第33話 フラグメンツ②:夏越 独古(2022/01/26 改稿)

 声に手繰り寄せられる様に、鮮明な記憶がよみがえった。


 いつもの公園ではない。学校の教務室の様な、事務用のデスクなどが置かれた何処かの建物の一室。そこで、小学生の姿の自分が泣きじゃくっていた。隣で君影が自分の頭を撫でながら慰めてくれている。

 そう、それは己の小学生の頃の記憶だ。


「どうして僕はこうなの?怒られても注意されても誰かを傷つける事をしてしまうの?」


 ああそうだ、と己の過去を思い起こす。


 クラスに一人はいる、周囲を顧みない、自分中心な厄介な子ども。それが自分だった。


 誹謗中傷、身勝手な行動は日常茶飯事。けれどそれは理由も無くしているのではない。例えば、掃除をさぼっている子供を指導室に連れて行かれるほどに非難したことがある。なぜそれほどに非難したのか。それは、さぼる事が悪い事だと決めつけていたからだ。小学生の頃の己は、人より頭が悪かった。だから、正しいと教えられた事は正しい事なのだとルールを鵜呑みにした。


だから独古は自己中心的で厄介な子供であった。


周りは独古が害を振りかざしてくるから遠ざかる。

独古は歩み寄りたいけど、理由が分からない。そうして近づいてはまた皆が遠ざかる。


社会に適応できないが為に、社会から孤立する。


 毎日がその悪循環で、毎日独古は己で己の首を絞めていた。


「これだけ怒られているのに、忘れてしまうのは何で?これだけ教えてもらっているのに、分からないのは何で?」


 記憶の中の己は君影に訴えている。

 小学生の自分は変わろうとしていなかったわけでは無い。むしろ、周囲と違う事実に危機感を誰よりも抱いていた。いつだって心の中は恐怖の嵐が吹き荒れていた。

 大人たちは注意を重ねていくと次第に疲れた顔をしていった。今でこそその表情は、彼らの落胆と諦めから来るものなのだと理解できる。けれど、幼い子供にそれを受け止めて変われと言うのも酷な話であった。

 あの頃の己は、それを受け止めきれなかった。そう、この記憶は、幼いながらに絶望して、君影に助けを求めた時のものだった。


「君影、どうしたら僕は皆と同じになれる? どうしたらもっと頭の良い子供になれる? どうしたらもっと皆と仲良くなれる?」


 己は見るに絶えない程、号泣している。

 あの頃の己に安堵の時は無かった。何時だって、どうしたら己のおかしいを正せるのかが分からなかった。苦しい日々だけが、日常だった。


「君影、僕って病気なのかなぁ? 僕っておかしい子供なのかなぁ? 僕は、死んでしまった方が、居なくなってしまった方が皆の為になるのかなぁ?」

「……そんなことないよ、独古」


 死んでしまいたいという願望すら言葉にした独古を、君影は優しく抱きしめて、背中を撫でる。

 そう、あの頃の己にとって、両親よりも己を肯定してくれる君影は不思議な存在で、そして、己に無償の愛をくれるかけがえのない友人であった。


「独古、君は、自分を認めてもらえない事にずっとずっと傷ついてきたんだな。変わろうと頑張ってきた自分を、誰よりも自分自身が認めてられない現状は酷く苦しいものだっただろう」


 彼は自分を慰めようとその言葉をかけてくれたのだろう。

 だが、それは、傷つける側の己にはふさわしくない言葉であった。


「僕、加害者ってやつなんだ。先生が言っていたんだ」


 幼い思考ながらに、それは認められなかった。悪い事は正さないといけない。それが社会の正しいルールだと子供ながらに分かっているから、だからあの時の己は、君影のその優しさを肯定出来なかった。


「独古」

「人を傷つけた人なんだよ。悪者が傷つくなんて、悪い事だよ」


 加害者である自分が苦しんでいるなんて、そんなの許せない事であった。

 首を振る自分に、君影は悲しそうな表情を浮かべた。君影が可哀想な顔をするから、独古は余計に認められなくなった。


「だって、誰かを傷つける事は悪い事で、そんな事をしてしまう僕は悪い子で」

「独古、大人だって誰かを傷つける。子供のお前が、誰かを傷つけない術の全てを理解して、全てを完璧に出来るわけないだろう。悪くないよ、独古。君は悪くない」

「僕は傷つく資格なんか無い!!」

「……独古、頼むから、もう自分で自分を傷つけるな」


 正しくない事をしている自分を許せない。でも、君影は正しくない事を許せと言う。

 もう、何が正しいのか分からない。

 幼い自分はその全ての事実を処理しきれず、パンクして泣いていた。抱きしめられる暖かさに、涙が止まらなかった。自分自身すら制御できない現実に泣いた。君影はそんな己を、ただただ、抱き留めてくれていた。

 そうして、流すものを流し切り、瞼が赤く腫れあがった頃、君影が自分に向き合った。幼いながらに、彼が自分に何かを諭そうとしているのは察した。それを理解して、幼い己は君影に向き合った。


「言葉がどう伝わるのかは、贈られた者の状況で様々に変わる。悲しい時には嬉しい言葉に聞こえる時もある、苦しい時には批判の言葉にも感じ取れる時もある。今から僕が語る事は、今のお前にとっては受け止めきれない言葉だろうか。だから、今から言う事を受け止めなくていい。ただ、いつか大人になったお前が、この言葉を少しだけでも、思い出してくれたら、僕は嬉しい」

「……?」

「独古、薔薇は棘があっても綺麗かい?」

「え……?」


 突然の質問に困惑したが、迷った末に、幼い己はしっかりと答えた。


「綺麗だよ。でも、棘があるのは悪い事だと思う」

「何故棘は悪いの?」


 問いに問いを重ねられてさらに困惑した。君影は何を伝えたいのだろう。けれど、子供の自分がそれを想像しきれるわけも無く。ただ純粋に聞かれた事に対して答える。


「だって刺さったら血が出るよ?誰かが傷ついちゃうよ?なら、最初から棘はあったら駄目だよ」

「……確かに薔薇の棘は誰かを傷つける事もある。でも、本来、その棘は誰かを傷つける為に在るわけじゃあ無いんだ」


 何が言いたいのだろう?君影が伝えたい事の意図が把握できず、幼い頃の己は首を傾げた。

 太陽に雲がかかったようで、室内が薄暗くなった。先ほどまで鮮明に見えていた君影の表情が分かりずらくなる。


「嵐の夜も、雪が降り積もる夜も、孤独に立ち続けるのは難しいだろう?例えば、寄り添って肩を貸してくれる人が居れば、それだけで苦しみは和らぐ。それは、人間だけでなく植物も同様だ。現実で、薔薇の棘は上向きでは無く、少し下を向いている。そうなっているのはね、隣に植物があった際にその棘が引っ掛かるためなんだ。……独古、薔薇の棘は誰かを傷つける為にあるんじゃない。誰かに寄りかかる為にあるんだ。独古、薔薇の棘は誰かと生きる為にあるんだよ」


 雲はそれほどに大きくない。隠れていた太陽が、少しづつ顔を出す。

雲の切れ端から射した光が街に降り注いでいた。日に当たる場所が少しずつ広がってゆく。


「例えそれが誰かを傷つける悪手だとして、それが誰かを傷つける結果を生んでしまったのだとしても。手を伸ばす、その行為は決して悪行では無い。独古が犯した事は確かに間違った部分もある。けれども、その全てが間違いだったわけじゃない。君の中の正義、君の中の優しさ、それ等全てが間違いなんじゃない。君の中の優しさは、正義は、正しいものだ」


 太陽が雲から現れる。室内に柔らかな光が差し込んだ。光を浴びる君影は、まるで神様のようだった。


「独古、君は君のままで、大輪の花を咲かせなさい」


 夏の風が、彼の髪をたなびかせている。日差しを背に今と変わらぬ姿の君影が笑った。


「後悔をするな、独古。変わるのならば、自分の為に変わりなさい。世界は、君の勇気一つで変わる。踏み出したのなら、あとは走るだけだ。その後に君に必要なものは、走り続ける決意だけだ。負けるな、独古。他人に負けるな、自分に負けるな」




(頑張れ独古、頑張れ)




 

 独古の頭の中で彼の言葉がリフレインする。思い出した君影の言葉に胸が張り裂けそうだった。

 色褪せぬ、遠い日の励まし。今だから、その言葉に込められた想いが理解できる。独古は遠き日から未来の独古へ贈られたその言葉に涙する。


(覚えているよ、君影。僕、ちゃんと覚えているよ)


 例え、最悪の未来に繋がる可能性があるのだとして、けれど、可能性に不安がっていても何も始まらない。

 君影の頑張れと言う言葉に、笑い、涙を溢した。何を選べば良いかは、もう、分かった。独古はドライの腕から身をよじって抜け出した。


「兄貴!?」


 ドライが非難めいた声を向ける。だが、振り返る事はできなかった。

 走る、走る、エリザベスの元へ走る。


(君影、君はいつも僕を応援してくれていた。ミスをして誰かを傷つけてばかりの僕を、僕自身すら認められない僕を、君だけは信じてくれた。ありのままの僕を君だけは愛してくれ

た)


 ゴーレムの隣を駆け抜けた際、隣を走り抜けた事にゴーレムが気付いた。ゴーレムは独古に狙いを切り替えて襲おうとする。だが、隣接しているゴーレムも独古を狙おうとして、お互いの射程圏内にお互いが入った事で、ゴーレムは味方への被弾を防ぐために動きを止める。幸か不幸か、ゴーレムの回避行動が連鎖的に重なって、独古にエリザベスの元へ辿り着くための、攻撃の降ってこない一本道を生み出した。

 エリザベスの元へ走る。

 独古は己が言っても状況が良い方向へ転ばない事を分かりきっていた。分かっていてなお、己の心の奥の本心を裏切る行動を取る事などできやしない。


(君が愛する僕を、僕が肯定してやれなくてどうするんだ!!)


 エリザベスの様に明日を愛せる自分に変わるのだと、決めたのだ。

 例え、何も出来ないのだとしても、役立たずだとしても、彼女を助ける為に行こう。彼女を救いたいという、自分の心を裏切る事を決してしてはいけない。


 もう駄目だと、ゴーレムから繰り出される拳を前にエリザベスが目を瞑る。彼女を傷つけさせる事など許さない。独古は彼女の前に飛び出た。


「うわあああ!」


 独古はエリザベスを抱きしめて飛びのいた。ゴーレムの拳が独古の後ろ髪をかすめる。間一髪ではあるが、独古は避けきっていた。固まっているノアとワイアット、そしてエリザベスと共に床に滑る様に倒れ込む。

 エリザベスは驚愕の表情で独古を見つめている。


「……ドッコ、なんで」

「死なせません。エリザベスさんも、この人たちも。誰一人死なせません! 後悔なんてするもんか。あの時こうしておけば良かったともう二度と振り返るものか!」


 思いの丈を叫ぶ。そうだ、逃げたりしない。例えそれが失敗に終わったとしても、選んだ

事に後悔など絶対にしてやらない。

 エリザベスを助けたい、それが、裏切れない自分の本音なのだから。

 エリザベスを無理やり立たせて、ゴーレムの追撃を回避する。

 前にも後ろにもゴーレムが立ち塞がっている。正直攻撃を回避する空間を見つかるだけでも御の字だと言わざるを得ない程の包囲網であった。

 それでも、諦める事などできやしない。君影が頑張れと言ってくれたのだ。なら、己を信じてくれた彼を裏切らない為に、何処までも可能性を考えて逃げ続けるしかない。


「一緒に帰るんだ。絶対に、帰るんだ!」

「ドッコ……」


 諦めないという意志を燃やす。

 活路を見出す為に、フロアを観察する。


(何か、何か道は無いのか……!?)


 焦る独古。だが、そんな姿を窘める様に、独古の頭を柔らかな手が撫でた。


「諦めなかったな、成長したじゃないか独古」


 隣に、蜃気楼の様に君影の姿が現れる。先ほどみた記憶の中の君影では無く、己のトラウマで現れた君影だ。彼は独古の頭を撫でながら、いつもの調子のいい笑顔を浮かべる。


「大丈夫だ、僕がいる。それに今のお前は一人ぼっちじゃない」

「「「姉さん! 兄貴!」」」


 見ろと彼が指を指す。そこにはこちらの方へ駆け寄るアインとツヴァイとドライの姿があった。

 三人が独古とエリザベスの元へ駆けつけようとしている。


「……どうして」


 ゴーレムの間をドライのトラウマで駆け抜けた三人は、なんとか攻撃を交わしてエリザベスの元へ辿り着いた。

 呆ける独古の姿に、アインが唾を吐きながら怒りの言葉を吐いた。


「どうしても何も見たらわかるだろう! あんたらをやっぱり置いていけないから来たんだ!」


 ああもう信じられない、アインが地団駄を踏む。彼はキッと独古を睨み付けた。


「馬鹿だろあんた、本物の大馬鹿者だ!! あんな背中を見せられて、おいおいと逃げられるもんかよ!! 畜生! 今年の試験はこれで不合格だ。あんたらのせいだからな!」

「そうだぜ、本当、俺たちどうかしている」

「最初のフロアの様に他人を軽々しく使う考えが持てたらどれだけ良かったか。この短時間で感化されすぎですよ」


 アイン達が吹っ切れたように笑う。リタイアになる可能性の方が大きいというのに来てくれた。目の前に広がる光景に熱いものが込みあげる。


「ほんと、何なのよ、あんた達」


 感極まったのは独古だけじゃない。

 エリザベスは鼻を啜ると全員に笑顔を向ける。


「可能性に抗ってやろうじゃない! 全員でクリアするわよ!」

「当然だ!」

「おうよ!」


 そうだ、全員で勝つことに意味があるのだ。誰一人欠けてはいけない。

 活気が四人に戻った。あとはこれで、全員で上階へ上がるだけ。反撃の狼煙を上げる時だ。 

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