天国と地獄

 高梨たかなし日葵ひまりの怒りは臨界点に達した。その怒りによって、日葵の肉体能力は限界まで高められる。

 その勢いは黒ゴマ担々鍋の具材を次々に食べていった。それは、熱を伴うカプサイシンであり、痺れを伴う山椒の味わいである。だが、耐えられないものではない。

 こうなると、単純に大食いのスピード勝負になってくる。


「そうは、させないのよ」


 動いたのは、天国と地獄リゾート・デンジャラス・サンセット桔川きっかわ芹那せりなだ。

 芹那は手に持ったペットボトルをペコッとへこませ、その勢いで中の液体が飛び出してくる。それは日葵たちの鍋の中に落ちようとしていた。


「無駄です」


 そう口に出したのは、量産型女子大生エンド・オブ・サマー・バケーション東雲しののめ芍薬しゃくやくだった。芍薬の袖口から金属製のヘラやスプーンが飛び出し、芹那の噴き出した液体をブロックする。ブロックされた液体はそのまま芹那と熊谷の鍋の中に入った。


天罰覿面ざまぁーないですね。その鍋を飲み干すことです」


 芍薬は勝ち誇ったように宣言する。

 だが、その言葉を聞いた芹那は突如笑い始めた。そして、それと同時に路上占拠グレイト・クレイジー・カーニバル熊谷くまがい海鼠腸このわたが食べ始め、鍋の具材を食べ尽す勢いとなる。

 その様子を見て、言葉を発するものがあった。


「へっへへ、ありゃ、酢だな」


 水没都市ヴァリアブル・ルルド・ウォーター人吉ひとよし恒臓つねぞうである。いつの間にか目が覚めたようだった。

 それと同時に、女の子の声もあった。


「えっ、おねえっ? なんで、ここにいるのよ」


 芍薬の妹であろう牡丹ぽたんの声だ。彼女は自身の姉がアスリートであることに慣れていないのかもしれない。

 そんな団欒とした雰囲気に芹那が水を差した。


「いやいや、今のはビネガーよ。酢なんかと一緒にしないで」


 その言葉を聞いても、日葵たちはピンとこないようだ。酢とビネガーの違いが理解できていない。それに業を煮やしたのか、再び芹那は口を開く。


「言っとくけど、あんたたち、時間制限もあるし、そうなったらあなたたちの負けもあるんだからね」


 その言葉は何の気もないものだったのだろう。だが、その言葉によって生まれた焦りは日葵に火をつけた。食べる速度が物凄いほどに上がる。目に入るものを悉く吸い寄せていくようだ。

 物凄い勢いで鍋の中身を平らげていく。


 その日葵の熱気に芹那は当てられた。焦りが心の中を支配する。そうなれば、やることは一つだ。

 芹那はペットボトルを手にする。そのキャップを外し一息に凹ませた。同時に、熊谷が動く。審判に札束を渡し、この状況をスルーするように交渉したのだ。


「そんなの、効くと思っているんですか」


 動いたのは芍薬だ。彼女は密かに手にしていたスプーンやナイフを大量に出し、芹那の撒いた液体を弾いた。かのように見えた。

 だが、弾かれた液体はことごとく日葵の皿に落ちる。


「弾かれることは計算のうちよ。なんで、思わないかな。さっき弾かれたのはブラフだって。全部、計算ずくなのよ」


 芹那は勝ち誇る。だが、芍薬もそれで手詰まりとは思っていない。


「だとしても、私たちは止まりませんよ。

 どれだけの激辛だって、私たちを止めることはできはしない。そうでしょ、日葵!」


 芍薬もまた勝利を疑ってはいなかった。だが、日葵は返事もせず、ただ硬直している。箸を動かす手が止まっていた。

 その様子を見て、芍薬も焦った。


「日葵、何やってるの。早く食べなさい」


 芍薬は芍薬で、自分では食べ進めようとしない。こんなチームワークでは勝てるはずもなかった。

 何より、日葵は何かを思い出したかのように青ざめている。


「私が……、私がこんなだから……ヤスヒコは……。

 破裂する! 純粋なカプサイシンピュアパウダーがぁっ」


 芹那の所作が日葵のトラウマを刺激したようだった。これでは、もはや勝負にはならない。

 そんな時、声が聞こえた。


「その液体は青唐辛子の辛みを抽出したものだ。純粋なカプサイシンピュアパウダーじゃないぜ。調査済みだ」


 それは虎島とらじま亘理わたるだった。その手には青白い液体の入ったペットボトルが手にある。だが、その顔色は青ざめたものだった。従業員の鹿島かしまに抱えられ、どうにか立っている状態だ。

 だが、その言葉は芹那の透明な液体と純粋なカプサイシンピュアパウダーを混同してパニックに陥っていた日葵を覚醒させるのに十分なものだった。


「そうか!」


 日葵は急速に活力を得て、胡麻淡々鍋の具材に向き合う。その速度は圧倒的なものだ。

 しかし、芹那と熊谷のビハインドも大きい。勝負の行方はわからなくなっていた。

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