四章 ラーメン

漁り猫

「へっ、どいつもこいつも冴えない奴らじゃねぇか。こりゃ、楽勝だ。ケッケッケ」


 人吉ひとよし恒臓つねぞうは内心で毒づいた。辺りを見渡しても、強豪といえる相手は見当たらない。

 激辛フードファイターに関して、人吉は自分より詳しい人間はいないと自認していた。彼はかつて強者とまみえ、手痛い敗北を幾度も喫していた。その経験から、激辛の選手に関しては人一倍敏感になり、その情報を集めることに躍起になっていたからだ。


 周囲の人間は地味な奴らばかりだ。

 そう思う人吉の服装は、派手なガラシャツに金のネックレス、リング状のブレスレットをジャラジャラとさせている。この中で、完全に浮いていた。


「ま、所詮は緒戦。予選第一回戦なんてのはよ、素人を振るい落とすためにあるものなんだよな」


 そう心の中で呟く。

 オリンピックの競技として、とうとう激辛が正式に認められて数カ月がたっていた。ついに、オリンピックの予選、すなわち日本一の激辛食者を決める戦いが始まる。それが今日だ。


 オリンピック予選のメニューとして定められたのは激辛ラーメンだった。そして、激辛ラーメン界隈の中でも一際知名度が高く、人吉としても馴染み深い中国料理・均坂ならさかがその料理提供として選ばれていた。

 均坂には辛さがメニューごとに10段階の設定があり、さらに辛さを10倍まで上げることができる。それが、今回の競技のルールに利用されていた。辛さの設定と倍率、それを足した値が点数となる。それを25点先取した者が勝者となり、二回戦へと進むことができるのだ。


「軽く勝たせてもらうよ。悪く思うんじゃねぇぞ」


 人吉は冷たい味噌ラーメンの辛さ10倍を指定した。これで一気に20点を取ってしまおうという算段だ。

 冷たい味噌ラーメンといっても、冷たいのは麺だけである。スープは熱々の激辛スープであり、つけ麺として、冷たい麺を熱いスープに浸して食べる。冷たい麺と激辛スープの相反する味わいがマリアージュを生み、得も言われぬ美味しさを生む一品なのだ。

 辛さは最大の10段階と設定されているものの、冷たい麺のおかげで食べやすいメニューでもある。つまり、狙い目なのだ。

 そのあとはスタンダードな練馬ラーメンの辛さが4段階なので、その1倍を食べれば勝ち抜けとなる。安牌にして完璧。人吉は自身の勝利を確信している。


 やがて、人吉の前にスープと麺の皿が置かれた。ほかの選手の前にもラーメンの器が次々に置かれていく。

 その中でも、人吉に気を引くメニューがあった。


「なんだありゃ、素人にしても酷すぎるだろうが。何のリサーチもせずに来たってのかよ」


 地味な選手たちの中でも一際地味な女がいた。ぼさぼさの髪の毛はその顔を隠し、目元すら見ることができない。

 彼女が頼んだのは北区ラーメンだった。東京23区の中でも極北に位置する北区をイメージしており、極寒の地を制する濃厚な激辛ラーメンとなっている。ただ、その辛さは冷たい味噌ラーメンに一歩劣り、9段階の設定だ。倍率は1倍のままのようだ。

 さらに具材トッピングの変更により、もやしと辛味肉はあんかけに変更されていた。生姜ベースの餡に豚肉ともやし、きくらげが絡まっており、絶妙な旨味を感じさせる名トッピングだが、当然のごとく、あんかけはスープ以上に熱々だ。それでいて辛さは薄まると判定されているため、辛さの設定は8に下がる。


 つまり、目隠れ女は激辛の上、熱々のメニューを食べて、たったの9ポイントしか得られないのだ。人吉の半分以下の数字である。勝負センス皆無としか言いようがない。


「んなこたぁ、気にしてもしょうがねぇ」


 目の前のメニューに集中することにした。

 辛さは10倍だというが、実際に何が10倍になっているかは、人吉は知らない。少なくとも、辛さや唐辛子の量でないことはわかる。つまり、実際には10倍でもなんでもないのだ。だったら、辛さの倍率は上げて損はない。

 とはいえ、相応に辛くなっているのは事実である。


 麺を箸で一掴みし、スープに浸し、すすった。

 辛い。冷たい味噌ラーメンの本来の味わいは辛さの奥に甘みが感じられ、それが旨味として昇華されているものだ。だが、この10倍スープは痛いとしか言いようがないほどに辛い。

 さすがに、人吉の辛さの許容量を超えているといえた。


「そんなのは織り込み済みよ、へっへっへ」


 この季節、長袖を着るわけにはいかない。袖の中に酢を隠すいつもの手口は封じられている。だが、人吉は自分の衣服に仕掛けを用意していた。


 ピン


 人吉はリング状のブレスレットを引っ張る。すると、半袖の袖口からピアノ線がピンと引いた。そのピアノ線から酢の入った袋が流れてくる。それを瞬時に手にすると、そのまま麺にかけた。

 この一連の動作は審判には見つかるはずがない。審判の視覚から完全に隠して行っているからだ。伊達に、水没都市ヴァリアブル・ルルド・ウォーターの異名をとってはいない。


「まだ辛い。けどよ、確実に楽になったぜ」


 人吉は苦戦しながらも、冷たい味噌ラーメンを確実に食べ進める。そして、麺をすすり終え、冷めきり、酢まみれになったスープを飲み干す。

 あとはもう一品を食べきるだけだ。そう思い注文を行い、周囲を見渡す。ギョッとする。


 器を何段も重ねている選手がいた。先ほどの、地味な目隠れ女だ。

 その器の内容は、あんかけ北区、冷たい玉子麺、辛イカ焼きそばで合計20ポイントになっている。

 そして、食べているのは、激辛麻婆豆腐を山盛りご飯に乗せた江東区丼だ。ポイントは10。食べきったら勝利条件を大幅にオーバーする。


「もう、めちゃくちゃだろ」


 その荒唐無稽ともいえるメニューセンス、尋常ならざる激辛フィジカル、そして類稀なる食スピード。人吉はかつての強敵の姿を思い浮かべざるを得ない。

 激辛フードバトルにおいて最強としか言いようのない、高梨たかなし日葵ひまりのことを。


 唖然とする人吉に焦りが浮かぶ。いや、焦ってもしょうがない。彼の頼んだ料理が来る前に目隠れ女が食べ終われば、無条件で負けなのだ。

 いや、無理だ。江東区丼はわけのわからないくらいに量が多い。それを簡単に食べきることは……。


 食べきっていた。彼女の一口はあまりにも大きい。


 目隠れ女は食べきると同時にタオルで額の汗を拭った。前髪で隠されていた、その素顔が露わになる。それを見て、人吉は愕然とした。

 大きな目に、不似合いな細い瞳孔。それはさならがら猫の目だった。


 猫の目の女。聞いたことがあった。



「第一回戦勝者は、漁り猫チャコール・グレイ・フォルクローレ来海沢くるみざわ撫子なでしこ選手です。おめでとうございます!」


 アナウンスが響いていた。

 人吉も噂で聞いただけだ。非公式の激辛勝負でその強さを示す謎の女。猫の目を持つとだけ話に聞いていたが、まさか目の前にいるとは。


「人吉選手。失格。持ち込みの調味料は禁止されています」


 審判の声が響いた。


「へっ?」


 素っ頓狂な叫びを上げてしまう。人吉がラーメンに酢を入れたことに、審判は気づいていたのだ。

 人吉恒臓の成績は、第一回戦0ポイントという惨憺たる有様で終わった。

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