絢爛なる女帝

 日葵ひまりは虎島の申し出に困惑した。

 職場でまとまった休暇が取れたため、久しぶりに東京に戻って、評判のお店で食事をしていただけなのだ。それが、どうして勝負ごとに巻き込まれることになってしまうのか。


「あんたは天才グロウイングアップ・バーニング・スピリットと呼ばれた西園寺さいおんじヤスヒコの弟子ではないか? もちろん、ファイトマネーは用意する。頼むよ、あんたほどの実力がなきゃ、絢爛女帝トータル・ブリリアント・カリズマティックの異名を持つ二階堂にかいどうにはとても勝てない……」


 彼の名前が挙がったことに、日葵はビクッとする。

 虎島をよく見ると、思っていたより若い男だった。そして、見覚えのある顔だとも思う。

 二階堂ほど有名ではないものの、彼もまた大食い界で切磋琢磨していたかつてのアスリートであった。とはいうものの、それほど熱心な視聴者ではない日葵にとっては、なんとなく顔を見た覚えがあるかな、という程度である。

 しかし、そうであるならば、「天才」の二つ名を受け継いだ自分のことに感づいたとしても不思議ではない。


「この虎島食堂はうちのオヤジが30年前に始めた店だったんだ……」


 虎島は話し始めた。

 虎島は大食い選手となることを目指し、かつての西園寺ヤスヒコを心の師匠としてその技術を再現しようと必死になっていた。だが、父が死に、店を受け継ぐため、その夢は諦めざるを得なくなる。

 どうにか鹿島とともに店の経営に苦心しているところ、メダリストとして名高い二階堂がこの仙谷せんごくの町に店を立ち上げたのだ。老舗の激辛店として根強い人気を持つ虎島食堂と、オリンピックで活躍したスター選手によるプロデュースという話題性で一躍全国的な知名度になったカリーライス専門店ンジャメナ。両者は町の人気を二分するほどだったが、いつしか勝ち切れないことに業を煮やした二階堂は虎島に嫌がらせのような真似を始めるようになった。今回現れたチンピラも二階堂の手のものと思われる。

 しかし、その証拠を掴むことはできず、話し合いの果てに激辛大食い勝負で決着をつけることになったのだ。


 日葵は少し思案する。

 虎島食堂の苦境など日葵には関係のないことだ。しかし、すでに日葵は二階堂の手のものだというチンピラと因縁を持ち打ち破ってしまった。ならば、もはや乗りかかった船なのではないだろうか。

 それに、メダリストと戦う機会を得られるというのは願ってもないことだった。


「予定があえば考えなくもないです。スケジュールと会場を教えてください」


 虎島から告げられた日付は、まだ休みが続いている。つまり、かなり急な話ではあるのだが、幸か不幸か時間は空いている。

 日葵は虎島に承諾を伝え、虎島食堂を去った。


     ◇   ◇   ◇


 そして、勝負の日である。

 日葵は慣れない街を歩いて会場であるレストランまでやってきた。

 カレー屋の対決に相応しく、スープカレーの店だった。


 パーテーションで区切られただけの控え室に案内される。コンビニで買ってきたばかりの飲むヨーグルトをチューと飲んでいると、虎島や鹿島も現れた。しばし談笑していると、ほほほという特徴的な甲高い笑い声が響いた。そして、派手な身なりの女性が姿を現す。

 勝負の場には不釣り合いなパーティードレスが目に飛び込んできた。派手な赤色のドレスと明るいウェーブのかかった髪型が似合う美女であったが、化粧が濃く、顔が長くて少し馬面なのが気にかかる。

 今日の勝負の相手である二階堂にかいどう六華りっかのようだった。


「虎島さん、今日は勝負の場を設けていただき、ありがとうございます。わざわざ私に花を持たせてくれるなんて、可愛らしいところありますのね」


 その切れ長の瞳を見下すように虎島に向け、ほほほと笑う。その後、日葵に視線を送る。


「あなたがお相手の高梨たかなし日葵ひまりさんね。今日は私の姿を胸に焼き付けて、しっかりお勉強してからお帰りなさい」


 やはり、自分の言葉にほほほと笑うと、嵐のように帰っていった。


「あの人、ずいぶん嫌みったらしいんですね」


 日葵はげんなりしたような表情で、小声でつぶやいた。

 虎島はその言葉を聞いて苦い顔をする。


 勝負は刻一刻と迫りつつあった。


     ◇   ◇   ◇


 日葵ひまりは虎島とともに勝負の会場へと向かう。すでに観客が店中にひしめき合っている。

 席は三つ用意されていた。左奥にはすでに二階堂にかいどう六華りっかが陣取っていた。中央に日葵が座り、虎島は右端に座った。

 そして、その席の前方にはスープカレーの鍋が置かれ、ぐつぐつと煮えたぎっている。その鍋からスープカレーがよそわれ、日葵と二階堂の前に運ばれてきた。


「皆様、お時間になりました。

 これより、虎島食堂VSカリーライス専門店ンジャメナの対決を行います。

 進行は私、猪之頭いのかしら泰士たいしが行わせていただきます」


 司会の声が響く。


「まずは一杯、食べていただきましょう。

 ルールはこののちに説明させていただきます」


 司会の言葉に従い、日葵はスープカレーに手を付けた。ご飯をスプーンですくって、スープカレーに浸して口に運んだ。

 不思議な美味しさがあった。カレーの風味はあるが、別物の味わいを感じる。カレーと混じり合った出汁の旨味が新しい美味しさを生み出していた。辛さとのギャップでその旨味は増幅されている。

 これは美味しい! 日葵は夢中になってスープカレーを平らげたが、しかし、少し物足りないものも感じていた。辛さが足りないのだ。


「辛さが足りない。そう感じたのではないでしょうか。

 そうは言っても、このスープカレー、この店、アルケミスパイスでも数ある辛さのうち、最大の階級である熾天使セラフフィムです。これ以上の辛さを求めるならトッピングの神聖ホーリー火薬パウダーを入れるしかありません。

 この勝負では神聖な火薬を一杯ごとに設定し、辛さをどんどん上げていきます。そして、ギブアップした選手を敗退とするサドンデス方式といたします」


 辛さが足りなことも含めて計算づくったようだ。

 サドンデス方式と聞いてピンとくる。この勝負、地獄のような様相を呈することだろう。


「では、まずは日葵さんに神聖な火薬の量を設定していただきましょう。10gから設定していただけます。いくつにいたしますか」


 まずは日葵が決定するターンのようだ。それならば決まっている。


「10gでお願いします」


 まずは様子見だ。辛さがどのくらい変わるかはわからない。まずはどのくらいの辛さか、最小の量で見極める必要があった。

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