三章 鍋
路上占拠
「おい、一体、何だってんだぁ。イカれてやがんのか」
金髪を逆立たせ、黄金の龍を描く刺繍が眩いスカジャンを着たチンピラが吠える。
その視線の先にはガスコンロを設置し、公道のど真ん中で鍋の準備をしている二人組がいる。二人組は人吉に気づくと立ち上がり、その進路を阻むように人吉の前に立ちはだかっていた。
「ついに現れたな、人吉恒臓。俺たちはお前を待っていた」
二人組のうちの大男が言葉を発する。まさか、日本語を解するとは。そんな驚きすらある朴訥な外見だった。
「あなたはここで終わりなの。おとなしくしてね」
二人組のうちの女性が声を出した。まさか、立ち上がることができるとは。そんな驚きすらある華奢な外見だった。
「あー、はいはい、俺は関わる気ねぇからよ。どいてくれよ」
人吉は二人を気にせずに、その場を立ち去ろうとした。
「あのね、言っとくけど道交法の……」
人吉がせめてもの親切心で忠告を言いかけたが、そんな彼の前に大男は回り込み、書類を見せつける。それは道路使用許可証だった。
わざわざ、そんな許可まで取って、こんな道端で鍋がしたいのか。呆れながらも道を急ぐ。
ガシッ
肩を掴まれた。
「待ちな。俺たちと勝負しようって言ってんのがわからんのか」
人吉はいきり立つ。無作法な相手を前に遠慮をする必要なんてない。
「テメェら、何のつもりだってんだよ。舐めてっと埋めるぞ、コラァ、あぁあん!?
おめーらみたいなイカレ野郎どもにやられっ放しになると思ってんのか? 俺を誰だと思ってんだよ!? コンクリの味を知りてぇのか?」
しかし、大男は動じない。
「
俺ぁ、
自信に満ちた熊谷の態度だが、だからといって、人吉には付き合う義理なんて何もなかった。
「へっ、ボケカスがよ。夢は起きてから見ろってんだ。俺がそんなこと……」
人吉の鼻先に万札が三枚突き出される。
「俺が負けたら、これがあんたのものだって言ったら?」
ゴクリと唾を飲んだ。これが俺のものになる……。
人吉に強い誘惑が襲い掛かった。これに抗うことはできない。
「ちっ、しょうがねえ。一回だけだ。勝負してやろうじゃねぇか」
熊谷と華奢な女がニヤリと笑った。自分たちの思惑に乗ってきたのだと思ったのだろう。
この俺に勝負を売って、ただで済むと思っているとは可愛いねえ。
人吉もまた心中でほくそ笑んでいた。
そんな時、熊谷の口から意外な一言が飛び出してくる。
「じゃあ、俺たちが勝ったら、あんたは人質になってもらうぜ」
◇ ◇ ◇
なかなか、美味いじゃねーの。
人吉は思わず、そう思った。用意されていたのはキムチ鍋だった。激辛フードファイト用に辛さは増されているが、辛さよりも美味さが勝つ。
辛みとともに酸味が利き、独特の旨味を持った味付けがしっかりとなされている。具材にはその味わいがしっかりと染み込んでいた。豚肉は旨味たっぷりで心憎く、ニンジンは爽やかで甘い。白菜は汁気たっぷりで美味しく、椎茸は独特の香りと旨味が健在のままでキムチ味になっている。春菊の苦みが一服の清涼剤のようだ。
おいおい、こんなん軽く完食しちまうぞ。
人吉は呆れながらも勝利を確信する。熊谷という男のペースは大したことがない。この勝負は鍋一つ分を平らげれば、それで勝利となるのだ。
「あんたらよ、よくそんな腕で勝負を吹っかけてきたよなあ。ま、勉強代だと思ってよぉ……」
気分を良くした人吉が演説をぶつ。そんな時だ。華奢な女が近寄ってきたと思おうと、手に持っていたペットボトルから透明な液体をドボドボと鍋の中に注いできた。
「テメェ、何しやがってんだ!? おい、審判見たろ!」
審判は公平を期すため、勝負を始める際に、その場を通りかかった見知らぬ男に頼んでいた。
人吉はその審判に声をかける。しかし、審判は札束を手に持って握っており、その枚数を数えているところだった。いつの間に渡されたのか、わからなかったが、今まさにこの男は買収されたようだ。
まさか、女が液体を入れるのと同タイミングで、あの札束を渡したのだろうか。なんという早業。そして、最初から自分たちの身内を審判として用意すればいいのに、この瞬間に買収するという謎の几帳面さ。
恐ろしい相手だ。
それ以上に怖ろしいのはあの液体だ。一体、何を入れたというのか。
人吉は鍋に匙を入れ、汁を掬って口に入れる。辛っ! 尋常なく辛い。あの透明な液体がこれほどの破壊力を持つとは。一体、あの液体の正体はなんなんだ。
腕を上げる。スカジャンの袖口からチューブが現れた。そのチューブから、酢が放出される。
これで、なんとかならないか。
人吉は必死の思いで酢を振りかけていた。そして、一口、肉を頬張る。辛い。痛い。熱い。その熱量が重かった。
肉を咀嚼する。激辛はじわじわと侵食するかのように口全体に広がり、喉を焼き、胃を苛む。想像以上の破壊力だった。
さらに、華奢な女が液体をドクドクと入れている。
「審判!」
人吉が叫ぶが、相変わらず審判の人は札束を数えており、その声は届かない。
絶望が頭の中で
ガタガタと震える手を必死で抑えて箸を持ち、次の具材を食べ進めようとした。自然と箸が止まる。もはや食事のできる精神状態ではなかった。
次にこの鍋の具を食べた時、自分は死ぬかもしれない。そんな感情でいっぱいになる。純粋な恐怖が人吉の感情を支配していた。こうなると、もう箸を進めることができない。
カチン
熊谷が鍋を菜箸で叩いた。
これを合図に人吉は我に返る。そして、自分の置かれた状況を理解した。
「負けました」
人吉はかすれるような声で、どうにかその言葉を口にした。
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