6. 開きっぱなしの扉から(後)

「おつかれ」

 絵莉の声に顔を上げたら絵莉だった。

 102講義室からはまだあと五十人くらいがざわざわ出てくるので、面食らっても立ち止まるわけにはいかない。ごめんちょっと、とぼくは一言断って倉澤の隣を離れ、人の流れに押し出されるようにして絵莉に近づいた。

「……おつかれ」

「うん」

「え、でも今日、」

「うん、でも」

「……そっか」

 絵莉はうつむいたまま僕の右に並んだ。ふたりして屋根の外へ出ると、開きっぱなしの自動ドアから流れ込む熱気に予感されたとおりの暑さに包まれる。僕は日の光をきらってうつむいたが、絵莉は呆れかえったように空を仰いだ。

 川のようだった人の流れは外に出るや、ばらけて講義棟前の広場全体に広がる。右の坂を上って図書館へ向かう数人や、そのまま道なりに食堂へ向かう塊を横目に僕らは左の階段を、地下の通路へと降りた。晴れすぎると日陰まで空の色で、こっちを向いた目元は青ざめて見えた。

「このまま帰んの?」

「絵莉は?」

「ふつうに、三限出る。けど」

「うん……」

「いっしょに駅まで行こっかな、お昼食べる」

「マック?」

「マック」

 笑ったけど、絵莉はすぐ前を向いてうつむいていた。所在なさげに右肩のトートバッグをかけなおす。そうして服とカンバス地のこすれ合う音までありありと聞こえた。こっちを見ないまま絵莉は、

「なんかあったんなら」と、大きくゆっくり足を踏み出して垂れた横髪を揺らして、「話してほしい」

「……ごめん」

 角を一つ曲がると階段にぶつかる。絵莉は僕より先に一段目に足をかけた。底の厚いミュールは一段ごとに硬い音を立てる。

「何のごめん? 話せへんってこと」

「いやそうじゃないけど。べつに用事とか無いのに、断ってごめんって」

「まあ」絵莉は右頬に張り付いた髪を左手でどかした。「いいよ、そんなん」

 一段一段かつかつ音を立てて登っていく絵莉に、ぼくは一段飛ばしで歩調を合わせた。ふと手の甲同士がふれて反射的に距離をとり、後悔する。絵莉はため息をついてこう言った。

「気分じゃないのに会わんでいい」

 階段を登り切ると大学会館の一階、購買の真ん前に出る。買った昼食を持って出て行く数人とすれ違った。誰もそう大きな声で話しているわけでもないのに、何とはなく騒がしい人混みへと、絵莉は僕の前に出て踏み出す。人と人の間を縫うその背中を僕も追いかけて建物を出ると、左右に街路樹が並ぶ大きな道に出て、その左手に正門が見える。僕は左側の木陰の下からふたりがはみ出ないよう、絵莉の前に出て歩いた。

「佐々木がさ」

「佐々木。……うん」

「いなくなって」

「……どういうこと?」

「わかんない。鍵もスマホも置いて、財布だけ持って」

「いつから?」

「三日前」

「……んん」

 足下の木陰が音もなく動く。それまで気づかないような、生温くてひどく遅い風だった。

「心配やね」

「…… うん」

 コンバースの薄いソールは地面の凹凸だけを遮断して、アスファルトの揺るぎなさとそこにこもる熱とを伝えてくる。その感覚にだけ意識を向けられれば、暑ささえ遠のくように思えた。だから、

「ごめん」

 後ろから声がしたとき、僕は絵莉がいたことさえ忘れていて、

「なにが?」

と反射でなめらかに返した口が、驚きに固まる自分の身体でないようにも感じた。

 振り返れば絵莉は、ぼくが三段目に足をかけた歩道橋の、一段目の前で立ち止まっていた。ブラウスのストライプに目をやれば境界線を探して視界がちかちかする。

「なんか、……」

 その沈黙の間に、ぼくは顎まで垂れた汗を手の甲で拭った。絵莉はトートバッグを肩から下ろして右手に持つと、

「──わからん、ごめん」

 僕は相槌の打ち方が分からなくてただ絵莉の顔を見た。そういえばさっきから一度も目が合っていなかった、と気づいたときには逸れた視線が僕の足下へと落ちる。歩道橋の柵が落とす日陰の輪郭はアスファルトの凹凸に歪められている。絵莉はさっきとは逆の肩にバッグを掛けると、

「戻る、あたし。……じゃあ」

とだけ言って、僕の返事を待たなかった。

 あとにはただ夏の日の午後があって、ほとんど最適な足取りで僕は駅へ向かった。


***


「タカセじゃん。……へえ」

 まだ帰ってないんだ、という。やっぱり電話越しでも奇妙なほど澄んだ、足の裏に響くように低い声だった。

「意外だな。てっきり俺は、」

「何の用事ですか」

 目線の先、部屋の隅の床へ吐き捨てるようにそう言うと、ひどいなあと思った通りの返事が返ってくる。続く御託を聞き流しながら、行き場のない右手が自分のスマートフォンのホームボタンを押す。明るくて目に刺さるロック画面には16:36と現在時刻が表示される。カーテンの隙間から伸びてそこの床に張り付いた日向は白く、その外でリビングは青っぽい影に沈んでいた。

「なんなんですか」

「何って」

「なんの話なんですか」

「ええ?」

 電話の向こうで、リオは笑う。

「タカセが思うとおりの話だよ」

「だからなんですか」

「あは。もう待たなくていいってこと」

 唾と一緒に飲み込んだ、部屋の空気が喉に引っかかる。

「はあ」

「……話する気ないな? まいいや、そんだけそんだけ」

「そうですか」

「それじゃ」

 ──鍵締めろよ。

 そのことばが聞こえるや耳から離した、電話は既に切れていて、ひび割れた画面に表示された、固定電話のものらしい複雑な十桁の番号が、どこで区切れるのかも分からずにまるで呪文のように見えた。


   ***


 三度目の電話は七日目だった。

 着信に反応した僕は、自分のiPhoneを肩にかけていた鞄にしまった。その鞄を置いた机の上で、非通知からの着信を知らせて光る画面に目を落として逡巡していた数秒の時間を、まるで第三者の撮った写真みたいに覚えている。

「──はい」

「よう」

 低い声。ため息を漏らす。僕はひび割れたiPhoneを肩と耳で挟んで手を離すとシャツのボタンを下から留めはじめた。

「ダメだろ、出ちゃさ。そうやって待ってるってことなんだから。昨日外出た?」

「……関係ないでしょ」

 そう呟いて最後のボタンを留め終える。はは、とまたお手本のように笑うのからいったん耳を引きはがし、机の上に置いていた鞄を手に取ると、僕は左手でふたたびiPhoneを握って電話を続けた。

「なんの用事ですか」

「またそれか」

「伝言でもあるなら、預かりますけど」

 そう言ったあとは、冷房を切ってリビングの扉を開け、玄関に出る間の沈黙が続いた。

「けっこう、」

とリオは話し始めてすぐに言葉を聞って咳き込む。僕はスニーカーの踵を空の右手で整えてドアを開けた。

「けっこう、最初から分かってたんじゃない」

 打ちっ放しのコンクリートに囲まれてひややかなエントランスを出れば、十時は過ぎたのにまだ朝のような涼しさに拍子抜けする。リオの言葉は続く。

「おんなじ場所にずっといるような奴じゃないんだ、もともと」

「はあ。……どうなんですか、人をそうやって大雑把に決めつけて」

「大雑把なくらいがいいんだよ。そんなに細かく考えてなんか得した?」

「……損得自体が大雑把な考え方でしょ」

「おー、そういう言い方もある」

 薄雲りの空は一面同じ色で、通りには日向も日陰もない。自分の足音と行き交う車で、短い沈黙は沈黙に聞こえなかった。

「──なんでなんですか」

「お。……何が?」

「……」

「なんでって、ねえ。今さら」

「何の情報も得られないのに、あんたと話す必要がないからです」

「またあんたって言ったなあ」

 ま、いいや、とリオは息を吐く。大きなトラックが通り過ぎるのを待つと、僕は言った。

「なんでなのか、わからなくて」

 呆れたような薄い笑いが左耳を刺す。そのまま腹の底へ響くような声で、こう続いた。

「そうやって理由を探して、あるなら出てくるはずだ、出てこないから待つべきだって思ってるんならそれは無駄だろ」

「無駄、」

「原因ってのはいろんな巡り合わせの複合なんだからさ」僕は唾を飲み、その音が聞こえていないことを願う。「たとえばさ、今日天気が晴れで晩飯がチャーハンだから死ぬ人だっているわけだ。でも新聞には過労とか書かれる」

 悪趣味なたとえだな、と思うか思わないかで、悪趣味だとか言うなよ、と釘を差された。僕はそのまま進めば川へ出る道を左へ曲がる。

「ていうか、そうやって考えるならタカセ自身だって原因のひとつなんだけど。ま身に覚えがないわけね」

「そんな、自分勝手な考えでいるわけじゃないですけど」

「あったら俺の話なんか聞かないだろ」

「そうですね」

「寂しいねえ」

 交差点で信号に捕まり、僕はiPhoneを右手に持ち替えて左手で歩行者用ボタンを押す。まあ、とリオは呆れたような声で切り出した。

「見えてなかったところへ無理に踏み込むなら、目に留まる原因はいくつかあるよ」

「……人間関係、みたいな」

「そうそう、俺が前言ったみたいなね。でも、そんなの詳しく知ったって本質的には何も変わらないよ」

「なんですか、本質って」

「役割っつーか、なんだろうね。それは本来、タカセが今与えられている立場からは見えないものだった。知ったからってそのこと自体が変わるわけじゃない」

「……」

 黙る僕にリオは、まあ聞けって、とまた、何か言う前から笑いかけた。信号は青に変わり僕は横断歩道へ一歩踏み出した。

「それは見えなかったんじゃなくて無かったんだよ。文章の行間、スクリーンの端っこ、舞台袖。映ってないだけで何かあると思うのは自由だけど、まあ妄想でしょそれも」

「……それで?」

「それでって」

 横断歩道を過ぎて右に曲がる。駅はもうすぐそこだった。

「なんで、佐々木は帰ってこないんですか」

「おい、また理由か? さっきも言ったのに」

 iPhoneをまた持ち替える。右耳の汗を拭い、近づいてきた雑踏を受け入れる。駅の改札に目をやって、僕は立ち止まった。

 リオは言った。

「もっと厳密に考えなって──」

 そのとき、僕はどんな顔をしていたのだろう。そんなことを考えたのは、こっちへ早足で歩いてくる絵莉の目を見たからだった。電話は切ったのか切れたのかわからなかったが、耳から離した画面は、ちょうど待ち合わせ時間のちょうど五分前を示していた。


***


 落ち着ける場所を探していた。殆ど無言のままいつの間にか迷い込んだ、駅の向こう側の住宅街は無限に同じ路地が続くようだった。

 バス通りに出ればふと景色が変わって、赤信号で立ち止まった横断歩道の向こうには大きなドラッグストアが見える。左を歩いていたから先に気づいた絵莉が歩行者用ボタンを押した。すっとのばしたそのままの形の手で、一番長い中指がボタンにふれる。佐々木と同じだ、と考えたのを、振り向いてかちあった視線に咎められたように思う。  僕は目を背けないようにした。絵莉の唇はゆっくり開いた。

「ほんとに、」

 青信号を知らせる鳥の声にまえへ向きなおり、僕は肩の鞄をたしかめて横断歩道に踏み出す。今日は絵莉もスニーカーで、足音は聞こえず、目線もお互い前だけを向いて、また住宅街の中に紛れると声だけを交わし合った。

「ほんとに、佐々木さんがいなくなっただけ?」

「うん」

「あたしがなんかしたとか」

「ないない」

「実家となんかあったとか」

「ちがう」

「単位おとしたとか」

「……まだ決まった訳じゃない」

 もお、と絵莉は笑って、それを合図みたいにして僕も笑ったけど、沈黙はおとずれた。豆腐のように白くて四角い、新しい美術館のような建物を僕らは二人で見た。でも看板も何もなく、ふつうの表札の下の郵便受けに朝刊が刺さっている。絵莉はいつのまにかカメラを取り出していた。──シャッター音。ストラップを巻きつけた右手を下ろし、目線は逸らさないままに、

「それはそれで、やけど」

とつぶやいた絵莉に、僕は曖昧な相槌しか打てなかった。

 一度途切れてはじめて気づいた、さっきから聞こえていた掃除機は、ふたたび鳴りはじめたかと思えばすぐに車の音にかき消される。それは白い自家用車で、この細い道を向こうから来てぼくらを道の左端へと追いやると通り過ぎていった。

 僕は額の汗を拭って絵莉をみた。絵莉は僕の視線に気づかないで前を向いていて、僕もやっぱりそれにならった。荒れた庭で枯れた紫陽花に絵莉はシャッターを切る。車はもう来そうにない、僕は話し始めることにした。

「佐々木はさ」

「うん」

「映画、あ映像? やってて」

「きいた」

「高校の文化祭とかでなんか撮ってたり」

「それはしらん……」

「……そうだっけ」

 細く頼りないが途絶えも分かれもせずにどこまでも続いていく、道はゆっくり右に曲がっていく。それで、と絵莉は先を促した。少し先を歩いて顔は見えず、髪の間からのぞく白いうなじが今建物の陰に入る。絵莉自身がそう思ってというより、会話の流れにしたがって言っているようだった。僕はまた、絵莉から目を離した。

「佐々木は、集中すると周りが見えなくなって。ほんとに」

「うん」

「比喩とかじゃなくてほんとにそういう風になる奴、俺は見たことなかった。佐々木がそういうやつっていうか……まあそういうやつなんだけど……そうじゃなくてなんか、こういう風にもなれたかもって。もっとまじめに生きてたら……」

 ふと話しながら俯きがちでいたことに気づいて顔を上げる。曇り空は一面塗りつぶしたように白かった。

「なんか、……だから、いなくなったとき、そりゃそうか。とか」

 僕は絵莉の方をみれなくて、右側に並ぶ家々に目をむけ、この向こうにもまた別の細く入り組んだ道があることを思い、自分たちの歩いている様子を上空から見下ろすように想像した。

「でも。……でもっていうか」

「うん」

「ごめん。心配かけたし……」

 僕の話を、絵莉はずっと前を向いたまま聞いていたようだった。それがふいに、顔をこっちへ少し持ちあげて、その輪郭のはっきりした瞳が右へ動いて僕の目を見る。それからふっと目線は下へ落ち、素っ気ない伏せ睫毛だけが僕にみえる。

「いいよ」

 絵莉は歩調をゆるめて、僕は歩調を早めて、すれ違うようにぼくが前に出たのに、すぐに絵莉が追いついた。言いそびれたことばかりだと思ったけれど、相槌も打たなかったのは、もう何にも言わなくても良いような気がしたからだった。

 頼りない道はついに突き当たり、チェーンの喫茶店の看板に絵莉はカメラを構える。そこで右に曲がれば大通りだった。ふたりして俯いて、歩く僕らの足元、同じ色のコンバースが、規則的に敷き詰められたブロックの上を進んでいくのを眺めていた。落ち着く場所は見つからなくてもよかった。

 僕らはいつのまにか、いつかの下らない話の続きに戻っていた。バス通り同士の大きな交差点を右に曲がれば、駅へと戻る道だった。なんかね、と絵莉がいい、たしかさ、と僕が付け足して話はずっと続いて、いつかみたいだった。

「それで思い出したけど、こないだ……」  不意に、マリンバの跳ねるようなメロディがきこえる。ポケットじゃなくて鞄のなかでそれは震える。

「ごめん、ちょっと」

 取り出した、ひび割れた画面は外の光にあわせてすぐ明るくなって着信先を表示した、──公衆電話。

 公衆電話?

「え」

 何そのケータイ、と絵莉が言ったのを、咄嗟にわざと聞こえているような聞こえていないようなで歩調を早める。

「ちょっと待ってて」

 絵莉の数メートル前に出て、足は止めないまま着信にこたえる。

「あ、かかった」

 ──その声は、予想していたのとは違う、だけどずっと待っていた声だった。

「もしもし」

 電話越しでは聞き慣れない、でもたしかに知っているその声は、拍子抜けするほど軽くて、こうして待ちかまえていたのが阿呆くさくなるようで、僕はその名前を呼ぶために、自然と歩調を速めていた。

 息を吸い込む。

「佐々木、」

「あ、高瀬。いま家?」

「……いや」

「あ外? ……いや何でおまえ俺のスマホ持って出てんだよ」

「……おまえなあ」

「えーじゃあどうしよ俺もう駅なんだけど! 急いで戻ってこれたりしない、俺いまさあ──」

「あいてる」

 僕はつぶやいて、それに自分で笑った。佐々木にそれを告げることの意味だって分かっていたはずなのに、当たり前のことを言うみたいに僕の口は動いていた。

「え、なんて?」

 聞き返す、佐々木の声もあまりにもいつも通りに軽すぎて、僕はまた笑ってしまう。そのときぼくがどんな顔をしていたか、誰かに見ていてほしかった。

「あいてるから、鍵なんか」


***


 目の前にして立ち止まると、大きな息を吐く。さっきからずっと早足でいたことに今更気づいたのだ。

 手をかけたドアノブは何の抵抗もなく回った。今度はため息が出る。やっぱり習慣付いていないのだ。

 開いたドアの向こうには、当たり前みたいで実際当たり前に佐々木がいた。玄関には見慣れない汚い段ボールが置いてあって、なぜかその前にうずくまっている。ふざけたプリントTシャツにジーンズ、前髪が垂れて目元は見えないが、その視線は明らかに段ボールの中に注がれていた。開きっぱなしのリビングのドアからは過剰なエアコンの冷気が流れ込んできている。僕はまたため息をついて、佐々木はそれでやっとこっちを向いた。

「あ、おかえり」

「……こっちの台詞だ」

「え? あーうん、わりい」

 佐々木は立ち上がると、玄関の段差分高くなった身長で僕の目をまっすぐ見て、笑った。円く大きな目がくしゃっと細められて、漫画みたいな山型をつくる。こんな笑い方だったっけ、と考えたけれど、そういえばしばらくこんな風に、佐々木の笑顔をまじまじと見たことはなかったかもしれなくて、それも見たことがなかっただけかもしれないけど、笑っていなかったのかもしれなくて、もしそうなら、やっぱり理由なんて誰かに尋ねるまでもなかった。

 僕は笑いたい気分で息を吸ったが、すぐ違和感に気づいてしかめ面で吐いた。

「……なんかくせえ」

「え。まって、お前帰ってきたんなら風呂入るから」

「いや、おまえじゃなくて、ていうかめっちゃくさいとかじゃないんだけど……なんか、においする」

「ああ。わりいこれだわ」

 さっきよりよっぽど深刻そうな顔をこちらへ向けて、やっぱり指と言うより手ぜんたいで足元の段ボールを示した。

「ああ。なんなのそれ」

「……猫」

 ねこ。思わず繰り返してつぶやいた。その形に唇をひらいたまま僕は、佐々木の中指がさした、その先の段ボールをのぞき込んだ。

 上が開いた段ボールは中にピンク色の毛布が敷いてあり、その真ん中には、小さくて茶色い毛玉みたいなのがあった。じっと見ているとそれは絶えず微かにふるえていて、玉のような形からもよく見れば頭や方、土下座をするような体勢に折り畳まれた短い手足を見分けられる。

 猫だった。

「猫じゃん」

「子猫だよ」

 子猫らしい。

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