第37話 会合
中央区の電波塔、その展望台部分は、大型のガラスが三百六十度に配置されている。
磨かれたガラス面には、晴天の街並みが反射して映っていた。その鏡面に、鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気で歩く、白いシャツと黒のスラックスの金髪の青年が映っていた。
金髪の青年―、自分、ピルグリムはその展望台部分にあたる廊下を一人歩いていた。
一般人には解放されていない展望台フロア、テレビ局員でも限られた者しか立ち入ることを許されていない場所。なぜそんな所を歩けているのかと問われれば、招かれたからだと言わざるを得ない。
「ふふんふーん」
手持ち無沙汰な事もあり、右手で持っていた招待状をもてあそぶ。
上質な封筒の差し出し人の欄には“来都オーナー ピルグリム様へ”と宛名が書かれている。それこそがこの世界における自分の肩書きにして、オーナーが集まる会合へ招かれた理由である。
「それでは御開帳! よ~う、お前ら、元気にしてたか!」
漆で塗られた重厚な扉を勢いよく開け放つ。各国の首脳が使いそうな会議室、その中央には円形をした机が鎮座し、周囲を囲むように十三個の椅子が並べられていた。
中央区のオーナーであるラナンキュラスが、参加者同士が対等の関係で自由に発言できるようにしたそれ。
ラナンキュラスのテレビ
(まあ、俺からして見れば気持ち悪くて仕方が無いんだが)
だってそうだろう。
真正面を見る。入り口からもっとも離れた席、この円卓の上座にあたる一席はその左右に座る彼らによって死守されている。
まだ来ていないオーナー達も、誰がその席に座るかと問われれば、ラナンキュラスと言うだろう。彼はそれだけの信頼を得ており、そしてまた、彼自身も自分の立場に対する自負を持っている。
―そう自負している。正確に言えば、このゴールドラッシュを使用した、壮大な計画の首謀者、そして、実行者としての成してきた事を。
この世界に来た謎、そして、この世界から出られない謎、その全てが彼によって企てられたものだと知れば、彼を愛するテレビ局員たちはどんな表情をするだろうか。
裏切りに怒りをまき散らすだろうか。それとも、絶望に打ちひしがれるだろうか。
どちらにせよ、期待に裏切られた表情を想像するだけで、恍惚とする。
(まあ、事実を知れば、裏切られた表情をするのは大勢いそうだが)
だってそうだった。
この場に集まるであろう自分を含めたオーナー、その全員が彼の計画に加担する、この世界の住人達の裏切り者なのだから。
「何をニマニマしているのです、ピルグリム。ここは、妄想に花開かせる為の場所ではないのですよ」
「んん~? 特段、申し開きするべき理由は何にもないぜ」
「……貴方のその心の底から滲み出る邪推には、本当に辟易としますわ」
内心を隠すように王子様の様だと例えられる微笑みを浮かべれば、途端に、全員から嫌悪の表情を向けられた。
加えて嫌味まで飛ばすのだから本当に可愛げが無い。
相も変わらずうんざりする連中なものだ、内心でため息を吐いた。
「場を弁えろ、ピルグリム。俺たちだけだから良かったものの、これが各オーナーの前であったら俺たちの品格まで疑われかねんかったのだぞ?」
「まあ、良いのではなくて? あやつの品格が下がったとて、妾たちに影響は無い。助言をやるだけ時間の無駄と言うものよ」
「まあまあそう言わず、同じ目的を目指す同志、仲良くしようよ」
「……」
―テレビ局幹部職員、名はエイブラハム。四十かそこらの外見をした、最初に発言をした男。工場員の様なデニム生地の作業服に包まれた肉体は、服で隠しきれないほどの筋肉質な体つきである。ゴールドラッシュに以前は細身であったと言うのだから信じられない。嘘か真か、彼の肉体は、生放送で撮影機材を持ち駆けずり回った事で出来たと言う。それが真実ならば、熱烈な仕事家である事この上ない。
―その隣に控える女性、テレビ局幹部職員、名はハーパー。ロココ調のドレスに身を包んだ、ゴールドラッシュで最も美しい声を持つ女優。あのサンガーデンの歌劇の劇場の舞台へ、普通の人間でありながら立つ事を許された魔性の歌人。
―唯一友好的な言葉を発したテレビ局幹部職員、名はメイソン。カラフルなヘッドフォンを首に引っ掛け、袖の長い黄緑色のパーカーに身を包んだ少年。音響部門のトップにいるという彼はまだ十代という若さでその地位に踊りつめているのだから、その才能は計り知れない。
―最後の一人、テレビ局員幹部、名はエリンジウム。美しい、息を飲んで見惚れるような好青年である。自分も王子のような美しい美貌を持っているとよく持て囃されるが、彼には遠く及ばない。純白のシャツに黒曜石を連想させる黒のジャケット、下は至って普通のカジュアルパンツという、シンプルな姿だというのに、そこには不思議な品が漂っている。何よりも目を引く、真っ赤な瞳。無言を貫き通す、彼の冷静な佇まいもその魅力を助長していた。自分が太陽の下の鳥とするならば、彼は月夜を舞う蝶だ。生きる世界が違う。カメレオンモデル、テレビ局の諜報担当、このゴールドラッシュで最も美しい男。
このゴールドラッシュの王、ラナンキュラスを支える四人の大幹部がそこに居た。
その勢ぞろいした姿にピルグリムは舌を巻いた。
(まあまあ、よくも多忙なスケジュールの中、全員揃ったものだことよ)
言わずもがな、彼らは大幹部というだけあってこの中央区を運営する仕事についている。その仕事をこなしながら、彼らはラナンキュラスの腹心として、ピルグリムも知らない彼の企てる壮大な計画の準備もこなしているのだ。
(エリンジウムに至っては、どうやってこの時間を捻出したんだ。あいつ、この会合に集まる人間の中で最も過密なスケジュールをだろう。あいつと同様のスケジュール送ったとして、俺にはこの時間を捻出しろと言われても無理だ。どうやって可能にしてるんだよ)
まあ、彼の仕事を過密にしている原因の一端は自身にもある。
ゆえに彼の事を思えば、自分は彼を馬鹿に出来ない立場にもいるのだが。
嫌悪の視線を無視し、円卓を半周する。
一足早く来たのには理由があった。目的の人物、エリンジウムを背後に立ち、椅子と椅子の間からエリンジウムの表情を伺い見る。
「よ~うエリンジウムちゃん、久しぶり! 元気にしてたか?」
「……」
「なんだよ、辛気臭い顔しやがって。ビジネスパートナーなんだ、媚びの一つぐらい振ってくれてもいいだろうに」
「……お前に笑顔を振りまいた所で、何の足しになる」
「おおう、辛辣な態度この上なし。お兄さん、そんな態度されちゃうと悲しいな。よよよ……」
「お前の用事はこれだろう、さっさと受け取れ」
顔面に書類の束が叩きつけられる。
「いきなり顔面に押し付けるなよ。報告書をぞんざいに扱いすぎだろう。俺でもこんな風に扱わないぜ」
雑に渡された分厚い紙の束を受け取った。
パラパラと捲り、その内容を軽く確認する。己の妹の行動記録、己の妹の日常記録、己の妹の人間関係、彼が手に入れた情報の全てがそこに集まっている。
四席離れた位置にいるメイソンが興味津々とばかりに報告書を見つめていた。
「ねえねえ、ピルグリム君。それなあに?」
「これか? 俺の妹の尾行記録」
それはエリンジウムに調べさせたエリザベスについての調査報告書だった。
彼女が金鹿亭という酒場で送っている生活記録から、彼女の交友関係、そして商業権を獲得した事まで彼が調べきれる範囲の全ての調査結果がそこに記されている。
それをひらひらと見せつければ、げえ、とメイソンが顔を顰めた。
「ええー、お兄ちゃんの癖に妹をストーカーしてるの? 気持ち悪い!」
「気持ち悪いっていうなよ! 俺なりに妹の身を案じているんだ。あいつに何かあっちゃ夜も眠れない! これが、俺なりの愛だよ」
「……そう言う割に、仮面じみた笑顔で愛を囁くんだな」
「……失礼だな。俺はちゃんとエリザベスの事を愛しているよ。俺の父と母よりも、この世の誰よりも、ね」
エリンジウムからの怪訝な視線に自信をもって答える。
エリザベスを愛している、それは嘘ではないのだから。
軽く言い合っている所で、背後から扉が開く音がした。
(新たなオーナーか?)
そう思って横目に見て、その考えが的を外れていた事を知る。
入ってきた姿を見て、幹部陣が居住まいを正した。
自分も緩ませていた気を意図的に引き締める。それは、この会議で最も敬うべき、そして、警戒すべき人物であったためだ。
アジア系の血が混じっている事を感じさせる容貌、けれど、信念に満ちた瞳が幼い要素を排除し、堂々とした印象を強めている。
灰色のオーダーメイドのスーツ、鈴蘭のピンネクタイ、威厳を感じさせる足音を作り出している革靴。年齢はまだ四十代後半だというのに、彼の纏う雰囲気は、ある種、年寄の様な熟成された理知を感じさせた。
「やあ随分楽しそうだね、僕も混ぜてくれないかな」
ラナンキュラス。中央区の王、自分たちをゴールドラッシュに誘った全ての始まりの男。
その男の登場に全員が釘付けになる。
彼がニコリと微笑めば、メイソンが色のついた悲鳴を上げた。その慈愛の笑みは彼の側近だけでなく自分にも向けられた。
視線がかちあった瞬間に、背中にぞわりとした悪寒が走る。
綺麗な笑みを返す為、引きつりそうになる口元を吊り上げた。
自分が思うに、ラナンキュラスの質の悪い所は、その慈愛にこそある。
彼の愛の念は意図的なものではない、彼は本気で全員に慈愛の感情を抱いている。その博愛の精神は本物だ。関係者としてその事実が手に取る様に分かる。だからこそ、彼が人々をこの夢の世界に連れ込み、そして、後ろめたい会合を開いているという邪悪な側面に最初は酷く驚いたものだ。
相反する側面、けれど、どちらもが彼の真実、だからこそ、質が悪い。
(多重な側面、どれもが真実、……ほんと、吐き気がするよ)
裏の顔、けれど、本有の顔。自分がこの世で最も忌諱する事柄だ。
好みの問題で言えば、ラナンキュラスという人間は最悪に等しい。
しかし、受け入れがたいからといって、彼はビジネスパートナーであった。悲しいかな、友好的な態度は取らなければならない。内心をグッと隠し、クソったれな隣人に笑顔で手を振った。
「やあ、ラナンキュラス。先にお邪魔させていただいてるよ!」
「久しぶりだね、ピルグリム君。元気そうで何よりだよ。今日は随分と早い到着だね。その楽しそうな顔つき、何かいい事でもあった様だ」
「そりゃあそうさ! 何せ、半年も離れ離れになっていた妹の調査記録を、たった今貰った所なんだ!」
「それは何よりだ」
彼は自分の席に辿り着くと、隣に立つ自分が持つ報告書を、しげしげと見つめてくる。
自分の妹という事が、彼の琴線にでも触れたのだろうか。
この状況で報告書を直しても、良からぬ内容を調べていたと邪推もされる可能性があるだけだ。そうなるのも不服で、彼に検分するかと報告書を差し出した。
「見てみるかい?」
「良いのかい? ……では、少し見させてもらおうかね」
「ラナンキュラス様~、そんな男の妹なんて見なくていいよ~! ラナンキュラス様の目が汚れちゃうだけだよ」
ぎろりと睨めばメイソンがエイブラハムの影に隠れる。
相も変わらず、すぐ自己保身に走るそのあざとさに辟易とした。まあ、その小細工を画策しようとする自己正当性がメイソンの長所でもあるのだが。
隠れたメイソンに対してラナンキュラスがため息をつく。
「……メイソン、ピルグリム君に失礼な態度を取るんじゃない。他者を貶める言動はしてはいけないと何度も言っているだろう。……僕の部下の非礼を詫びるよ。すまなかったね」
「いいって! 気にすんな、ラナンキュラス! トップがそう簡単に謝罪を口にするな!あんたの謝罪の価値が減っちまう! 大丈夫さ、あいつの事なんて少しも気にしてないから」
「……絶対に嘘だ、あいつ絶対に内心は腹立てているよ」
メイソンがエイブラハムの影に隠れる様に、起こられた事を気にせずにさらに非難を重ねるものだから、傍観していたハーパーが呆れた表情を浮かべた。
部下たちが茶番劇を繰り広げる間にも、ラナンキュラスはパラパラと捲っている。
その手がとあるページで止まった。
流し読みとは明らかに違い、彼はそのページを読み込んでいる。
(あの報告書の中にこいつが気になる事項なんてあったか?)
気になって、顔を上げて、酷く驚いた。
そこに居たラナンキュラスは、まるで見てはいけないものを見てしまったかのように顔を凍り付かせていた。
いつも余裕淡々な彼が、初めて見せた動揺の表情だった。
しかし、己が視線を向けてしまった事で彼は我に返ったのだろう。はっと気が付き、その事実を隠す様に報告書を閉じ、微笑みを薄く浮かべる表情に戻ってしまった。
「……君の妹さんは美しいね。君に似た、壮麗な女性だ。思わず魅了されて固まってしまったよ」
「もっと見てくれても良かったんだぜ?」
「いや、……会合の時間も近いし、読むのはここで止めにするよ」
―嘘だ。明らかに動揺した癖に。
報告書を受け取りつつ、内心で毒を吐く。にしても、彼は一体何が彼の琴線 に触れたと言うのだろうか。彼が固まった時に見ていただろう付近を捲る。
それは最近の妹の動向についての報告であった。ページには、ウエストダンプ露店団地の墓守と喧嘩する姿、露店の商人を精力的に手伝う姿、金鹿亭に増えた冴えない日本人の青年に絡み酒をする姿の写真が載ってある。
どれに目を奪われたかまでは断定は出来なかった。
「ラナンキュラス様。各オーナーの皆さま、ご到着なされました」
和やかな空気を絶つ様に、その声が部屋の中に響いた。全員の関心が入室をしてきた人物へと向かう。
綺麗に礼をする女性は、ラナンキュラスの秘書だ。
報告にラナンキュラスが頷く。ラナンキュラスの返答を受けて、彼女が扉を開いた。あけ放たれたその扉の向こうから客人達が姿を現す。
風変わりな姿の集団であった。
―眼鏡をかけた黒いスーツ姿の男。
―鉤鼻を覆う程大きなベネチアンマスクをつけた、魔女の様な姿の老婆。
―夜会用のドレスに身を包み、口紅に彩られた赤い唇が特徴的な淑女。
―深紅の髪、そして獣の様な獰猛な表情をした和装の青年。
順に、エイドリアン、マダムソルト、ヴィクトリア嬢、ライアン。自分の仲間、このゴールドラッシュを治めるオーナー達。
この世界の猛者たちがそこに居た。
ラナンキュラスは彼らを視認すると両手を開き歓迎の意を示す。
「やあ我が友達よ、今日はよく来てくれたね」
「本日は会合にお招き頂き感謝いたしますわ、ラナンキュラス様」
ヴィクトリア嬢が軽く頭を下げる。その隣でエイドリアンが周囲を見渡していた。
「……スノーとスカーレットがいないな」
「まあまあ、スノーはともかくスカーレットが居ないなんて珍しいじゃないか」
「そうね、婆様、まあ、スカーレットと仲が険悪な貴方にとっては、彼女が居ない事は都合がいいんじゃない?ライアン」
「……」
ライアンの獣の様な怒りがヴィクトリア嬢に向けられる。あの威会を束ねるオーナーであるだけあって、剣呑な殺気が込められている。しかし、彼女もこの世界のトップに立つ女傑の一人、涼しそうに受け流していた。
ラナンキュラスがその場を治めるように二人を嗜める。
「スノーは、エリアで見過ごせないいざこざがあった様で事前に欠席の知らせを頂いているよ。スカーレットは電波塔の部品の作成に関連するよい商談があった様で急遽欠席となったよ」
その説明を聞いての反応は様々だ。
エイドリアンは興味深そうで、ライアンは真反対に苛立ちを隠せないでいる。しかし、ライアンの反応はもっともだった。理由はあるとはいえ、代役を立てもせず重要な会合をすっぽかすなど如何なるものだろうか。
(……、まあ、秘匿された会合だからな。代役を立てるなら余程口の堅い腹心を選ばなきゃいけない。信用できる人物が身の回りに居ないあの二人にそれをしろというのも酷な話か)
二人の置かれている立ち位置を思い出し、来れたかもしれない可能性を打ち消す。
エイドリアンが場の空気を換える様に手を二回打つ。
「さあ皆、席についてくれ、会合を始めよう」
その言葉に彼らも席に着いた。
ざっと、並ぶ音がする。
六人のオーナーと、テレビ局大幹部の四人が雁首揃えて円卓を共にする光景は、圧巻の一言に尽きる。もしこの会合が世に知らしめても良いものだったな らば、明日の新聞の大見出しになっている事だろう。
重たい沈黙を破る様に、ラナンキュラスが発言を切り出した。
「皆、集まってくれてありがとう。スカーレットの部品作成が進めば、スノーのエリアで実証実験が開始できる。それが成功すれば、我々の計画は終盤へと移行する。……そう、我々が望んだ夢の世界もあと一歩の所まで来た」
彼はそういうと微笑んだ。
その笑みは夢が叶うという事実に対してのものか。
あるいは……。
「さあ、夢の話を始めよう」
そうして人知れず会合は始まる。この夢の世界の行く末を決める重要な話し合い、けれど、その内容が人々の耳に入る事は無い。
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