞きたくないよ!」

「ひぃっ!?」

 びくりとして、アルマが目を瞑る。

「だ、だって……アカデミーを退学になって……孤児院のみんなにお金を出して貰って、借金までしたのに……うぅ、うぅ、も、元はと言えば君のせいだぞ! 君と出会わなければこんな事には! ……というか君は、生きていたのか?」

 目まぐるしく表情を変えてアルマが言う。

「そりゃあもう! 僕は不死身のロッドの子孫だもん! あのくらいで死んだりしないって!」

 胸を叩くと、ニコはブイ! と右手を突きだした。

「……そうか……生きていたか……よかった……うぅ、ぁぅぁぅ……よかったよぉおおおおおー!」

 クールそうな顔つきの割に泣き虫な性格らしい。アルマは子供みたいにわんわん泣いた。

「ちょ、ちょっと! そんなに泣かないでよ!?」

 女の子に大泣きされ、おろおろしながらニコが言う。

「だって、もう少しで私は、人殺しになってしまう所だったんだぞ……」

 洟を啜りながらアルマが言う。

「まぁそうだけど、なってないからよくない?」

 あっけらかんとニコは言った。

「……君は、馬鹿なのか?」

「うっ。確かにあんまり勉強は得意じゃないけど……とにかく! 自殺なんかダメだからね! なんか、僕が殺したみたいになっちゃうし!」

 アルマは孤児院や借金がどうとか言っていた。退学を苦にしての自殺だろう。

「だってそうだし……」

 口を尖らせ、拗ねた様にアルマは言う。

「やったのはアルマさんだし!」

 ニコも言い返すが。

「わざとじゃない! あの力は……私だって使いたくないんだ! 怖いから……でも、君が襲ってきて、怖くなって、胸を触るし、魔王がどうとか言うから!」

 黄金色の目が涙で滲む。

「力が暴走しちゃったって事?」

 すんすん泣きながら、アルマは力なく頷いた。

「……すまない。そんな事を言っても言い訳にならない事は分かっている。私が君を殺しかけた事は事実だ。殴りたいなら殴ればいい。罵倒したいなら好きなだけしてくれ。慰謝料を請求されても払う事は出来ないが……」

 申し訳なさそうにアルマは言う。

「いや、全然。それじゃあ仕方ないよ! ていうか、むしろ僕が謝らないといけない方っていうか、その為に来たっていうか。確かめないで襲っちゃってごめんなさい! おかげでアルマさんも大変な事になっちゃったし」

「……済んだ事だ、とは言えないが……しかし、君を恨むのは筋違いだという事は分かっている。君が生きていただけでも、よかったと思う事にするよ」

 乾いた笑みを浮かべてアルマは言った。

「じゃあ、仲直りって事でいいかな? 明日からはちゃんと学校に来てくれる?」

「いやだから、私は退学になったと……」

「あぁ、そっか! 言い忘れてた! 学長にかけあって退学は取り消して貰ったから!」

「……は?」

「だってほら、あれって事故みたいものでしょ? アルマさんも列車強盗をやっつけようとしてたみたいだし。戦って負けたなら、それでどうなっても僕の責任だよ。アルマさんが退学になっちゃうなんて絶対おかしい! って思ったから」

「…………これは夢か?」

「ほっぺた抓る?」

「……頼む」

「えい」

「……痛い」

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