第42話 出発の朝

 朝霧が住宅街に広がっている。

 日は登り切っておらず、空には淡い水色が広がっていた。

 冷却された空気が吹くたびに、体がブルりと震える。独古は、冷える指先に白い吐息を吹きかけた。

 

 独古は、金鹿亭の壁に持たれかかって、エルミナの迎えを待っていた。なに対しての迎えかと言えば、それは勿論、依頼に対してのである。

 瞼を閉じれば昨夜の出来事がありありと思い浮かんだ。

 ”オーナーから客を奪い取ってほしい”、という依頼にそれはそれは度肝を抜かれた。言い放った本人と言えば、その反応が来る事を予想していたのだろう。カラカラと笑っていた。

「早朝に迎えに来るから、準備しておいてほしい」

 その場で答えを即答させなかったのは、自分たちに考える時間を与える為だったのだろうか。彼女は言い放つと、立ち尽くす僕らを置いて帰った。嵐の様な女性であった。

 エルミナから提案された依頼に、金鹿亭内では反対の意見が出た。それもそうだろう。相手取るのは、ゴールドラッシュを統治する長なのだ。どの様な報復を受けるのか、未知数であり、そして、簡単に事が進むはずが無い。

 けれど、最終的には依頼は引き受ける事となった。


「必要としてくれたの。なら、助けたいわ」


 凛とした決意をもって、エリザベスは皆からの心配に首を振った。

 危ない橋を渡る決意をしたのは僕らが断れない立場にあったからだろうか、それとも、彼女の中のプライドが許さなかったからだろうか。

 どちらにせよ、喧嘩をしている今となっては、簡単にその心中の思いを引き出す事は難しい。


「おい、ドッコ。そんな所にいても寒いだろう。中に入ったらどうなんだ?」


 扉の開く音がした。音の方向へ振り向けば、半開きの扉の合間からビンカがこちらを伺っている。彼がハンドサインで中に入るように促すが、それを僕は苦笑しながら遠慮した。フロアには同じく迎えを待つエリザベスがいるためだ。

 一夜立ってもエリザベスとの関係は修復できずにいた。関係の修復を試みなかったわけでは無いのだ。昨夜話を切り出時には、互いにヒートアップして罵り合いになってしまい、落とし所を見つける所では無くなってしまった。

 キッチンで寝た時の床の冷たさは今でも思い出せる。

 別に、仲直りしたくないわけじゃない。

 ここまでの喧嘩なんて君影とすらした事が無い。深い溝の出来た関係性を修復する方法など、駄目駄目人生ばかり送って来た独古にわかるはずも無い。仲直りの仕方が分からないだけなのだ。そうして独古は早朝の路地に居る。


「……依頼を一緒に受けるぐらいにはエリザベスちゃんを許している癖に、なんで、ごめんなさいの一言が出せないんだ」

「……帰ってくる頃には何とか元に戻っているよう僕も頑張りますので」

「そういうもんは頑張るものじゃあないだろ、馬鹿野郎」


 独古の返答を聞いて、ビンカがガシガシと髪をかく。彼は溜息を一息つくと、こっちへと歩いてくる。そして、手元に持っていた風呂敷包みを差し出してきた。

 ずっしりと重いそれを受け取る。

 朝顔の模様が入った風呂敷だった。箱の様な物を包んでいる。


「弁当だ、昼と夜の分はある。一週間分の小遣いも入れてやっているから明日以降はそれで何とか凌げ」

「え?! お金まで入れてくれているんですか?!」


 指で広げた風呂敷の隙間を覗き込めば、膨らんだ茶封筒が入っていた。

 慌てて顔を上げれば、お前の為じゃねえとビンカが釘を刺してくる。それは分かりきっている、彼の行動原理はエリザベスに紐づいているのだから。

 ……本当に出来る男だ。

 隣にいる男を改めて見る。

 登り始めた朝日に照らされている立ち姿は同じ男としても惚れ惚れとする。人が良くて、面倒見も良いなんて完璧過ぎる。世の女性が理想とする色男を具現化した様な存在だった。


(エリザベスさんの隣には、ビンカさんが似合う)


 彼が隣に立てばエリザベスは幸福だろう。彼は彼女を傷つけない。昨日だって、ビンカが己の立ち位置に居たならば、あんな愚行は起きる事が無かっただろう。

 心の奥底に痛恨が刺さっている。

 それは喉に引っかかった魚の骨の様に簡単に抜くことが出来ない。

 彼が居てくれたならば、その考えが心の底から消えなかった。


 路地の向こうから赤い何かが近づいてくる。霧を裂くようにして現れたのは1900年代に一世を風靡したクラッシックカー、T型フォードであった。

 ワインレッドの外装に付着した露梅が反射し、その車体を艶めかせている。

 ビンカがエリザベスを呼んで来た。いつも通りの白いコートを羽織った彼女は、視線が合うとそそくさと目を逸らした。露骨な態度に独古の中で不快な思いが頭をもたげる。その感情が育ってしまえばまた衝突してしまいそうで、静める為に独古もまた、彼女を視界から視界から外す。

 後ろで見ているビンカがそんな独古たちに溜息を付いた。

 車体は近づくにつれて減速し、独特な振動音と共に金鹿亭の前で止まった。

 開いた扉から赤いハイヒールが降ろされる。

 

「ハーイ、ボーイ&ガール、お迎えに参上したわよ?」

 

 銀髪をはためかせ、エルミナは颯爽と姿を現した。

 昨夜と同じく快活な彼女に独古は頭を下げる。


「こちらから尋ねなければならない所を、わざわざありがとうございます」

「律義ねえ、提案したのはこちらなんだから気にしなくてもいいのに。……にしても、本当に依頼を受けるつもりなのね。提案しておいてなんだけど、相手が誰なのか理解している?」

「オーナー”スカーレット”でしょう? 理解したうえよ」

「……本気なのねぇ。依頼内容のあらましだって話していないのに。……うつけなのか、愉快犯なのか、それとも、本当の善人なのか」

「僕らの活動は事前事業ですから。お客様がお望みな事を、僕らは僕らができうる範囲で全力を持って全うする限りですよ」


 正気なのねぇと、エルミナが感心する様に目を細める。

 

「……まあお手並みはこれから拝見させて頂くとするわ。……それじゃあ乗って、に行きましょう。依頼の詳細は道中で話すわ」


 右腕を広げたエルミナが、エスコートをする様に乗車を進める。

 車内は薄暗い。これから自分たちに待ち受ける出来事を考えると、目の前の出来事が悪夢への誘いの様にも見える。

 知らず知らずの内に唾を飲み込んだ。

 扉を潜れば、後戻りは出来ない。


「……本当に臆病なんだから」


 不意に袖を掴まれる。驚いて視線を向ければ、エリザベスが手を引くように袖を引いていた。


「エルミナさんを困らせるつもり? 私たちの事情で依頼者を困らせるわけにはいかないんだからさっさと乗り込むわよ」


 独古はその行動に驚いた。だって今の彼女がそんな行動を取るとは思ってもいなかったのだ。彼女は決して視線を合わせようとしてくれなかった。でも、握った袖は離さないでいてくれた。

 ……仲直りの切っ掛けは、まだ、無くしていないのかもしれない。

 独古は背後を振り返った。

 二人の様子を見ていたビンカが苦笑し、頼んだぞと口パクと応援した。それに頷きを返す。エリザベスと共に車内へと乗り込んだ。

 助手席に着いたエルミナが、ルームミラーで後部座席にいる独古たちを確認する。


「忘れ物は無い? シートベルトは絞めた? そう。じゃあ、春桜電気街へ出発するわよ」


 車はゆっくりと霧の向こうへと進みだす、これから待ち受ける出来事へと誘う様に。そこにどんな未来が待っているのか。

 車窓の景色を眺めつつ、独古は前途多難な未来に想いを馳せた。

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ゴールドラッシュ 稲足 真一 @inaashi

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