天ぷら

@kyon_salta

天ぷら

 もうすぐご飯ですよと、台所から響く妻・みづきの声に反応して私は手にしていた新聞を丁寧に折りたたんだ。


 節々が痛むようになった体で億劫ながらも立ち上がり、その辺にひっかけていた羽織に袖を通す。




 書斎から出て短い廊下を歩き、ダイニングに入ると食欲を誘う香りがふわりと広がった。


 長年使い込んで飴色にてかるダイニングテーブルの上には、みづきが腕によりをかけて作った夕食が並んでいた。湯気をくゆらせる白米にジャガイモとわかめの味噌汁。ひとりで二つの小鉢には小口切りにしたネギとショウガが乗った豆腐とキムチ。みづきお気に入りの、扇を模した小皿には大根の糠漬けがちょこんと乗る。


 ひと際目を引く大皿には主菜が豪快に盛られていた。カラリと揚がった黄金色の天ぷらだ。半分は普通の、もう半分はうっすら青のりが混ざっている。二人分にしては少々多くはないだろうか。




 あなた天ぷらがお好きでしょう、と濡れた手を拭きながらみづきが台所からやってきた。額の汗を袖口で拭いながら、暑い暑いとこぼす。梅雨が終わって暑さが厳しくなってきたというのに、熱い油を相手にしてわざわざ亭主の好物を作るとは何とも物好きだ。


 私はうんと頷くと、みづきより先に席に着いた。




 箸と味噌汁を手に取る。




 うん、美味い。




 箸先を味噌汁で濡らすと今度は白米だ。少し柔らかめに炊いたご飯はみづきの好みで、私には粥のように感じられて実は少し食べにくい。以前、固めのご飯がいいと言ったら、わざわざ二回に分けて白米を用意するようになったものだから、年も考えて柔らかいものに慣れようと努力している。




 お茶碗を手にしたままキムチを取る。少し酸っぱく感じるそれは、先週みづきが友人からお裾分けしてもらった手作りだ。続いて豆腐も食べる。塩分は控えめにという医者の指示に従い、味気ないが醤油は控える。




 いつまでも天ぷらに手を伸ばさない私に、冷めちゃいますよと妻が口を尖らせた。


 いや、待て。おれは好物を最後にいただくのだと思いながら糠漬けを齧る。




 そして、ついに大本命に箸をつけた。




 妻のみづきは料理上手だ。大抵のものなら何でも美味く作ってしまう。結婚してから約四十年、しっかり胃袋を掴まれてきた私は何の天ぷらかも確かめずに大きく口を開いた。




 カリッ、さくさくっ。




 小気味良い音を立てて天ぷらが嚙み切られる。名前は分からないが豆だった。細長く切られた豆を二、三切れまとめて揚げていた。衣に下味がついていたので、天ぷら汁がなくても美味だった。


 次に小さな赤っぽい天ぷらを口の中に迎える。歯を立てた瞬間、少し温かい汁が肉汁のように溢れた。


 慣れない食感にみづきを見やると、いたずらっ子のような顔をした彼女が、トマトですよ、とその正体を教えてくれた。


 なるほど、トマトも天ぷらに出来るのか。


 まずくはない。むしろ悪くない。




 白米で口の中を整えてから、次の天ぷらに手を付ける。大きく白っぽい塊は、とり天だった。さらにシソ、ナス、ちくわの磯部上げ、と白米と天ぷらを交互に胃に納める。


 揚げたてだからだろうか、あっさりしている。


 食べすぎ注意を促す妻に頷きながら、味噌汁を飲み干した。おかわりはしない。




 キムチで気分を変えてから、豆の天ぷらだろうと見込んだ緑色を口に放り込んだ。


 ネバッとした触感に、当てが外れてびっくりする。


 眉間に皺をよせながら正体を考え、あぁこれはオクラだとようやく理解した。




 青のり入りにも豆があった。豆の種類が違うようだがと訊いてみれば、みづきがモロッコインゲンとドジョウインゲンなのだと得意げに説明をした。


 私が最初に食べたのがモロッコインゲン、青のり入りがドジョウインゲンなのだという。


 二種類の豆で味の違いはよく分からなかったが、両方美味だった。




 最後に口に放り込んだ天ぷらのネタは。半分に切ったミョウガだった。


 鼻に抜けるミョウガの爽やかな香りの陰に隠れて、少し土臭い風味を感じるのも新鮮で良かった。




 最初は多いと思っていたのに、食器の上はすっかりきれいになっていた。


 ごちそうさまと二人で手を合わせる。


 今日も妻の手料理は美味かった。




 いやはや、まさかトマトやオクラ、それにミョウガまでもが天ぷらになるとは思わなかった。いったいどこからそんな思い付きが浮かぶのだろう。


 豆も良かった。茹でたドジョウインゲン特有のあのキュッキュという食感が苦手でなるべく控えていたが、天ぷらにすると全く気にならないのだ。


 ミョウガも良かった。あれは癖になる味だ。




 それにしても私は天ぷらが好きなのだと彼女に言っていただろうか。


 特に食べられないものもなく、好き嫌いもないので、特に好物の話はしてこなかったと思う。




 みづきは手際よく食器を回収し、食後のお茶を差し出すと、昔よりも重い足取りで台所に消えていった。


 かちゃかちゃと食器がぶつかり合う音や水ですすぐ音が聞こえてくる。


 私は薄く淹れられたお茶を一口二口飲むと、彼女に気付かれないようにこっそり呟いた。




 今日も美味かった。ありがとう。




 そして明日こそ面と向かって伝えようと思うのだった。








-----------


(ちょこっとみづき視点)


あなたは知らないでしょうけど、私、これでも四十年は夫婦やっていますからね。


あなたが何か言いかけてモゴモゴしてるの分かっていますよ。




だから何をしてるのか気になるから時々お水を出しっぱなしにして、聞き耳立てているんです。


あなたの独り言もばっちり聞こえましたよ。




こっそり独り言で終わらせないで、ちゃんと直接言ってくださいね。




これからもあなたの好物、たぁっくさん作りますから。




(夫の餌付けに成功した妻の余裕と実はベタ惚れなのは妻側、という設定…)

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