二章 スパゲティ
水没都市
「へっ、お遊戯会じゃねぇんだよ」
金髪に派手ながらのシャツとジャケットを着たチンピラ然とした男――
看板に書かれていたのは、「激辛スープスパゲティ大食い大会」というものであったが、人吉が嘲笑したのはそこではない。「水禁止」という注意書きであった。
激辛を食すものであれば、途中で水を飲むことがいかに恐るべきかわかるだろう。舌がリセットされるとともに冷え、その状態で食べる激辛のいかに辛苦を与えることか。
であるならば、「水禁止」という注意書きは優しさでしかないのだが、あたかも強い縛りを用意しているかのようなデザイン、フォントでそのことが強調されているのである。
途中で水を飲むような初心者が参加してくるのであれば、幼稚園の先生のような丁寧な指導が書かれているといっていいだろう。
この大会、ド素人ばかりだろう。
そのことを予感して、人吉はほくそ笑んでいた。それでいて、賞金は2万円が出るという。
まさに、ぼろい仕事というほかなかった。
「では、勝負を開始します」
主催者の宣言とともに、一斉に選手たちが激辛スープスパゲティを食べ始めた。
それに対し、人吉の行動は遅い。スパゲティのソースを舐め、まずはその辛さを見極める。
トマトの酸味と唐辛子の辛さがマッチしており、美味なのだろう。ガーリックの香ばしい匂いが食欲を誘い、モチモチの食感のスパゲティがソースによく合っている。おそらく、激辛にアレンジする前は。
しかし、激辛ムーブに乗って、無理やりアレンジされたその味は、いたずらに唐辛子の量を増やしただけでなく、デスソースまで加えているらしく、美味しさのバランスは崩れ去っていた。
「このくれぇなら、使う必要もねぇんだが……」
そう呟きつつも、人吉は右腕を大胆に広げる。右腕の袖の中にはカーテンレールを改造した仕込みがあった「タクシードライバー」のロバート・デ・ニーロであれば、レールを滑車して拳銃が手に掴まれるのだが、人吉は少し違う。彼が掴むものは、酢だ。
主催者に気づかれないように酢を撒き、そのまま酢を収納する。そして、流れるような動きでスパゲティをすすった。
「へへっ、酢の効いた料理が好きなんでよぉ。
がんばって調理しただろうに、すまねぇけどよお」
酢の効いた激辛スパゲティを悠々と食べつつ、ほかの選手に圧倒的な差をつけて、人吉は勝利した。
トロフィーとともに賞金の2万円が人吉に渡される。
バァン
会場の扉が開き、ハァハァと息を切らせた女性が入ってきた。
「もしかして、もう終わってしまいましたか?」
その女性は10代後半から20代前半くらい、フリルのついたピンク色のブラウス、同じくフリフリの短めのスカート、髪は茶髪に染めており、リボンの飾られたセミロング。
お洒落な、可愛らしい女子というべきであった。
「へっ、量産型女子大生かよ。
何だぁ、何しに来やがったんだ?」
人吉はその量産型女子大生に冷ややかな視線を送る。
大会の主催者は事の次第を伝え、優勝が人吉に決まったことを教えた。
すると、量産型女子大生はツカツカと人吉に近づいてくる。
「
私は
東雲芍薬と名乗った量産型女子大生は凛とした声で言い放った。
「私、強い方と勝負がしたいんです。もう大会が終わってしまったようで、残念です。
人吉さん、勝負の形式は任せます。私と勝負していただけませんか?
あなたが勝ったら、何でも言うことを聞きます」
「何でも、ねぇ……」
その言葉を聞いて人吉の顔に締まりがなくなり、ゲヘヘと下卑た笑みを浮かべた。
「おうおうおう!
じゃあ、俺が勝ったら、賞金として5万出してもらおうじゃねぇか!」
「なっ!」
東雲芍薬はその言葉に顔色が変わる。
無理もない。大学生にとって、5万円は途方もない大金なのだ。しかも、大会の賞金額の倍以上である。想定以上の申し出であった。
「へっ、怖気付いたか? いいんだぜ、こっちはやらなくても」
「くっ、足元を見てくれますね! いいでしょう、お受けします。
ただし、私が勝った場合、あなたにはとことんまで、私に付き合ってもらいますよ」
どうせ自分が勝つのだ。そう油断していた人吉は敗北時の条件をさらりと流した。
「俺はすでに大食い勝負したばかりなもんでよ。ハンデとして、あんたは唐辛子の量を10倍にしてもらおうじゃねぇか。
「受けて立ちます。主催者さん、お願いします」
二人の言葉を受けて、大会を主催していた店主は厨房に向かっていった。
人吉には自信があった。元々、激辛よりも大食いが得意なのだ。同じ量だったら、スピードを変えずに食べることができる。
ましてや、相手は量産型だ。やられ役に負けるほど落ちぶれてはいない。
しかし、人吉は勘違いしていた。
戦争において主力になるのは、量産型であることを。
そして、そんなことは激辛対決において何の影響も及ぼさないということも。
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