神よ、永遠の安息を彼女に与えたまえ

「熊五郎君、お待たせ」


 再びボクの体を乗っ取った高飛車さんが熊五郎の両手を握った。もうそれだけで気持ち悪い。


「もうすぐ閉園だしそろそろ帰るか。今日は楽しかったよ」


 歩き出そうとする熊五郎を高飛車さんが止める。ああ、やっぱりやるのか。


「待って。まだやってないことがある」

「何だ」

「お別れのキスがまだでしょ。早くやっちゃいましょう」

「ここでか」

「そうよ」

「わかった」


 熊五郎の顔が近づいてくる。うわー、やめてくれ。くそ、どうしてこんなひどい目に遭わなきゃいけないんだ。


「むちゅ~」

(うぎゃああああー!)


 脳内で叫び声を上げる。気持ち悪い。なんだこの感触は。腐ってドロドロになった玉ねぎを口の中に放り込まれたような気分だ。吐き気が込み上げてくる。


「き、君たちの仲はそこまで進展していたのか。ああ、仲良きことは美しきかな」


 げっ、学級委員じゃないか。あいつも遊園地に来ていたのか。まずい場面を目撃されてしまった。これでまたクラス中がボクたちの話題で持ち切りになるだろう。どこまでツイてないんだ。


「むちゅむちゅ」


 おい、いつまで続けてんだよ。もういいだろう。初めてなんだぞ。ファーストキスなんだぞ。なのにその相手が男、しかもこんなにむさ苦しい熊五郎なんて。神はボクを見捨てたのか。ボクのアオハルはどうしてくれるんだ。


(こんなの、惨めすぎる)


 哀れな自分に涙が出そうだ。もうどうにでもなれと自暴自棄になりかけた瞬間、それは聞こえてきた。


(鳥羽塵君、ありがとう)


 高飛車さんの声! 体に自由が戻ったのを感じた。思いっきり熊五郎を突き飛ばす。


「やめろおおー!」


 渾身の力を込めたのだが熊五郎のゴツイ体はビクともしない。しかし両腕の力を緩めてくれたのでなんとか自分の体を引き離し、背中を向けて地面に突っ伏した。


「おえええー」


 吐いてしまった。それくらい気持ち悪かったのだ。多様性は理解できるがボクの恋愛対象はやはり女性に限る。男性を愛することなどできそうにない。


「お、おい大丈夫か。オレのキス、そんなに下手だったか。すまんな。次はちゃんと練習してくるよ」

「次は絶対にない!」


 背中をさする熊五郎にきっぱりと言い放つ。それよりも高飛車さんはどうなったんだ。四つん這いになったまま辺りを見回しても姿がない。


「ここよ」


 声は上から聞こえた。見上げると夜空に高飛車さんが浮かんでいる。少しずつ上昇しているようだ。


「よかった。成仏できたんだね」

「そうみたい。鳥羽塵君のおかげね。ありがとう」


 ようやくこの地獄から解放されたのだ。安堵のため息が漏れる。


「さようなら高飛車さん。君のことは忘れないよ」


 まだ込み上げてくる吐き気を堪えながら、昇天していく高飛車さんの魂をボクはいつまでも見守っていた。



 夏休みが終了して新学期が始まった。ボクと熊五郎は高飛車さんの告別式が行われた寺に来ていた。


「ここだ」


 二人で墓の前に立つ。数日前、四十九日を迎えた高飛車さんの遺骨はこの墓に納められた。休日の今日、二人で墓参りに訪れたのだ。


「高飛車さん、安らかに眠ってくれ」


 目を閉じて合掌する。あんなに昇天することを願っていたのに、二度と会えない今となっては悲しみが先に立って仕方がない。


「新学期になって学校もだいぶ変わったな」

「ああ。ボクたちの影響だろうな」


 夏休みが開けた校内では目に見えてカップルが増えてきた。それも男女のペアだけでなく男男、女女のペアがあちこちで目に付くようになっていた。


「実は私も君たちと同じなのですよ」


 意外にも頻繁に出現していた学級委員は一年上の男子生徒とペアになっていた。堂々と付き合うボクらの姿を見て、みんな勇気をもらったらしい。


「高飛車さんが昇天するための条件はこれだったのかもしれないな」


 自分たちが求めている本当のオオハルを気づかせる、そのための一歩を踏み出させる、それが高飛車さんをこの世に留めた真の目的だったのではないか、何の根拠もないがそんな解釈も悪くないのではないかと思う。


「なあ鳥羽塵、おまえいつも高飛車さんのことを話していたよな。成仏させるためにオレと付き合っているだけだって」


 いきなり熊五郎が話し掛けてきた。


「ああ。でも高飛車さんは無事成仏できたから、もうおまえと付き合う気はないよ。悪いな」

「実はおまえのその言葉はただの照れ隠しに過ぎないとずっと思っていたんだ。しかし今、オレはそれが真実だとわかった」

「今? どうして今なんだ」

「そこに高飛車さんがいるからだ」


 熊五郎が指差す方向を見る。我が目を疑った。存在してはいけない者が立っている。セーラー服姿の高飛車さんだ。


「戻ってきちゃった、テヘ」

「テヘじゃないよ。成仏したんじゃなかったのかい」

「したわよ。無事あの世へ行って審判を受けて四十九日経ったので極楽浄土へ行こうと思ったら神様がこんなことを言うのよ。『おまえはあの鳥羽塵とかいう少年に随分と恩を受けている。そして未だにその恩を返さずにいる。そのような恩知らずをこのまま極楽浄土へ行かせるわけにはいかない。そこでこれより現世へ戻りあの少年にアオハルを体験させるがよい。首尾よく事が進めば極楽浄土への道が開かれるであろう』ってね。だからさあ鳥羽塵君、さっさとアオハルを体験しちゃってよ」


 また面倒な話だな。神様も余計な気を回してくれなくてもいいのに。


「アオハルを体験って、具体的にどうすればいいだよ」

「今回は熊五郎君もあたしの姿が見えているでしょ。だからあたしが熊五郎君に乗り移って鳥羽塵君とラブラブな関係になればいいんじゃないかな。手始めにキスから始めようか」

「断る!」

「どうしてよ。初恋の女子とキスできるのよ。嬉しくないの」

「嬉しいけど体は熊五郎じゃないか。あんな気持ち悪い経験は二度としたくない」

「なによそれ。つまりあなたはあたしの心じゃなく体が目当てだったって言うの。サイテー」

「違うよ。ボクが好きになったのは高飛車さんの性格で体は関係ない」

「だったら体が熊五郎君だって構わないじゃない。心はあたしなんだもの。大切なのは心と心をつなげることで体と体をつなげることじゃないでしょ。さあ、早くキスしましょう」


 うぐぐ、言い返せない。チラリと熊五郎を見るが大きくうなずいている。助け船を出してくれる気配はない。


「あのう高飛車さん、それなら熊五郎じゃなくて別の女子に乗り移ってくれないかな。そうすればキスできると思う」

「乗り移れるのはあたしを感知できる人だけなの。今はあなたと熊五郎君しかあたしを感知できないからそれは無理」

「鳥羽塵、これは人助けだ。初めてのキスってわけじゃないんだし力を貸してやろうじゃないか。夏休みの間、オレは毎日特訓したからかなり上手になっているぞ」


 熊五郎、何を勘違いしている。体を乗っ取られるのだからおまえのテクニックは発揮できないんだぞ。


「話は決まりね。じゃあ乗り移るわよ、それ」

「いや、まだ決まっては……」


 ボクの言葉を無視して高飛車さんの姿が消えた。急に熊五郎がなよなよし始めた。


「さあ鳥羽塵君、あたしにキスして、うふ」


 悪夢だ。熊みたいな体の男に低音で「うふ」なんて言われたら、それだけで背中に虫酸が走る。


「いやだああー!」


 ボクは駆け出した。あんな気持ち悪い生物と唇を合わせるくらいなら死んだほうがマシだ。


「ちょっと待ちなさいよ。あたしが極楽浄土に行けなくてもいいの」

「悪いが今回ばかりは協力できない。諦めて地獄に落ちてくれ」

「地獄なんて冗談じゃないわよ。さあアオハルしましょう。キスしましょう。なんならキスから先のアオハルでも構わないわよ」


 高飛車さんに乗り移られた熊五郎が女の子走りで追いかけてくる。ボクは天に向かって叫んだ。


「もう勘弁してくれー! アオハルなんか真っ平御免だああー!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アオハル魂 沢田和早 @123456789

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ