第6話

何とか無事にテストを乗り越え、彼とも直接会ってたくさん話して仲直りした。テストの点数は思ったより良かったし、今までよりもデートの数が増えて楽しく時間は過ぎていった。今までと何も変わらない、当たり前の、ごく普通の日常のはずだった。

それなのに私の心はぽっかり穴が開いたようだった。

何か足りない…。

 あの日以来、先輩は一度も私の前に現れていない。

そもそもの始まりは先輩が悪いのだから、気にしなければ済む話でもあるはずなのに、あの日から一ヵ月が経っても私の罪悪感は消えることはなかった。

考えた結果、もしも学校でばったり先輩と会うようなことがあったら、その時に謝ろう。そう決めて過ごしたここ一ヵ月。しかし、先輩をたまたま見かける日は来なかった。

そして私はやっと知る。

あれは、たまたまなんかじゃないのだと。

考えてみればそうだ。私の行く先行く先に先輩がたまたまいるなんて不自然だし、それに二年生からは週に何度か放課後の勉強会があると聞いたことがある。学年一位の先輩が参加しないはずもないが、だとしたら毎日私を玄関で待ち伏せするなんて不可能。

それは紛れもない先輩の努力だった。

先輩だって、自分でわかっていたはずだ。周りにどんな目で見られているか。優等生、真面目キャラ、高嶺の花。そんな先輩があんな行動を毎日起こすことにどれだけの勇気がいる事なのか。

私は、そんな純粋な先輩に傷を負わせてしまった。下手したら一生消えることのない、深い深い心の傷を。

失って気づくとはこういうことなのか。いや、そもそも自分の物でもなんでもないが、でもつまりそう言うことだろう。

私は先輩を煙たがっていたけど、でも本当は内心少しだけ楽しみにしていたのかもしれない。先輩との会話は楽しかったし、何より楽だった。尋常じゃない勉強量で少なからず誰かしらストレスを抱えているこの学校で、先輩は唯一それを感じなかった存在だ。私と一緒に過ごす時間を心から楽しんでいるように思えた。それが私は少しだけ嬉しかった。ということにいまさら気付いてももう遅い。

こうやってどんなに心を改めようが、反省しようが、私が先輩に言い放った言葉がなかったことにはならない。先輩が私の前に現れてくれることもない。

もしかしたら、今日の放課後は、またあの日のように私の下駄箱の前で待ち伏せしているかもしれない。そして、「一緒に帰ろう」って言って私の後を追いかけてくるのではないだろうか。

そんな期待をしている自分に気が付いた時、私は吐き気がした。

先輩を傷つけたのは自分だ。もう、あの時のように戻れるはずもない。それに先輩があの日みたいに戻りたいなんて思っているわけがないのだ。私が先輩に対して冷たく接して、先輩の優しさに甘えていただけなのだから。

でもせめて…せめて、謝りたい。

するとその時

「白石先輩って、知ってる?」

クラスの人達の会話から今さっきまで自分が考えていた名前が聞こえてきて思わず反応する。

「知ってる知ってる!あの美人でスタイルいい人でしょ?」

近くにいた男子が楽しそうにその会話に入っていった。

「そうそう!やばいよね~超かわいい」

「可愛い。それもあるけど、美しい、って言葉の方が似合うよね!」

「わかるわかる。てか女子でもそう思うんだ」

「思うよ~あの人は完璧だよね。あのルックスで、学年一位なんでしょ?」

「え、マジ?そんな完璧な事あっていいの?」

自分の腹の虫が騒ぐのがわかる。そんな権利、私にあるはずもないのに。

「でもよー、部活の先輩から聞いたことあるぞ?毎晩違う男連れまわしてるって」

「「えぇー!」」

突然乱入してきた噂話に一同騒然。それは私も例外じゃなかった。

あの先輩に限ってそんなこと…

いや、あるはずがない。

きっとこの学校で先輩のことを一番知っているのは私だ。だから絶対に間違いない。根拠は…ないけど。でも先輩は、そんな人では決してない。

それに先輩の好きな人は…

少なくとも一ヵ月前までは私は知っているから。

どうにか先輩の汚名を晴らしたいが、事態はヒートアップするばかり。

「あれだけ可愛かったらそういう人間になっちゃうよね」

「やっぱ完璧な人なんていないんだな」

「俺、完全に失望したわ。」

これ以上この場にいては、また余計なことを口走りそうだったから教室を出た。

聞きたくない。先輩のそんな根も葉もない噂話なんか。

違うとわかっているから余計。

私は気づいたら屋上へ来ていた。


 初めて足を踏み入れた屋上は、案外見晴らしがよくていい場所を見つけたと思った。割りと広めで、人気がなくて、気持ちを落ち着かせるのには適していた。だが…

奥の一番端にいるたった一人の人影。それは紛れもなく先輩だった。

あの日以来、初めて見る先輩の姿は、私が知る先輩よりもどこか小さく、情けなくなっていた。元気がないことは目に見えてわかるほどに。

向こうは私の存在に気づいていない。今までの私だったらこのまま逃げてなかったことにしていたかもしれない。それほどまでに誰も近づけないようなオーラを放っている先輩を、今の私は放っておくことが出来なかった。私が傷つけた。ならばその傷を修復できるのも私しかいないのだと信じて…

「…先輩…?白濱先輩」

静かに歩み寄って、背後から声をかける。柵に体重を預けて遠くのただ一点だけを見つめる先輩は、私の存在に気づくとビクッと全身で驚きを表現した。その衝撃でポタッ…と零れ落ちた涙を見て、私の胸は締め付けられた。

伝えなきゃ。謝らなきゃ。

「すみませんでした」

深々と頭を下げた。思い返せば、こうして真っ向から人に謝罪したのは初めてかもしれない。

「…あの日の事、ずっと謝りたくて。…私あの時、色々あってイライラしてて…それで近くにいた先輩にきつく当たってしまいました。おまけに余計なことまで言ってしまって。本当にすみませんでした。」

もう一度、頭を下げる。先輩はどんな顔をしているだろうか。私の事なんかもう二度と見たくなかっただろうな…でも、伝えなくてはならない。

「瑠衣ちゃん…」

か細い声で先輩は私の名前を呼んだ。

これ以上、何を言ったらいいのかわからない。私の謝罪が少しでも伝わってほしい。そして、本心じゃなかったということも。

次に先輩が声をかけてくれるまでの十数秒間、私は頭を下げ続けた。

「…もう、謝らないで?」

先輩に無理やり体制を変えられ、頭を上げた。目の前の先輩の目は赤く腫れていた。

「全部、瑠衣ちゃんの言うとおりだよ。だから、瑠衣ちゃんが気にすることはない。…

ごめんね、迷惑かけて。もう、話しかけたりしないから。」

そう言うと先輩は立ち去ろうとするから、私はその手を引いた。

「謝るのは私の方です!本当に、すみませんでした」

「だから、もういいって…」

先輩は涙をこらえているようだった。なぜか私も、目頭が熱くなるのを感じる。

「楽しかったんです!実は…先輩と帰るの。毎日少しの時間だけど、先輩が楽しそうに話すから、私も嬉しかった。」

素直に伝えよう。そうすることで先輩の心を少しでも救えるかもしれない。

「…え?」

「都合のいい女でごめんなさい。でももし、先輩がそれでもいいのなら…また今日から、私と帰ってくれませんか?」

自分でもバカだと思う。先輩の気持ちを知っておいて、こんな言い方。先輩の気持ちには応えられないのに…

「…都合のいい女でも、嬉しい…」

それでも先輩は笑ってくれた。

「ありがとう、瑠衣ちゃん」

こんなに純粋で優しい人をどうして私は傷つけてしまったのだろう。もう、繰り返したくない。

だから私ははっきり言葉にした。

「私には彼氏がいます。セックスもしました。私は彼氏が好きだし、別れるつもりもありません。…先輩は私と、そういうこと、したいと思うんですか?私が彼氏と手を繋いだり、キスしたり、そういうこと、したいと思うように、先輩は私のこと、そんな風に見てるんですか?」

もう先輩を傷つけたくない。

この言葉で傷つけることはあったとしても、この言葉はもうこれ以上傷つけないためのものだ。

だからこそ、はっきりさせておくべきだと思った。これが最終的には先輩のためになると信じて。

先輩は困った顔をしたけど、十分に考えた後にこう答えてくれた。

「うん。そうだよ。」

力強く。そう言った。

先輩の瞳は、ただ真っ直ぐに私だけを見て、そしてそれから言葉を続けた。

「でも今日で、この気持ちは封印するね。でないと、瑠衣ちゃんのこと傷つけちゃうし、正直私も…辛いから。そこまでしてでも、私はあなたのことがもっと知りたい。それでも嫌だったら、もう二度と会わないって約束する。むしろ今気持ち悪いって言われた方が、楽、かな…」

先輩は少し怯えているようだった。

私は考えた。

この選択は、きっと私の運命も先輩の運命も、大きく変えることになるだろう。

間違えたら、この先ずっと後悔すると思った。

一度踏み出したら、きっともう後戻りはできない。

考えて考えた末に吐き出した私の決断は

「…私も、先輩のことがもっと知りたいです。それは、先輩、としてですけど…それでもいいですか?」

先輩は優しく笑って頷いてくれた。

その笑顔が少しぎこちないのは、

先輩の恋がたった今、終わったからだと、

どこからともなく、そう聞こえた気がした。

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異端児〜例えこの世界から排除されても〜 @omusawa

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