三十二話:変わるもの
広場を走り、地面を蹴って、跳ぶ。
僕を追う様に、次々とうすく黒いなにかが僕のうしろを通り抜けていく。
見れば、そのなにかが狼先生をまるーく包み込んでいるうすく黒い壁から、たくさん伸びてきているのがみえる。
木の根みたいな形だけれど、先はまるいし……違うみたい。
伸びる棒? 壁? 棒でいいかな? って、わぁ!
着地したところに、うしろから回り込んできた棒。
前方やや右側からの攻撃を、右回りで躱すと、そのまま走って狼先生に近づく。
『避けられちゃったー』
伸ばしていた棒達をもとの壁にもどしながら、狼先生から気の抜けた念が飛んできた。
今は狼先生との訓練中!
赤べえを見送ったあと、広場に残った狼先生達とどんな訓練をするか相談したら、さんにんとの一対一になったんだ!
僕が魔力感知をしなくていいように、魔法の壁に色をつけてもらって訓練をしているんだけれど、それでも避けるので精一杯って、わぁ!
咄嗟に風になりながら、避ける。
残った僕のうしろの左足を、うすい黒の棒が上から地面に串刺しにしたけれど、するりと煙の様に棒を避けて、元の足の形にもどる。
狼先生を見れば、狼先生を包むまるい壁のうしろの辺りから、一つだけ空へと伸びる棒が。
空を見上げると、空へと伸びた棒は、枝分かれを繰り返して、広場の空いっぱいに、まるで蜘蛛の巣の様に張り巡らされていた。
その蜘蛛の巣状の棒から、また棒が枝分かれして、僕へと向かって伸びてくる。
速い。でも、注意していたら避けられ……!
僕の進む先を紐のれんの様に降りてきた棒に塞がれる。
うしろに下がった僕の背中をなでる様に、うすく黒い棒が一つ通り抜ける。
それから次々と僕の逃げ場をなくすように、二つ、三つ、四つ……触れなくてもおかまいなしに僕の体を通り抜けていく。
僕の背中を通り抜けた棒からも枝分かれしたのか、どんどん視界がうすい黒に埋め尽くされて……
『おしまーい!』
黒かった視界がふわっと晴れる。
風からもどると、知らない内に力を使っていたからか、その場にへたり込む。
ぜんぜん避けられなくて、風からもどる暇すらなかったよ。
もっと上手に避けられるようにならないと、だねー。
『つかれたー?』
『ううん、まだ大丈夫!』
ぽふんとすこしやさしめに、僕の首元に顔をのせてきた狼さん。
この狼さんは、いつも僕の背中に頭をのせてくる狼さんで、一度眠るとなかなか起きないから、寝坊助狼さん。
さっきそう呼ぶことにしたんだ!
寝坊助狼さんも『いいよー』って言ってくれたし!
とっても気配を隠すことが上手で、突然うしろに! ってことがよくあるんだー。
『痛いところある?』
僕を心配そうな顔で見下ろしているのは、気配りが上手な斑狼さん!
背中の斑模様がかっこいんだ!
斑狼さんとはまだ一対一で訓練をしていないけれど、赤べえみたいに魔法で傷を治してくれるの!
さっき斑狼さんって呼んでいい? って聞いたら、『他にも斑いるよ?』と言いながらも、うれしそうに尻尾を振って、『いいよ』って言ってくれたの!
あとは……あ、そうだ! いつもは寝坊助狼さんに振り回されているよ!
『ないよ! ありがとう!』
サッと寝坊助狼さんが離れてくれて、立ち上がる。
うん! もう大丈夫!
『楽しかったね』
狼先生が歩いてくる。
よっぽどたのしかったのか、ニコニコしている。
そこに斑狼さんが、
『やりすぎ! 手加減!』
と狼先生を叱った。
叱られた狼先生は、尻尾と耳を下げて、
『ごめんねー』
と心配そうに僕の顔を舐めてくる。
あんなにたのしそうだったのに……もっと僕ががんばって、狼先生が手加減しなくてもいいようにしないと!
そのためにはやっぱり――
『大丈夫! ほら、もう一回やろう!』
その場で回ってみせる。
ほら、僕はやる気元気!
だから、もっともーっと訓練しよう!
『……! うん!』
狼先生は尻尾と耳をすこし上げて、うなずいた。
『よーし! 始めよー!』
空高く声…は、響いてないけれど、念を飛ばして気合いを入れる。
今日も青い空。
でも、今日は雲一つない空。
この空も毎日変わっている。
僕もちゃんと変わっていこう!
もちろん、いい方向に!
『始めよー!』
寝坊助狼さんの顔が突っ込んでくる。
そのうしろで、あちゃーって顔の斑狼さんが見えた。
□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
狼先生達との訓練を終えて泉へと向かう。
今日の訓練は魔力感知も、言霊も、魔法も使わなかったから、泉で練習してから帰るんだ!
頭の上をプカプカと宙に浮きながらついてくる魔力の球。
その形を変えながら、木を避けて、根っこを避けて、歩く。
しばらくして、水の音と匂いがし始めて、泉へと着いた。
オレンジ色の空を反射して、オレンジ色の泉を眺めて一息吐く。
綺麗だねー。
ね、エルピ!
……
エルピからの返事がない。
まだ眠っているのかな?
もしかして、エルピって寝坊助狼さんよりも寝坊助さんなのかな?
気を取り直して、泉で魔法――狼先生に教えてもらった透明な壁を作る魔法を練習する。
しばらく練習して、やっと一つ壁を作ることが出来た。
狼先生達のものよりもすこし小さいかな。
でも、出来た! 出来たよ!
見て見てエルピ!
あ、エルピは今眠っているはずだった……もう! こうなったら、もっと大きな壁を作れるように――ううん。さっきの訓練で狼先生がやっていた、あのなんかすっごい魔法を出来るようになって、寝坊助さんなエルピを驚かせちゃうんだから!
それから、言霊の練習もして、魔力の球をぐにょんぐにょんしながら、住処へと帰る。
住処に着くと、綺麗に光るハルサキ草の中を抜けて、石の上へ。
いつものように石の上にまるくなって、まぶたを閉じる。
おやすみエルピ。
……
エルピからの返事はない。
明日はきっと、エルピの声が聞けるといいな。
ゆっくりと暗い夢の中に落ちていく。
明日になっても、その翌日も、そのまた翌日も、太陽が沈むのがすこし早くなっても、エルピの声を聞くことはなかった。
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