三日目

 今日は、空が赤くなるまでには帰ってこいと言われました。といっても夏真っ盛りでしたのでそれは午後の五時を超え、家を出てから八時間くらいはあるので特に気にしませんでした。


 山に行くと、彼女はいませんでした。まずあの鳥居に着いて、その影が見当たらないと分かってから体感で三十分ほど待ちましたが、結局彼女は現れませんでした。

 仕方がないので、一人で、その山以外の場所を探検してその日は終わりました。田んぼの大きな機械とか、鹿みたいな生き物とか、見たことの無い虫とかを見ましたが、あの山で彼女と遊んでいるくらい特に面白いものはありませんでした。


 家に帰りました。家では「お祭り」の準備がもうほとんど完了していたようでした。





 日が落ちました。僕は父の後をついて、その場所へと向かう列に並びました。

 ここにきてようやく、その「お祭り」は僕の知っているお祭りとは何か違うものであるということに、なんとなく気がつき始めました。

 そこに楽しげな気配はなく、むしろ無邪気な幼心ですら気圧されるような、荘厳な雰囲気に覆われていました。


 その列は進みだしました。僕以外の大人たちは国語の教科書で見たような、大層な着物に身を包んでいます。先頭に立つ二人はキツネとも鬼とも蛇ともつかない奇怪な面を被り、先端に提灯のついた棒を掲げています。他の人たちもそれぞれ少しづつ違う様々な装飾を身に付け、そのすべてが清廉に、金や赤と派手な色でありながら絢爛でなく飾られていました。

 それはまるで御伽噺で聞くような、なにかの儀式が始まるような、そんな様相でした。


 実際のところ、その予感は正解でした。が、予想していないこともありました──その夜行の目的地は、昨日一昨日で見慣れた、あの山だったのです。


 あの鳥居のすぐ手前で立ち止まって、先頭に立つ人が何やら手を動かしました。それによってか分かりませんが、塗装の剥げ苔の付いた古びた鳥居は、瞬きのうちに朱色に包まれた神聖性すら感じるものへと変わっていました。


 そして、その鳥居を潜りました。二列で通っても余裕があるくらいの幅です。僕がちょうど鳥居の真下に差し掛かった時、微かに何か膜のようなものを感じました。例えるなら張られた水に手を入れる時のような感覚、それをごく弱くしたようなものです。



 そして気がつくと、そこはあの山ではありませんでした。──いえ、その地形は明らかにあの場所のものです。しかし、それ以外が尽く様変わりしていました。

 視界を埋め尽くす緑の木はその全てが満開の桜となり、その香は淡いながらも明確に分かるほど。更にその花弁は淡く光を放ち、提灯の火がいつの間にか消えていたことに気が付かないくらいに夜を明るく照らしていました。

 足元を見れば風化していた石畳は、今は新品と見紛うほどのもの。ぼうぼうと生えていた雑草は今は手入れされている山のように消えて。

 上を見上げれば田舎とはいえ現代では見ようもない満天の星空に迎えられ、さっきまでの三日月は満月へと姿を変え。

 それは幻想的というほかない、息を呑む光景でした。



 僕以外の人はその以上を気に留めていないのか、それとも気にしないようにしているのか、何も反応しないまま歩いていきます。列を崩さないよう僕も再び前を向いて進みます。


 参道を登り行き着く先はひとつしかありません。少し足が疲れた頃、桜の香が濃くなったのが克明に感じられるようになった頃、その神社は見えてきました。

 麓にあったものよりもさらに大きな鳥居が僕たちを出迎えました。昔初詣で行った有名な神社のものに比べればさすがに劣りますが、相当に立派なものだと分かります。今度はそれを潜っても、何も起こりませんでした。

 目の前には神殿らしき建物。これもまた一切の傷汚れのないものでしたが、もはや驚くほどでもありませんでした

 しかし何か違和感があり、それはこの境内にその神殿以外のものが一切ないことに起因すると気づくまでさして時間はかかりませんでした。

 例えば手水舎。さらに賽銭箱や、参拝のときに鳴らす鈴も見当たりませんでした。どうやら一般の参拝者は想定されていない、そんな気がしました。



 列の先頭が神殿のすぐ手前に達すると、前の方にいた人たちは慌ただしく、しかし静粛にそれの準備を始めました。僕はただ大人しく見ていればいいと言われていたので、その場でじっと待ちました。


 ふと、あの女の子を思い出しました。

 この儀式──もはやお祭りではなくそう呼ぶのが相応しいものであると、その時すでに理解していました──には、辺に住んでいる人々が皆参加しているようです。それなら昨日までこの山にいたあの子も

 この場にいるのではないか。そう思って後ろを振り返りましたが、その姿は見えませんでした。列の隙間は人を完全に覆い隠すほどのものではなかったので、この場にはいないのだろうと少しづつ不思議ではありましたが合点しました。



 そして、儀式が始まりました。

 詳しくは覚えていませんし、覚えていたとしても理解は出来ないでしょう。

 それは祝詞、それは舞踊、それは供物。いずれにせよ現代に生きる子供には全く以て馴染みのない、この世ならざるものへの儀式でした。

 理解できないから覚えていないのではありません。その時起こったことがあまりに衝撃的だったから、視界の他の些事を見る余裕がなかったのです。


 遠目で果物のように見えるものが神殿に捧げられたときです。

 神殿──それらしき建物の両開きの扉がひとりでに開き、そしてその中からあの女の子が出てきたのです。


 その時私は、いくつかの異常極まる現象を同時に処理しきれず、ほとんど呆然としていました。



 まず、女の子があのような場所から現れた事。


 女の子が正しく神性のものという他ない、薄ぼんやりとした後光を背負っていた事。


 女の子が明らかに物理法則に逆らい、中空を滑るように移動していた事。


 そして何より、女の子の顔が事。これまでの二日間、その顔がのだと、その瞬間まで認識していなかったと分かった事。



 そして混乱して立ち尽くす僕を女の子はちらりと見て、微笑んだような、そんな気がしました。






 その儀式の後、家に帰ってから、父と話をしました。あの女の子が僕を認識していたと父もわかり、そしてそれはとても大事な事だったようです。

 僕は父に、自分が言える限りのことを言いました。

 一昨日と昨日、あの山で女の子と遊んだこと。そのあいだその顔が、黒い靄がかかったように見えなかったこと、それにさっきまで気がついていなかったこと。

 そして父に質問を返しました。あの女の子は誰なのか。あの儀式はなんなのか。

 父は申し訳なさそうな顔をして、それはまだ教えられない、あと十年、いやそれと少ししたら教えよう。と言いました。



 そうして、私のこの不思議な記憶が生まれたのです。









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