大団円
虎島は恐怖に慄くかのように息を吞み、スプーンを恐る恐るカレーに近づける。
そして、意を決したようにスープカレーに手を付けた。手を付け始めると、動きが速い。瞬く間にカレーを口に入れていく。
咀嚼はしているが、どうにもリズムがおかしいと訝しく思ったももの多かった。
一方、日葵は虎島の様子を眺めていた。まるで虎島の戦い方を見極めるかのようだ。
そして、口を開く。
「虎島さん、口の中に何か含んでいますね。おそらく、ミルクか何かでしょうか?」
虎島はギョッとした反応を少しするが、どうにか平静さを取り戻し、返事はせずにそのまま食べ続ける。
「それにそのリズム、カレーを舌に付けるのを避けてますね」
虎島はギクリとする。
しかし、わかったからどうだというのだ。
口内で最も敏感な器官を辛みから避ける。それは、地道な訓練によってのみ実現する異常な技術といえた。おいそれと真似されるようなものではない。
「それ、私もできます」
そう言うと、日葵ももの凄い勢いでスープカレーを食べ始めた。
咀嚼が著しく早く、やはり奇妙なリズム感のある食べ方である。そのスピードは虎島を遥かに凌駕していた。
虎島の食べるスピードも速いが、日葵が食べ終えたタイミングで、いまだ半分以上が残されている。
日葵は虎島ににこりと笑いかける。
「できるでしょ」
虎島はその微笑みを憎々し気に見やったのち、再びスープカレーを食べ始める。
だが、日葵の笑顔に当てられたせいか、カレーの辛さが上がっているように感じた。気がつけば、口内を覆っていたミルクの膜もすでに剥がれている。
それでも、どうにかもう一口を食べようと口の中に放り込んだ。激しい痛みが口の中を刺激する。噛みしめようとする顎の動きが重い。どうにか喉を通すが、喉も焼かれるようだった。
どうにか、もう一口を。
虎島はスープカレーをすくい、口に入れようとする。だが、全身を恐怖が支配していた。それは本能的な恐怖だった。動物的な反応だった。痛みに対して行われるまっとうな拒否反応だ。
「虎島さんのやってた食べ方、私の師匠が考案したものなんです。だから、私も練習したんですよ。でも、普通に食べたほうが美味しいから、自分ではあまりやらないんですけどね」
日葵はそう言いながら、屈託のない笑顔を見せる。
その笑顔から虎島は自分では彼女に勝てないと感じていた。
「あんたは俺への怒りから二階堂に手を貸したんじゃないのか? 俺があんたを騙して勝負に引き出したと……」
それに対し、日葵は少し困ったように笑った。
「そうなんですけどねー。なんか憎めなくなっちゃったんですよ。
私の師匠――ヤスヒコは私をかばって
その言葉から、虎島はつい昔を思い出していた。
それから親父の跡を継いでカレー屋になったのだ。カレー屋として、料理人としての情熱を当初は持っていた。しかし、親父の作ったメニュー以外は結局鳴かず飛ばずで、いつしかその情熱も失ってしまう。
結局、
「俺は西園寺ヤスヒコのフォロワーというには汚れ過ぎている。ちんけすぎる……」
不覚にも虎島の目からは涙があふれてきていた。
「いいんですよ、虎島さん。
ねえ、二階堂さん、今日のところは痛みわけじゃないですか」
泣き始めた虎島を日葵は笑顔で受け入れた。そして、二階堂に話を振る。
二階堂は激辛スープカレーが胃腸を苦しめているため、テーブルにうつ伏すような体制でまんじりとも動けないでいた。
「え、ええ……。そ、そうですね。私も虎島食堂さんも日葵さんの手助けを受けたんです。今日のところは引き分けにしましょう」
急に話を振られたため、何も考えずに日葵の言葉を受け入れてしまった。そもそも、激辛のダメージが大きすぎて、まともに頭を働かせられる状態ではなかった。
だが、虎島の行ったことはそんな流れに任せて許してしまっていいことだっただろうか。そんな考えもよぎるが、頭がぼぉーっとしており、腹痛も深刻なため、考えを巡らせられない。
それは虎島も同じだった。スープカレーを食べようとして固まった状態から、動くことができない。少しでも動くと、腹が痛くて堪らないのだ。
「では、今日のところは大団円ですね。それでは、私は失礼させていただきます」
そう言うと日葵は立ち上がれ、颯爽と去っていった。
虎島と二階堂は彼女に目を向けることもできないまま、なんとなく気配で日葵が消えていることを感じることしかできない。
やがて、観客ははけ、店のスタッフたちが会場を片付け始める。
それでも、両者ともに無言のまま、気まずいまま、互いに体調の回復を待つしかなかった。
(一章完)
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