第5話
私が白濱先輩という存在を認識するようになって、三ヵ月近くが過ぎた。そろそろテストという一大イベントを迎える時期となり、校内は次第にピリピリな空気になりつつある。
そんなのもお構いなしに通常運転なのは先輩ただ一人。学校でたまたま出会った時には一目散にこちらへ駆け寄ってきて、何かと会話を進めようとする。放課後は玄関で待ち伏せされて駅までの帰り道は当たり前のように私の横を歩くようになった。時には学校でわざわざ私のクラスまで会いに来ることもしばしばで、それに慣れてきた自分がいるのも事実だったが、迷惑な事には変わりなかった。
そんな今日は、久しぶりに彼氏とデート。高校へ入学してからはなんだかんだ初めてかもしれない。何度もデートは試みたが、予定が合わずなかなか叶わなかった。今も、テスト期間を控えているため、次いつ会えるかもわからないが、今日一日だけでも楽しみで仕方がなかった。
普段よりも少しだけオシャレをして。見たかった映画を見て。美味しいランチを食べて。買い物に付き合ってもらい。その後はなんとなくの流れで彼の家へ。
「やっぱ瑠衣といると落ち着くし、一番楽しいわ。」
キスはこれまでも何度もしていた。けれど今日はその先があるのだと、私の肩を掴む彼の手がそう言っていた。
怖い。けど、嫌ではない。
私はその日、初めて彼と大人の階段を上った。
「瑠衣、可愛かった。」
「…ばか…」
「バカってお前、そういうツンデレなところも俺は好きだぞ?」
そう言われた時、前に先輩が言っていた言葉を思い出した。
『バカって、心開いている人にしか言えなくない?』
先輩の言う通りかもしれない。彼は私のことをちゃんと理解してくれて、なかなか素直になれないそんなところまで好きだと言ってくれる。だから私はありのままの自分で彼と付き合っていけるのだ。
こういう存在が、先輩にはいないというの?
確かに、あのしつこさならいくら美人でも無理はない。でも、思い過ごしかもしれないが、きっとああやって社交的なのも、積極的なのも、全部私にだけな気がしてならない。現に、遠目で先輩を見かけても、いつも決まって一人でいるし、誰かと楽しそうに話す姿を目撃したことがない。こう考えると学校中で知れ渡っている先輩の噂も、間違いではないのかも。
って…。
何でこんな時にまであの人の事考えなくてはいけないのよ。すぐに諦めて去っていくという読みは外れた。むしろだんだん距離を縮められているような気がするし、学校から駅までのほんの少しの時間くらいは、別にいいかなと思っている自分もいる。
このままではダメだ。
忘れてはいけない。先輩は私が好きなのだから。今目の前にいる彼氏のことを私が想うのときっと同じように、先輩にとっての私は恋愛対象なのだ。
例え私にとって先輩が全くの対象外でも、その気持ちを知っておきながら必要以上に付き合うことは、彼に対しても、そして先輩に対しても申し訳ないこと。
「…てか、話聞いてる?」
「え、何ごめん」
「だから、そっちの高校にかっこいい奴とかいるのかって」
「は、何その話。」
「別に気になったから聞いただけ」
「かっこいい人はたくさんいるんじゃない?」
初めてやった、女にとって大切な時にそんな話今する?少しの苛立ちがその後の私たちを大きく変えた。
「私が浮気でもしてるって言いたいわけ?」
「そんなこと言ってねえよ」
「言ってるじゃない。少しでも疑ってるからそういうこと聞くんでしょ!」
いつもの私だったらとっくにわかっていたはずだ。彼が自分の発言に後悔しているということに。でも止められなかった。
「だいたい、会おう会おうってそっちが言うくせに、部活が忙しいって断るのだってそっちじゃない。私は今だって勉強が忙しい中来たのに!」
「は、はぁ?部活なんだから仕方ないだろ。てか瑠衣は俺と会いたくないのかよ。」
自分がどれだけ理不尽なことを言っているんかはよくわかっていた。彼は今日だって、部活で忙しいのに私に合わせて会ってくれていたのに。彼が怒るのは当たり前だった。
「せっかくの休みが台無し。最低、大嫌い!」
気付いた時にはもう遅かった。彼の言葉も聞かず、悪いとわかっておきながら一言も謝らないで家を飛び出してしまった。
彼は…追いかけてはこなかった。
私も今来た道を引き返すほど、素直でいられない。
こんな時、先輩だったら…。
「はっ…!?」
またいつの間にか先輩のことを考えていたことに驚く。それと同時に自分の頭を叩いてまでも先輩のことを脳裏から離したい気持ちになった。
結局そのまま、メールでさえも謝ることが出来ずに、一日を終えてしまった。
「瑠衣ちゃん、なんか今日は元気ないよ?」
翌日の学校からの帰り道、もはや習慣になりつつある先輩との下校時間は、出逢って史上最も居心地の悪い時間だった。それなのに先輩は私の拒絶をいつものことと同じように受け流し、ぐいぐい話しかけてくる。
「別に、普通です」
「…テストまであと少しだね。瑠衣ちゃん、勉強は順調?もしよかったら、私が教えてもいいんだよ?」
「大丈夫です。」
「あ、今日暑いしアイスクリーム食べていこうか?」
「…」
「…本当に今日、大丈夫?体調悪い?」
「何でもありません」
彼との喧嘩、テストに対する多少の焦り、それから先輩の優しい言葉が妙に心に刺さり、ついに私の心のダムは決壊された。
「体調悪いのなら無理しなくても…」
「だから、大丈夫だって言ってるでしょ?」
「…え?」
自分でも驚くほどに大きな声を上げてしまった。それでも止まらなかった。これでは昨日と同じなのに…そう考えてもブレーキは効いてくれない。
「先輩って、本当に空気読めませんよね。だから友達も彼氏もできないんじゃないですか?こんな年下に毎日付きまとって…私が迷惑してるのわかりませんか!」
ここで止められたらまだよかった。先輩の驚く顔を見ても私の口が閉じることはなかった。
「先輩はあの日、私のことが好きとか言ったけど、全然意味わかんないし。そもそも、好きって何ですか?私は女で、先輩も女ですよね⁉…気持ち悪い…。私、彼氏いますから。もう付きまとうのやめてください!」
駅のホームで大勢の人が私たちをものすごい目で見てくるのがわかった。
目の前の先輩は、いつもの笑顔なんかすっかり消えてしまって。みるみる涙が頬を濡らした。私はそれを見ていられなくて、その場から逃げるように走り去った。
その夜、勇気を振り絞って彼へメールした。
【昨日はごめんなさい。全部私が悪かった。弘樹のことが好きな気持ちは変わらないよ。弘樹しか見てない。もし、良かったらまた会ってくれないかな】
返信を待つ間、彼はもうあたしのことが嫌いになったのではないかと不安でたまらなかった。もしこのまま別れるようなことになったら…。もう彼とどこかへお出かけしたり、美味しいものを食べたり、くだらないことで笑ったり、キスしたり…それが全てなくなるのかと思うと怖い。
相手の背中を追いかけることがこんなにも勇気がいることだなんて、知らなかった。
返信は、しばらくして来た。
【俺もごめん。テスト終わったらまたデートしよう。連絡待ってる。】
私は安堵した。
彼が許してくれた事にか、それとも先輩のことを拒む理由がなくならなかった事にか、それは定かじゃない。
そして、後悔した。深く、深く、後悔した。
先輩との連絡手段はない。先輩のクラスも知らない。もちろん家も知らない。
全部私が拒んでいたから。どうせ先輩が来てくれるからと、拒否し続けていた。私が持つ先輩についての情報は限りなくゼロだった。
つまり、私が先輩に対して謝る方法がないのだ。
取り返しのつかないことをしてしまった。言ってはいけないことまで言ってしまった。
最後に見た先輩の涙が忘れられない。その原因が私であるということ。あれは完全に八つ当たり。私が悪い。
「先輩、ごめんなさい…」
ベッドの上でただ一人、呟いた言葉は先輩には届くはずもなかった。
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