第41話 こうして幕は開いた

 黄昏色に染まった人気の無い電気街。拡声器から終業を告げる音楽が流れている。

 独古は店内からプレートを持ってきて入り口の戸に、“閉店”と描かれたプレートを吊り下げた。

 店先から現れた大人達が、嬉々としてプレートを掲げだす。その様子は、まるで放課後を待ち望む小学生の子供の様だ。経営者達が、客が来ない時間を望んでいると言うのが、己の中の経営者像とかけ離れていて複雑な気持ちが沸く。


(でも、それもしょうがないのかな)


 客が来ない時間に喜びを見出そうとしているのも、客が来ない事実から目を逸らす為の彼らなりの防衛行動なのかもしれない。 

 店の隣に伸びる日の当たらない路地、鼠が疼くまる道を抜けた先に一本の河川が流れている。川辺に設置されている転倒防止の為の欄干に腕を置き、対岸を見る。

 夜の帳が降りようとしている街に、燦然と輝くデパートがそびえ立っていた。

 屋上からは色とりどりのスポットライトが空を照らし、正面で“イナズマ重工”という名の看板。輝くその全てがイナズマ重工の栄華を主張している。

 

 目の前のそれこそが独古とエリザベスの、今回の依頼の敵対者、春桜電気街のオーナーを務める女傑“スカーレット”が住む居城であった。


「……どうしてこうなっちゃったかなぁ……」

 

 これから待ち受ける無理難題の日々を想像して、独古は溜息を吐いた。

 こうなってしまったのも、二日前に起こった出来事が事の発端であった。


*********************


 二日前


「あんた達アホなのかい…」

「「返す言葉もありません…」」


 三日月の美しい夜、金鹿亭は今夜も労働者たちの酒場として賑わいに満ちていた。カウンター席で項垂れる独古とエリザベスを見て、ママが額に手を当てた。

 独古は後ろをちらりと見た。

 そこには大勢のギャラリーと医者、ソファに横たえられた壮年の女性が居た。19世紀の西洋貴族が来ている様なアフタヌーンドレスを着た彼女は、腰まである銀髪を散らして眠っている。

 彼女は、ジャズ喫茶の前でクラゲに跳ねられた女性だった。

 あの後、独古とエリザベスは何とかクラゲを捕まえきった。だが、彼女が怪我を負った事で独古とエリザベスは彼女の背負い、慌てて金鹿亭へと戻ったのだった。


「脈拍も呼吸も共に正常、折れた骨なども全て治されておりますし、もう大丈夫でしょう」

 

 医者が彼女の胸に当てていた聴診器をしまい、自分たちに和やかにそう告げる。その言葉にほっとして、息を吐く。


(大事にならなくて良かった)


 エリザベスの能力で完治させているとはいえ、能力が及んでいない箇所があったら、傷を永遠に追わせてしまうなんて事があったら悔やんでも悔やみきれなかった。

 心の底から、安堵して汗を拭う。その様子を見て医者がほっほっほと、笑った。

 

「大丈夫ですよ、若い人。この程度、ゴールドラッシュでは日常茶飯事、むしろ、互省無事であるだけで儲けものなのですから」

「それでもです。先生、ありがとうございます」

「私は何もしていませんよ。私は具合を見ただけだ。礼をいうなら、彼女の傷を治したそこの麗しいお嬢さんに言いなさい」


 そう言って、医者はエリザベスを指さす。エリザベスはその言葉に何度か顔を歪ませ、怯える様に顔を伏せた。

 その表情に、独古は何も言えない。言う資格がない。だって、今回は何とかなったから良かったが、もう少し金鹿亭に辿り着くのが遅かったら、ビンカがお金を貸してくれなかったら何かが嚙み合わなかっただけで彼女は死んでいたかもしれない。自分たちは人殺しになっていたかもしれない。

 今回は、偶々、運が良かったのだ。周りに恵まれ、運に恵まれ、助けられた。無事で良かったね等と、間違っても口にできる立場では無かった。

 医者は荷物をまとめると、一礼をして帰って行った。

 彼を見送っていれば、入れ替わる様にビンカが帰ってきた。その姿を見て、独古は気まずさでそれ以上その場にいられない気持ちになった。彼にもまた、多大な迷惑を掛けていたからだ。


「お医者様が帰った見たいだな。エリザベスちゃん、ドッコ。奴さんの調子はどうだった?」

「……お帰りなさい、ビンカさん。先生は大丈夫だと仰っていました」

「そりゃあ良かったじゃないか」

 

ビンカはそのままキッチンにはいかず、カウンター席へと近寄る。スツールに座っている独古とエリザベスに近づくと、頭に手をのせ、労わる様に撫でた。


「俺の事は気にするな、この程度、よくある事だよ」


 その言葉に、申し訳がたたなくなって独古は食いしばる様に顔を歪めた。その様子にビンカが苦笑しながら頭を撫でる。それがまた、何もできない自分の役立たずさを誇張している様で、恥と悔しさが胸の中で渦巻いた。

 ただただ、全てに申し訳が立たなかった。

 エリザベスがのろのろとビンカを見上げる。


「……ビンカ、露店団地の人たち、大丈夫だった?」

「大丈夫だよ、エリザベスちゃん! 俺が話を纏めて来たから安心して」

「……本当に不甲斐ないわ……」

「むしろ、俺は君の役に立つ事ができて嬉しいけどね」


 今回、自分たちが起こした事件の調停役を買ってくれたのはビンカだった。彼女を抱えて帰って来てパニックに陥っていた己たちを見て、彼は自分たちが現場に戻るのは不味いと判断した。そして、示談に赴いてくれたのだった。

 コートを脱いだ彼はカウンター席に座り水の入ったグラスを美味そうに飲み干した。ずっと話詰めで喉を潤す暇も無かったのだろう。

 彼は空になったグラスを置く。


「示談が旨くまとまって良かったよ。とりあえず、慰謝料で解決はできそうだ」

「……本当になんとお礼を言ったらいいか。それに、慰謝料の工面まで担っていただいて」

「別にいいさ。むしろ、エリザベスちゃんに借金を負わせるなんて俺が認められない」


 彼の長い人差し指が独古の額に近づく。そのまま、彼はピンッと独古の額を弾いた。くらった独古は彼がどの様な意図でその行動をしたかが分からず狼狽える。ビンカがそんな己を見て漏れ出る様な笑いを吐いた。


「謝るくらいなら、笑え、ドッコ。んで、さっさとエリザベスちゃんと仲直りをしろ。お前たちにそんな調子でいられたら俺たちも参っちまうんだ」


 その言葉に、うっと、エリザベスと二人して目を逸らした。

 こんな状況だったから、勿論、話し合い等できてやしない。チラリとエリザベスを見る。向こうも同じタイミングだった様で視線がかち合う。けれど、気まずくて互いに視線を外した。そんな自分たちを、ビンカは何も言わずずっと頭を撫でてくれていた。


「お、おばちゃん起きたぞ!」


 その知らせにフロアの方を向いた。ソファに寝そべっていた彼女がどうやら目を覚ましたようだった。エリザベスと二人で彼女に近づく。

 まだ意識がはっきりとしていないのか、彼女は中腹部を抑えた状態で天井を見つめている。

 大丈夫だろうか。心配気にフロアの客達と共に見つめていれば、彼女がぼそり、と何かを呟いた。


「は……」

「は?」


 良く聞こえなかった。腹を押さえているという事は腹部に痛みでもあるのだろうか。もしもの光景が過り、思わず顔が青くなる。狼狽える独古を前に、彼女がさらに何かを呟こうとしている。

 聞き逃してはいけないと独古は近づいて耳を澄ました。今度ははっきりと聞き取れた。


「腹減った……」


 その言葉と共に、ぎゅるるるう、と彼女の腹の虫が盛大に鳴る。静まり返る金鹿亭のフロアで、とりあえず飯を食わせるかとビンカの冷静な一言が響いたのだった。


******************


「うっま?! まじでうっま!! ここの飯、美味しいじゃない!!」


 テーブルに置かれた料理がどんどんと彼女の胃に収まっている。独古は若干引いた目で皿が片付いていく様子を見ていた。見た目に反して食べ方が豪快な女性だった。スープを片手で飲み干し、片手でフライドチキンをむんずと掴んで食いちぎっている。小さな背格好で大人五人分の量をあっさりと食べていく。胃袋はどうなっているのだと問わざるを得ない。


「はあ~食った、食った」


 数分もしない内に完食をした彼女は手短なナプキンで口を拭い、満足そうに頷いた。爪楊枝で歯の間を搔きながら、彼女は背もたれにもたれかかる。


「しっかし、こんな旨いタダ飯にありつけるなんて。跳ねられてみるもんね~」

「……それ、本当に良かったんですか?」

「ここの飯代はあんた達が飯代負担してくれるんでしょう? ここに来るだけで今後タダ飯にありつけるんだからむしろ良いわよ」


 彼女―エルミナとの示談は、それはもう、あっさりと終わった。

 慰謝料を提示するこちらに拒否の意志を示した彼女は、ここの飯を奢るだけで良いと提案してきたのだ。怒っていないのかと問うている。けれど、そんなものは面倒くさいと、かったるそうに一刀両断された。そうして今に至る。


「慰謝料片手に謝られ続ける方が嫌だわ。加害者面ほど胸糞悪い顔なんてこの世に無いし。すっぱり終わってそれでよし。心の衛生面の為にも、こういう話はさっさと妥協点を見つけて後腐れの無い様に終わらせた方が良いのよ」

「それでも、申し訳ないのだわ……」

「だから要らないって言ってるでしょ。被害者がそう言っているんだから頷きなさいよ」


 エリザベスがしおしおと顔をしょげる。正義感が強い彼女の事だ、自分以上に罪悪感に苛まれているのだろう。

 それでも諦めないのか、彼女は青い鳥の名刺を差し出した。

 エルミナが神に掲げ、しげしげと見る。


「何でも屋、青い鳥?」

「ええ、私たち人助けの仕事をしているの。……今日は本当にごめんなさい。この金鹿亭に連絡をくれれば何時でも助っ人に行くから……」

「別にいいって。でも、人助け、人助けねえ……」


 尚も謝るエリザベスをジト目で制したエルミナは、何か思う事があったのか人助けという言葉を何度も呟いている。


「…ねえ、それって何でも引き受けてくれるの?」

「ええ! もちろんよ」


 エリザベスが自信満々に頷く。その返答にエルミナが満足そうにニタリと笑った。

 ……その笑みに、独古は猛烈な嫌な予感に襲われた。


「エリザベスちゃん、なら私、貴方に頼みたい事があるわ」

「何? 何だってやるわ!」


 ああ、それ言っちゃいけない台詞だよ。内心そう思うが、彼女を傷つけたという落ち度があるため何も言えない。エリザベスがぶんぶんと顔を縦に振って頷く様子を、エルミナがニコニコと見つめている。


「じゃあ、私たちの商売敵から、私たちのお客を取り戻してくれないかしら?」

「お客?」

「ええ、そうよ」

「その商売敵って誰なの?」


 エリザベスの問いにエルミナはそれはもういい笑みを浮かべた。独古はその顔に見覚えがあった。親友が悪巧みを企んだ時と同じ表情であった。

 顔を青ざめる独古、爛々と目を輝かせるエリザベス、それを見守る金鹿亭の人々、彼らを前に彼女は自分の敵の名を、きっぱりと言い放った。


「イナズマ重工の社長、春桜電気街オーナーのスカーレットよ」

 

 こうして十五日間に渡る、僕らの新しい依頼が始まった。だが、これが春桜電気街を巡る一大事の序章だったなど、この時の僕らは知る由も無かったのだ。



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