三十話:切る
「若葉には、広場がこの様に見えているのだな」
そう言って、小さくなった赤べえは興味深そうに広場を見渡す。
その目は変わらずきりっとしていて、小さくなってもかっこいい。
あ、赤べえがこっちを見た。
「……惚けている場合ではなかろう? ほれ、我は此処だ、捕まえてみよ」
そう言って、赤べえが尻尾を一ふりする。
そうだった!
止まっていた足を動かして、赤べえに近づいていく。
「先程と同じだ。魔力を使わず、我を捕まえろ。と言っても、触れるだけで構わない」
触れられればな、と続けると、赤べえの周りを囲む様に、地面が盛り上がる。
僕は走る勢いそのままに、壁へジャンプするけれど、飛び越えられずに、壁の半分より下のところで阻まれる。
うーん、もう一つ壁があると無理矢理登れるんだけれど……って、身体強化だから、魔力を使っちゃうね。
ぐるりと壁を見て回る。
低いところはないみたい。
どうやって赤べえをつかまえようかな。
穴を掘って……は明日になっちゃいそう。
なら、風になって……も、空へ向かって風が吹いていないから、飛び越えられないね。
じゃあ、赤べえを縁で引っ張る?
ううん、それよりも――
壁に右前足をつける。
これからすることは、
壁に意識を向ける。
壁は八つの土の塊が繋がって出来ているみたい。
八つの壁の内の一つ、ちょうど目の前にある壁に意識をあつめる。
目の前の壁を作るたくさんの糸――縁が見える。
縁は僕が繋げなくっても、自然に繋がったり、離れたりする。
生き物と生き物の間にも、生き物と物の間にも、物と物の間にも、縁はある。
今回は物と物の間にある縁を、切る。
あんまり好きじゃないんだけれどね。
縁を切ることは、繋がりを切ること。
縁が切れれば、繋げられていたものは、離れる。
壁を作っている土の縁達を切る。
ほんのすこしだけ力が抜ける感覚。
壁が縦にぱかっと割れて、通れそうな隙間が出来た。
すぐにそこへするりと入って、壁の中へ。
「ぬ?」
赤べえ声がしたと思った途端、ドカンと音。
土煙りが舞う。
赤べえが壁を壊した?
なら――
赤べえと僕を繋ぐ縁をぐいっと引っ張る。
うぅ重い!
「先の壁の切断といい、お主の力は汎用性が高いようだな」
晴れていく土煙の中で、踏ん張っている赤べえが見えた。
よし! このまま!
赤べえに近づく。
縁は短くなるけれど、僕が縁を引っ張っているから、赤べえは踏ん張ったまま。
これで――
「それは油断と言う。覚えておけ」
ぐいっと縁が引っ張られて、体が浮く。
見れば、赤べえが縁を咥えて、思いっきり引っ張っていた。
「上手く着地しろ」
赤べえのすこし上を通り過ぎて、地面へ。
わぁあ!
伸ばした前足が地面に触れたと思ったら、体が前回り。
尻尾の先が地面を掠めて、地面に座るように着地した。
胸がすごくドキドキしている。
すごい、すごい……
たのしかったー!
縁を引っ張られるなんてすっごいひさしぶり!
いつも山菜採りに使っていたから、引っ張れるひともいるって、すっかり忘れていたよ!
「怪我は無いか?」
振り返ると、赤べえが歩いて近づいてくる。
赤べえのうしろに見えるはずの壁は、どこかへ消えてしまった様になくなっていた。
「まずは、ほれ」
赤べえが僕の前に右前足を上げる。
なんだろう?
僕が首を傾げると、
「どうした? お主が触れなければ訓練は終わらぬぞ? それとも、まだ続けるか? ほれ」
と言って、僕の顔にぐいーっと足を押しつけてくる。
よくわからないけれど、触っていいなら、触っちゃおう。
左前足を上げて、赤べえが上げている足に触れる。
「よし、これで一つ目の訓練は終わりだ。どうだ? 前の世界の感覚を思い出したか?」
前にいた世界の感覚……思い出したのかな?
まだなんとなくって感じで、ぼんやりしていると思うんだけれど……。
それに、気配がぜんぜんわからなかったことも気になるし……。
じゃあ、すこし、かな?
『すこしだけ!』
「少しでもよかろう。何かを思い出せたのなら、それは大きな前進だ」
そう言って、赤べえは狼さん達がくつろいでいる木の下の方へ歩いていく。
そうだよね。
すこしずつでいいんだよね!
よーし!すこしずつがんばるぞー!
空を見上げて、小さくうなずく。
「若葉、次の訓練の為に休むぞ。早く来い」
赤べえの呼ぶ声。
『うん! わかった!』
僕はそう言って、赤べえを追いかけて――
わぁ!
広場に開いた小さな穴に右前足が入りそうになって、あわてて態勢を左に傾ける。
なんとか転ぶのを回避して、穴を覗き込む。
穴の中はまっくらで、とっても深いみたい。
いつからあるんだろう?
「すまんな。抜け落ちていた」
あ、赤べえ。
いつの間にか一緒に穴を覗いていた赤べえが、自分の尻尾を穴の中に入れた。
尻尾の太さと穴の幅がぴたりだね。
ズモモモと音がして、赤べえがゆっくり尻尾を引き抜くと、それを追う様に、穴が奥の方から土で埋められていって、すっかり穴はなくなった。
「よし、行くぞ」
『うん!』
赤べえの背中を追いかけて、狼さん達のいる木の下へ向かう。
あの穴はどうやって埋めたんだろう?
それに、あの土の壁はどうやって作ったんだろう?
たぶん言霊か魔法だと思うんだけれど……うーん。
わからない!
でも知らないことがいっぱいって、たのしいね!
歩く足取りが心成しか踊っているみたいだった。
あ! おしりがひりひりする!
さっきおしりで着地したからかな?!
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