天才

 あれは何年前のことだっただろう。高梨たかなし日葵ひまりの心中に思い出が蘇っていた。


「ヤスさん、警察に呼ばれるなんて、何をやらかしたんですかー」


 ある日、日葵は激辛の師匠である西園寺さいおんじヤスヒコに呼び出される。その行先が警察だと聞くと、怪訝な表情でヤスヒコのことを眺めた。彼なら何かやりかねないのではと勘繰るような目つきだ。

 それに対し、ヤスヒコは慌てるように否定した。


「違う、違う。依頼を受けてるんだ。この辺はさ、ヤクザの抗争が激しいらしくてさ。なんか、俺の力が必要らしくてね」


 ヤスヒコの話によると、近隣の暴力団同士で争いが起きているらしい。原因は些細なことらしいのだけれども、互いの若頭が殺害され、組長たちは戦々恐々としながら、互いに疑心暗鬼になり、鉄砲玉を送り合っているとか。

 いつ一触即発の事態が起こり、大戦争でも起こりそうな気配があるという。


 この事態を重く見た警察が呼び寄せたのが、ヤスヒコだ。この男になら、この状況を打開できると見込んだのだった。


「なんですかあ、それ。ヤスさんなんかに何ができるっているんですか?」


 師匠に対して明らかに舐めた口を叩く日葵だが、日葵の身体能力を見込んで、どうにか頼み込んで鍛えているという事情があり、ヤスヒコは強く出れない。


「あのさー、俺はこう見えて天才グロウイングアップ・バーニング・スピリットと呼ばれてるんだよ。

 まあ、見ていてくれよ。こんな状況も激辛でどうにかできることがあるんだ。俺たちが街の平和を守るんだよ」


     ◇   ◇   ◇


 警察署では、ヤスヒコは刑事たちに歓待を受ける。激辛グルメファイトの第一人者と目されているためだ。


「激辛グルメファイトは私が始めたわけではありません。でも、ルールの整備には私が尽力したし、一番理解してると言っていい。私に任せてもらえれば、勝つ算段はできるでしょう。その上で、組抗争戦を激辛グルメファイトで行うように手配いたします」


 ヤスヒコは自信ありげに回答し、警察の期待の依頼に応えていた。

 そして、その宣言通り、渦中の暴力団である、犬原いぬはら組と猿塚さるづか組は乗ってきた。組長としては命の危険が恐ろしかったし、そもそも全面的な抗争など儲けのない馬鹿らしいものだったからだ。


 そして、犬原組、猿塚組、それに警察の三つ巴で激辛グルメファイトを開催することになった。

 警察が勝てば両組の全面的な武装解除、両組が勝てば、片方の組の利権が流れてくることになる。それぞれの負けられない戦いが始まったが、ヤスヒコに勝てる激辛グルメファイターなどいるはずもなかった。


     ◇   ◇   ◇


 勝負は終始ヤスヒコの優勢で進んだ。彼のタッグパートナーとして日葵も参戦していた。この頃の日葵は今ほどの強者ではなかったが、ヤスヒコの指揮とフォローがあれば十全に勝利に貢献していたといえる。

 しかし、この時のヤスヒコはなんだかんだヤクザのやり口を舐めていた。いや、とんでもない辛酸を舐めることにしまうのだ。


 この時の勝負メニューは激辛お子様ランチである。

 デスソースを潤沢に用いたナポリタン。強化したハバネロを練り込んだチョリソー。濃縮カラシマヨネーズで作ったタルタルソースのかかったエビフライ。青唐辛子の成分を抽出した辣油で炒めたピラフ。それに、世界一辛い唐辛子であるキャロライナ・リーパーを混ぜ込んだハンバーグ。辛さにこだわったメニューが可愛らしく盛り付けられている。


 日葵がハンバーグを食べようとした時だった。犬原組の代表者であった山原やんばるが突如として風船を破裂させる。その中にはカプサイシンの粉が充満しており、その粉が散らされた。いや、その粉の破裂には指向性があり、計算づくで激辛ハンバーグに集中的に撒かれたのだ。

 それを日葵は食べる瞬間であった。ヤスヒコはそれに気づくと、瞬時にハンバーグを日葵から奪い取った。


「それはダメだ!」


 咄嗟のことだった。ヤスヒコは流れるような手つきで激辛ハンバーグを口に運ぶ。それは日葵を守るための行動であったし、同時にヤクザの抗争から無辜の人々を守るという献身でもあった。


 あろうことか、山原の放ったカプサイシンは純粋なカプサイシンピュアパウダーであった。つまり、極限までに辛さが高められ、辛味だけを凝縮させたものである。

 その破壊力がヤスヒコの消化器官に強い衝撃を与える。

 ヤスヒコの肉体フィジカルは強いものではなく、激辛の方法論を理論的にこなすことで、その実力を高めていた。そのヤスヒコにとって、純粋なカプサイシンピュアパウダーは肉体の許容量を超えていたのである。


 日葵は彼らの卑怯な振る舞いに怒り狂った。その感情の爆発が身体能力を上昇させ、激辛への耐性が高まる。ものすごい勢いで激辛料理の数々を片付け、あっという間にの勝負を終わらせた。

 街の平和は守られたのだ。この勝負に立ちあった激辛アスリートたちは彼女の才能の芽生えを予感し、それ以降、天才の種子ライジング・プロミネンスと呼ばれることになる。


     ◇   ◇   ◇


 勝負が終わり、ヤスヒコは病院に運ばれた。そして、結局は帰らぬ人になったのだ。


 それ以降、日葵は滅多なことではヤスヒコの話をすることはない。だが、ヤスヒコの死はスキャンダルと化し、警察の立ち合いのもとで行われた勝負だということだけ抜け落ち、ヤクザとの抗争で死んだのだと語られるようになる。

 自分をかばったヤスヒコの死が醜聞として語られることが、どれだけ日葵の心を苛んできただろうか。


 そして、この日もまた、その憤りともどかしさが臨界点に近づいていた。

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