第6話 自由と肖像
私がここエルスターの地に来てから、初めての秋のことです。
「明日は当家の農園がある村でワイン用葡萄の収穫祭があるから、君も見に行ってみないか? ……このぶんだと、今年が最後になるかもしれないから」
「まあ、行ってみたいわ! でも、最後ってどういうこと?」
「それは……先日、国外から安いワインがどんどん輸入されるようになっているという話をしただろう? 単位面積あたりの生産量も少ないし、赤字の葡萄畑を維持していくのは……もう難しい状況なんだ。幼いころ葡萄の木の間を走り回って遊んだのは良い思い出だけど、そろそろ決断しなければ」
ですがそういう彼の表情はどこか寂しそうで……私はなんとか存続できないかと、考えをめぐらせました。
「ああ、これは伯爵様に奥方様! ようこそお出でくださいました!」
翌日。農園のある村へ向かうと、多くの村人が私たちを歓迎してくれました。見覚えのある顔が多いのは、結婚式の日に教会前で見た顔でしょうか。
ホテルのお客様の対応を終えてから向かったお祭りは、すでに佳境を迎えているようでした。楽器の演奏に合わせて踊る村人たちの中心には、大きな桶がいくつも置かれ、その中で民族衣装を着た女性たちがスカートをつかんでリズミカルに足踏みをしています。
「あれって……もしかして、葡萄踏み?」
お祭りを案内してくれている村長のおかみさんに聞くと、彼女は上機嫌で答えてくれました。
「ええ。近ごろワイン用の葡萄は機械で破砕しているんですが、このお祭りでは神に捧げるためのワインを昔ながらの足踏みで潰した葡萄で造るんですよ。奥方様もご参加なさいませんか?」
「でも私、既婚よ。確か葡萄踏みって、乙女じゃないとダメなんじゃ……」
「ああ、そういう地域もあるみたいですけど、ここでは女性なら誰でも参加していいんです」
おかみさんにニコニコと笑顔で言われ、私は思わず傍らの夫を見上げました。
「ミラベルの好きにするといいよ」
「そうね……じゃあ、参加してみようかしら」
実際にお祭りを体験してみたら、何か良いアイデアがわいてくるかもしれません。
足を清めてからたくさんの葡萄が敷き詰められた大きな桶に踏み入ると、すぐにぷつぷつと葡萄の粒が足の裏で弾けてゆく感触がします。あふれ出す果汁の冷たさが心地よく、私は流れる音楽に合わせて夢中で足踏みを続けました。
つい楽しくて最後まで葡萄踏みに参加した私は井戸端で足を流して……ぎょっとしました。
「うそ、全然色が取れないわ!」
「奥方様、この辺りではそれを『ロゼの靴下』って言うんですよ」
「あはっ、靴下って! あはははは、やだもう!」
私は村の女性たちとひとしきり笑いあったあと、ほんのり薄紅色に染まった足のまま、帰城の途につきました。
「うふふ、今日はすごく楽しかったわ!」
「ああ、そういや君があんな風に口を開けて笑うのは初めて見たよ」
「見ていたの!? ……はしたなくて、幻滅した?」
「いや。あの学校での君はいつも落ち着いた笑みを浮かべていたけれど、どこかぎこちない感じだったから……なんだか安心したよ」
そう言って笑うアイザックに、私は今日葡萄を踏みながら考えたアイデアを伝えることにしました。
「せっかくワイン造りのノウハウと設備を持っているのに、葡萄園を他の作物に転作してしまうのはもったいないわ。ワイナリーを見学可能にしたり、一般客向けのお祭りを開催したり、観光用に特化させてゆくのはどうかしら?」
「観光用に?」
「葡萄踏み、とっても楽しかったわ。参加者には伝統の民族衣装を貸し出して、中世ワインまつりを楽しんでもらうのよ。ワイナリーめぐりをしながら飲み比べができる、新酒まつりなんかもいいんじゃない?」
「なるほど……仲買に買い叩かれるくらいなら、お土産などの直販メインでやっていけばいいわけか。同じ値段で売ってもより多くの利益を生産者の手元に残すことができるな」
「ええ。それに名前を知って愛着を持ってもらえたら、貴重な国産ワインとして少々高くとも今後の需要を確保できるかもしれない。それに、こんなに楽しいお祭りを無くしてしまうなんて……残念だもの」
「そうだな、来年の収穫期に向けて本気で準備を進めよう。……ありがとうミラベル、本当に」
そうどこか震える声で言う夫に、きつく抱き締められながら。私はこの人の幸せを守りたいと、改めて決意したのです。
*****
エルスター伯爵城がホテルとしての営業を始めてから、無事一周年を迎えました。
当初私たちが危惧していたマナーの悪いお客様は、意外なほどにいらっしゃいませんでした。初めは落ち目の貴族を見て笑ってやろうというつもりでいらしたらしいお客様も、こちらが心から敬意をもって対応致しますと、城に招かれた客人として恥ずかしい振る舞いはできないという気分になられるようでした。
かつての騒動を覚えていた一部の新聞記者の方たちが、訪ねてきたこともありました。ですが彼らも私たちのおもてなしを受けてゆくと、新しいエルスターの姿を好意的な記事で首都の読者に紹介してくれる結果となりました。
こうしてエルスター伯爵城の名は、上流階級の口コミだけではなく、中産階級以下の庶民にまで、憧れの対象として知れ渡っていったのです。
──とある午後。
本日のチェックイン時刻に向けて、伯爵夫人らしい姿でお客様をお迎えするべく、アンティークなドレス姿に着替えていたときのことです。
「ミラベル、ちょっと来てくれ!」
「どうしたの?」
夫に呼ばれて隣室へと急ぐと、そこには艶やかに磨かれた、ひと抱えほどの大きさの木箱がありました。よく見るとその木箱には、一方に金属製の筒のようなものがついています。
「先日、祖父の旧い友人が泊まって行っただろう? あのとき彼は昔を思い出すことができたといたく感激してくれてね。これをホテルで使えばいいと譲ってくれたんだ」
「これは……」
「銀板写真機だよ」
「これが、あの噂の!?」
「ああ。これを使って、中世の衣装を着た姿を記念に残すサービスを提供してはどうだろう?」
アイザックは手早く写真機を準備すると、明るい窓辺で私を椅子に座らせて言いました。
「悪いけど、少しじっとしていてくれないか」
しばらくして出来上がった写真は信じられないくらい鮮明に、銀の板上に私の姿を描き出しています。
「とても……綺麗だ」
「ええ、本当に。まるで鏡をそのまま固めてしまったみたいに精細ね」
「いやその、それはそうなんだけど……僕が言いたいのは、君が、その……」
急にしどろもどろになる夫を見て、私は笑いました。夜はあれほど情熱的に愛を囁いてくれるのに、未だに昼間は少し照れてしまうようなのです。
「ねえ、もう一枚撮れないかしら?」
「撮れるけど、何を撮るんだ?」
「貴方と並んで撮りたいの!」
出来上がった写真は、額縁に入れて歴代の当主の肖像画が並ぶ部屋に飾られることになりました。両手のひらに収まるサイズのそれは、絵画と比べるととても小さなものです。ですがそこに写っている私たちの姿は、とても幸せそうな微笑みを浮かべておりました。
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