次代を担うもの

 聞き覚えのある朗らかな声が食堂から響いてきていた。

 それは高梨たかなし日葵ひまりの声だった。鹿島かしまは食堂に顔を出すことにした。


 勝負は東雲しののめ芍薬しゃくやくの勝利で終わったことは皿の状態でわかる。

 それに対し、二階堂にかいどう六華りっかはグロッキーな状態で最後の皿に盛られたカレーミートスパゲティに手を掛け、動きが止まっている。


「あれ、二階堂さんじゃないですか。二階堂さんも虎島とらじまさんに奢ってもらってたんですか?」


 日葵は二階堂に気づいて話しかけるが、焦燥した二階堂は答えることはできない。

 代わりに返事したのは東雲しののめ芍薬しゃくやくだ。


「二階堂さんは私に負けました。次はあなたですか?

 えーと、誰だかわかりませんけど」


 東雲は無表情な、それでいてどこか人を虚仮にかのように言った。

 それに返したのは虎島だった。


「そいつは天才の種子ライジング・プロミネンス高梨たかなし日葵ひまりだ。ヤスヒコの弟子って言えばわかるか?」


 その言葉に東雲の表情が変わった。


「あの天才グロウイングアップ・バーニング・スピリットの……」


 しかし、東雲の人を小馬鹿にするような態度は変わらない。


「高梨さん、あなたのお師匠様ですが、激辛の勝負中に死ぬような人ですよね。

 迷惑なんですよ。激辛の勝負にマイナスのイメージを持たされるの」


 大食いにおいて激辛部門がいまだないのは、日葵の師匠である西園寺さいおんじヤスヒコの痛ましい死が響いているというは一因であろう。

 だけど、それを弟子である彼女の前で言うというのは、あまりに残酷ではないだろうか。日葵とてそのことは深い傷となっているはずだ。


 鹿島はそう思ったが、日葵は東雲の言葉に表情を変えず、むしろ鹿島に顔を向けて叫んだ。


鹿島おじさん、早く料理作ってください。8時間自転車こいでて、もうお腹ペコペコなんです」


 どんな精神力なんだ。それとも東雲の声が聞こえなかったのか。

 鹿島は呆れつつも厨房に戻り、スパゲティを茹で始める。ソースはもう仕上がっている。

 虎島は時間を掛けろなんて言っていたが、時短はできるだけできたほうがいいに決まっている。どんな不測の事態があるかわからないのだ。

 だいいち、虎島あんた、今日は午後から全然仕事してないじゃないか。誰が店を回してるんだって思ってるんだよ。


 鹿島は10分経つと、料理を仕上げ、対戦者二人のもとまで配膳する。

 それはスープスパゲティであった。真っ赤なトマトスープに触れるだけでピリッとする唐辛子が混ぜ込められている。ガーリックの香りが食欲を誘うことだろう。

 具材は肉々しい旨味と燻製の香ばしさを封じ込めたベーコン、小さいが海の旨味たっぷりの子ダコ、柔らかくも食感の嬉しいマッシュルームだ。

 モチモチした食感に茹で上げたスパゲティにこのスープはよく合うはず。


「これぞ、まさしく夜中のスープスパゲティです」


 鹿島は得意げにそう言った。すでに時刻は23時に近づいていた。


「では、勝負を始めてください。今回はギブアップした選手が出るまで食べ続けるルールとなります」


 鹿島の宣言により戦いが始まった。


 今回はスープスパゲティだ。東雲に前回の手は使えまい。

 そう予想していた鹿島だったが、予想を外される。

 東雲はバッグの中から折り畳み式のボウルを取り出して組み立てると、スープをボウルに注ぎ始めた。そうして、スープとスパゲティを分離させる。スパゲティはスパゲティで、例によってフォークを大量に取り出して塊ごとにまとめていく。


 だが、それ以上の奇行が起きていた。

 日葵はスープの中のスパゲティをフォークでグルングルンと回していたが、ついにそれを取り出した。それは巨大な塊になったスパゲティだった。

 これには、虎島も二階堂も、周囲の普通に食事をしに来ただけのお客さんたちも注目する。


「カリオストロの城で見たやつだ!」


 誰かが声を上げたが、まさしく、それであった。

 日葵はその巨大な塊をそのまま口に入れる。日葵の口はまるでカエルのように大きく開き、それを口に入れた。やはり巨大な獲物を丸呑みにした蛇のように、日葵の頬は膨らみ、笑顔のまま頬張っていく。

 周囲の人々はそれをただ見守るだけだ。


「美味しい~」


 心底、幸せそうな叫びを上げ、そのままスパゲティを飲み込んでしまった。

 そして、残ったスープを飲むと、日葵は一言、声を出した。


鹿島おじさん、おかわり!」


 バカな、普通の一口を食べるだけでも、焼けるような激辛のはずだ。それをあれほどに大量に食べて、しかも、しっかり味わっているとは……。

 そう思い、ただただ茫然とするしかなかった鹿島は、日葵の声にハッと反応し、もう一皿のスープスパゲティを用意するために厨房に戻る。


 一方、東雲もまた日葵の食べ方に度肝を抜かれた一人だったが、さすがと言うべきか食べるスピードはほとんど変わらない安定したものだった。

 量産したスパゲティの塊を食べ進め、そうして胃を保護したうえでスープを飲む。完璧なルーティーンだ。

 その東雲の様子を手持ち無沙汰になった日葵が眺めた。


「なんか、洗い物が増えそうな食べ方だね」


 ぶほっ


 急な日葵のツッコミに東雲が思わずスープを吐き出してしまう。

 東雲は落ちつこうと水を飲む。これが敗着である。二階堂と同じ失敗を東雲もやってしまった。

 それでもどうにか落ち着き、スープを飲み干す。


 新たな皿が配膳される。しかし、状況は明確であった。

 日葵が瞬時に食べ尽くし、東雲はややもすると苦しそうに食べ進めていた。


 そして、声が上がる。


「もうお腹いっぱいです」


 東雲がギブアップしていた。勝者は日葵に決まった。

 だが、日葵はまだ食べ足りないのか、延々とスープスパゲティのおかわりを続ける。


「思った通りだぜ。8時間以上も自転車をこぎ腹をすかした日葵と、延々と激辛大食い勝負を続けていた東雲。どちらが勝つかは明白だったな」


 虎島はごく当たり前のことを言い、勝利宣言をした。

 しかし、それは両者五分の条件であったら、どちらが勝ったかはわからないことでもある。


「それって、私が最初から日葵さんと戦ってたら、私が勝ってたってことですよね」


 東雲はその言葉を受けて勝利を確信しているようだ。つくづく負けず嫌いだ。


「勝ったのは私ですよ。都合のいい記憶を上書きしないでください」


 日葵は日葵でそれを許さない。二人とも負けず嫌いなのだ。


 その様子を見て、鹿島はほくそ笑む。

 将来、本当に大食いに激辛部門が生まれたら、この二人が金銀のメダルを奪い合うのではないだろうか。

 実際、両者とも大食いの銀メダリストを負かしているのだ。可能性のない話ではないだろう。


 鹿島は、二人の競闘を微笑ましいものと感じていた。


「今回の食事代だけど、負けたみんなで割り勘ってことでよろしく」


 虎島が言った。


 ギクっとなったのは、人吉、二階堂、東雲の三人だ。もう一人、虎島も入るはずではあるが、所詮は自分の店への支払いなので、大して痛くはない。

 実質、75%の代金で大量の料理を三人に対して捌いたということになる。


 全然、仕事しないことには飽きれつつも、こういうところはやはり虎島はがめつい。商魂の逞しさについては敵わない。

 鹿島はそう思わざるを得なかった。


 そして、日葵はこのあとすぐ自転車で箱根まで帰っていった。

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