第2話 起きたらそこは病室で

「……ふがっ?」

 真っ白い天井である。どうやらベッドに寝ているらしい。清潔だが窮屈で、あまり寝心地はよろしくない。

 起き上がる。病室みたいな場所だった。病室でないとしたらなんなのかというくらい病室然としている。

「……なんで?」

 ニコは首を傾げた。確か自分はアカデミーに入学する為、魔導列車に乗っていたはずだ。

 記憶を紐解く。列車強盗が現れ、乗客にちやほやされ、食堂車でご飯を食べて……そうだ!

 変な魔術を使う黒衣の魔術士!

 魔王にそっくりな見た目をした女の子の胸を揉んだら何かが起きて気絶したんだ!

 あの時の温もりと柔らかさと共にニコはその事を思い出した。

 という事は、やられてしまったのだろうか?

 そうは思えないが。

 実力の差は歴然だった。変な魔術を使うが、術そのものは大した事はない。立ち振る舞いにも、戦闘技能を修めたような気配は皆無だ。加えてニコには、ダメージに対して反射的に大量の魔力を放出して防ぐ癖がある。というか、人はみんな持っているのだが。顔に向かってボールが飛んできた時に反射的に手で庇うのと似ている。普通の人間は魔力を操る訓練をしていないので大した意味はないが。魔術士、特に戦闘術士になれば、それだけでちょっとした鎧を着こんでいるくらいの防御力にはなる。膨大な魔力を身に宿すニコは特に顕著だった。勇者ロッドの折れぬ剣、不死身のロッドの由来もここから来ている。つまり、めちゃくちゃ頑丈なのだった。

 一応身体を改めてみる。やはり怪我はない。寝すぎた後のような気怠さと、僅かな頭痛があるだけである。服は薄水色の入院着のような者を着せられていた。下着は……。

「おむつ!?」

 びっくりして叫ぶ。

 どうして!? なんで!? 僕、今年で十六歳なんですけど!?

 恥ずかしさに震えながらそっと中をめくってみる。

「……ふぇ」

 情けない声が漏れた。

 中はぐっしょり濡れている。

 そう思うと、めちゃくちゃ気持ち悪い。

 大失態に硬直していると、不意に足元の扉が開いた。

 慌てて布団を胸元まであげる。

 どうしよう……どうしよう!?

 現れたのは、どこかで見たような白っぽい制服を着た女の子だった。おっとりした優しそうな顔立ちで、栗色の髪を一本の太い三つ編みに束ねている。大きな胸の上に、首から下げたイーサ教会の聖印が幸せそうに乗っていた。

「…………」

 女の子は、扉を開けた格好のまま、幽霊でも見た様にぱっちりおめめを見開いて小さな口を開いている。

「……えーと、どうも?」

 とりあえず、ニコは言った。

 いきなり少女が駆け出し、ニコの頭を抱きしめるようにしてベッドに飛び込む。

「――ほぉむ!?」

「よかったっ!」

 泣き出しそうな声で言うと、少女は失いかけたなにかを慈しむようにぎゅっと抱き直す。

「……本当、よかったです……」

 なにがよかったのかニコにはさっぱりわからない。わかるのはただ、少女の胸の中は暖かくて良い香りがするという事だけだ。

 いっそここに住んじゃおうかな。

 などとわけのわからない事を考えたのは、多分酸欠のせいだろう。

「――く、くるしいよ!」

 数年前に死んでしまったペットのシロ(大白狼)の顔が浮かび、慌てて少女の腕をタップする。

「ごめんなさいっ! つい、嬉しくて……」

 ハッとして少女が離れる。柔らかそうな頬に赤が差した。

「全然! 僕も嬉しかったので!」

 って、なにを言ってるんだ!?

 まだ酸欠なのだろう。ぜーぜーと肩で息をしながらわけのわからない事を口走る。

「じゃなくて!? えっと、ここってどこなのかな?」

「アカデミーの病室です。医療棟って言って、怪我や病気になった人を授業の一環で治療してるんです」

「そうなんだ」

 道理で見覚えのある制服である。パンフレットで見た、アカデミーの制服だ。

 アカデミーには勇者科以外にも色々な学科がある。医術科、錬金科、魔導科等々、職業勇者を目指す人間が多いが、総合的な職業術士育成機関でもあるので、それ以外の生徒も多い。適正によっては、複数の学科を受講する生徒も少なくないという。

「テレーゼ=ナーサです。医術科の一年生で、ニコさんのお世話を担当させて貰ってます」

「勇者科の一年生になるニコ=ブレイブハート。知ってるみたいだけど」

 そうは言っても、名乗られたら名乗り返すのが礼儀だ。

「それはもう。ニコさんは有名人ですから!」

 興奮気味にテレーゼは言った。

「そうなの?」

「そうですよ! だってあの、大勇者ロッド=ブレイブハートの子孫なんですから!」

 大きな胸を振るわせて言うと、テレーゼは胸元の聖印を握りしめた。

「邪悪な魔王バロットを打ち倒した伝説の勇者の一団のリーダー! イーサ教会公認の聖人のお一人です。奇跡の手、癒しの聖女エレイン様との悲恋の物語を何度読んだ事か……」

 うっとりして言うと、テレーゼは頬を赤らめた。

「ごめんなさい。つい興奮してしまって」

 勇者学校に勇者の子孫がやってきたのだ。そういう事にもなるだろう。

「それで……僕ってなんで入院してたの?」

 訪ねると、エレインは深刻そうな顔をする。

「重度の魔力欠乏症です。運ばれてきた時はほとんど魔力が枯渇していて、生きてるのが不思議なくらいでした。一週間も昏睡状態だったんですよ」

「一週間!?」

 流石に驚く。

「どうりでおむつを履かされてるわけだ……」

 言ってしまってから、ニコは慌てて口を抑えた。

 気まずくなってテレーゼの顔色を伺う。

「恥ずかしい事じゃないですよ。人はみんな、出す物を出すんですから」

 にっこりと、励ますようにテレーゼが微笑む。だからと言って恥ずかしさが消えるわけではなかったが。むしろ余計に恥ずかしい気持ちになる。

 と、テレーゼはすんすんと小さな鼻をひくつかせた。

「沢山出たみたいですね。よかったら変えましょうか?」

「結構です!?」

 真っ赤になってニコは言う。恥ずかしすぎて涙が滲んだ。

「遠慮しなくても大丈夫ですよ? 私、おむつを変えるのは上手なので!」

「本当に大丈夫だから!?」

 同じ学校の女の子にそんな事をされたら恥ずかしくて生きていけない。

「残念です……」

 がっかりしてテレーゼは言った。

 もしかして、ちょっとアレな性癖の人なのかもしれない。

「でも、不思議。僕が魔力欠乏になるなんて。自慢するわけじゃないけど、魔力の量は普通の人よりず~~~~っと多いんだよ?」

 なんと言ってもあの大勇者ロッドの子孫である。尽きぬ魔力のロッドと呼ばれた男の血を引いている。実際、魔力欠乏になったのなんて初めてだ。

 と、急にテレーゼは怒り出して言った。

「魔王の子孫のせいです! 吸魔の力だかなんだか知りませんけど、もう少しでニコさんを殺す所だったんですよ! というか、ニコさんじゃなかったら死んでました! 許せませんよ!」

 やはり、あの少女は魔王の子孫だったらしい。それにしても、吸魔の力とは。それもニコ程の魔力の持ち主を一瞬で吸いつくしてしまうのだから恐れ入る。流石は魔王の子孫という感じだ。

「あの子の事、知ってるの?」

 不思議に思ってニコは尋ねた。

 もしかすると、ニュースにでもなっているのかもしれない。

「アカデミーの生徒ならみんな知ってますよ。魔王の子孫、アルマ=エスカリアテ。あの女、アカデミーの新入生だったんです。魔王の子孫の癖に勇者学校に入学するなんて、どうかしてますよね!」

 余程その事が気に食わないのだろう。ふんすふんすと鼻息を荒げてテレーゼは言うが。

「そうなんだ!? じゃあ、そのアルマって子も列車強盗をやっつけようとしてたのかな……だとしたら、悪い事しちゃった……」

 多分、お互いに列車強盗の仲間だと誤解してしまったのだろう。

「そうだとしてもやりすぎです! きっと、ニコさんがロッドの子孫だと知っててやったんですよ! カエルの子はカエル、邪悪な魔王の子孫は邪悪という事です!」

「そうかなぁ、そんな風には見えなかったけど」

 彼女の振る舞いを思い返してみると、いきなり現れた凄腕の戦闘術士に怯えていただけだったように思える。

「ニコさんは優しいんですね。流石は大英雄の子孫です! でも、気にする事はありませんよ。どのみちあの女は、アカデミーを退学になったんですから」

「……えぇ~~~~~!?」

 驚いて、ニコは叫んだ。

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