第32話 フラグメンツ①:夏越 独古(2022/01/26 改稿)


 ファンファーレと共に、天井から大きな垂れ幕が出現した。

 そこには大きく”ゴーレムの間”と書かれている。


(なんで、今なんだ)


 ノアとワイアットとの戦闘を切り抜けたとはいえ、独古達は完全に危機を脱したとは言えない。彼らが襲ってくる可能性がある以上、魔の手が届かない所まで逃げ延び無ければならない。エリザベスが稼いでくれた時間は約五分。自分たちはその時間内に次のフロアをクリアして、ノア達が追いつけない階層まで逃げ延びないといけない。だというのに。

 独古は忌々し気にその看板を睨む。

 立ち塞がる困難に対して時間を取られているわけにいかない。仕掛けを解くために辺りを見渡そうとしたその時、謎の地震が独古達を襲った。独古は揺れにたたらを踏む。


(次から次へと一体何なんだ)


 苛立たしげに視線を上げて、独古は目に飛び込んだ光景に息を飲んだ。

 四方を覆う壁が隆起して揺れが起きていた。壁は蠢き何か形へと変わっていく。

独古は似たような光景をティラノサウルスの間で目にしていた。だからこそ、それが何かすぐに察した。


(ゴーレムが生みだされているんだ)


 独古の考えは正解であった。

ゴーレムは壁から切り離されると、独古たちを囲むように着地する。額に赤いオパールの様な石のついた、天井近くまでの高さのゴーレムたち。見渡す限りで、その数およそ二十体。それら全てが独古たちの新たな敵として立ちはだかっていた。

 追加情報だと言わんばかりに、天井から新たな垂れ幕が降りる。“迫りくるゴーレムから上階へ逃走しろ”と書かれている。このゴーレムから逃走を図り、上階へ逃げ延びる事がこのフロアの勝利条件であった。


「迫りくるゴーレムから上階へ逃げ延びよう?」

「僕たちの状況的には、ありがたい仕掛けではあるけれど……」

「これら全てを掻い潜り、出口に辿り着けっていうのか!?」


 それは、あまりにも困難な仕掛けであった。

 コンクリートから出来た巨大なゴーレム。逃げている途中で戦闘になるのは目に見えた展開だ。だが、直接的な戦闘手段を持たない独古たちのチームの中で、この規格の敵と渡り合えるのはエリザベスぐらいだ。

 ドライもその事実を認識しているのだろう。彼は状況を見極めると、すぐ、エリザベスに助けを求めた。その判断は正しいと独古も思った。

 この状況を切り抜ける突破口を持っているのは彼女だけだ。だが、頼られたエリザベスは、どういうわけか苦々しそうに表情を歪めている。


「姉さん、何とかできますか……、姉さん?」

「……できないわ」


 アインのエリザベスに事態を切り抜ける術が無いか問う。だが、エリザベスはその問いを一刀両断した。できないとはどういう事なのか。全員がエリザベスに対して説明を促す。

 彼女は答えるように、苦々しい表情でコートを捲った。視線がコートに向く。コートの裏地のポケットには何も入っていない。


「使い切ったのよ。……さっきの百万円が、手持ちの最後よ」


 その言葉がどういう意味を持つか分からないわけが無い。独古たちは全員顔を青ざめさせた。

 重たい足音が響く。ゴーレムたちの視線は、独古たちに狙い定められている。兎にも角にも、一刻の猶予もなかった。ここから何とかして逃げ伸びなければならない。

 打開の策を考え巡らせる一行。その中でドライが顔を上げた。


「俺のトラウマで行こう。直線を駆け抜けられないから、速度は出なが、あいつらが

俊敏な動きをする奴には見えない、きっと出口まで逃げ切れるはずだ」

「ドライさん、でも、まだダメージが残っているんじゃ?」


 独古の懸念に対し、ドライは大丈夫だと首を振る。


「兄貴、今の状況で無理しないでいつ無理をするって言うんだ」


 ここで走り切らなければならないと彼は言う。


「ここが正念場だ」


 言い切った彼の目は決意に満ちていた。そんな彼にこれ以上心配をかけるなど野暮である。


「ドライに賛成だ。今は、上階に逃げきれば何でもいい」

「そうですね……」


 アインもツヴァイも、ドライの意見に追随する。

 ドライがしゃがみ、四人に背に乗るよう促す。アインとツヴァイが彼に背負われようと走り出す。独古も彼に背負われようと片足を踏み出した。

そこで、エリザベスが視界に入り、独古は彼女のただならぬ様子に目を見張った。彼女はさっきまでと打って変わって、凍り付いた様に何かを見つめていた。逃げ延びる事など忘れた様に、ただただ、一点に焦点を当てている。


「エリザベスさん?」


 一体、深刻な表情で何を見つめているというのか。彼女の目線を追う。そして独古も気が付いた。

 そこには、固まったままのノアとワイアットがいた。

 独古は彼女が何を心配しているのか悟った。


「姉さん何をしているんだよ!?」


 アインがエリザベスに動くように促すが、彼女は首を横に振る。

 彼女は震えるで彼女は言う。


「あの人たち私の能力のせいで逃げられないのよ。喋って、リタイアを宣言する事

も、できないのよ」


 己のせいで、動く事も、能力を発動させる事も出来ない彼らを、エリザベスは置いていきかねているのだ。過去に他人の人生を狂わせてしまったエリザベスは、己の犯した罪と現在を重ね合わせているのだろう。だから、彼らを置いていく選択肢を選べずにいるのだ。

 また一歩、足音が近づく。距離は、もはや一刻の猶予も無い、焦るアインがエリザベスに訴えかける。


「何を同情しているんだよ!? あいつらの自業自得だろ!?」

「……」

「俺たちを襲って来なかったらこんな目に合っていないんだからさ! それに、助けたって何になる!? 恩を仇で返されるだけだ!? 助けるだけ意味が無い!! 情けをかけるだけ無駄だぜ姉さん!?」

「……」


 動かないエリザベスにアインが警告する。逃げろと発破をかける。だが、エリザベスはなおも固まっている。エリザベスは何かを考える様に俯いた。


「姉さん!!」


 なおもアインはエリザベスに呼びかける。

 けれど、彼の返事に答える事は無い。やがて、彼女は顔を上げると、アインの制止の声も振り切って駆けだした。


「何をしているんだ、エリザベスさん!」

 

 一心不乱に彼らの元へ向かうエリザベスに手を伸ばす。

 だが、彼女は独古の手も跳ねのけて駆け抜ける。その足取りに迷いはない。

 彼女は勝利よりも譲れない物を選んだのだ。


(正気なの、エリザベスさん)


 独古は、彼女の覚悟にただ愕然とする。

 石像と化しているノアとワイアットを抱えて、五分もの間、二十体のゴーレムから逃れる不可能だ。ましてや、トラウマが使えない今はなおさら。それを彼女も分かっているだろうに。


(一人じゃ無理だ。助けに行かなくちゃ。……でも、僕は助けに加わって何が出来る?)


 助けに行かなければならない事は、分かっていた。でも。助けに行ったとして、何もできなくて事態が悪化でもしたら。脳裏に渦巻く最悪の光景が、恐怖を読んで独古の足を床に縫い付ける。頭になる警鐘とは反対に、独古の足が竦んでいた。

足が石のように動かない。己の弱さが、行動を躊躇させた。

 その数秒間が、運命の分かれ目になった。


「しょうがないですねえ」

「ツヴァイさん!? 何を!」


 独古が躊躇った隙をつき、ツヴァイは彼を肩に担いだ。突然の行動に不意打ちを食らった独古は彼にされるままに俵担ぎにされた。ツヴァイはそのままドライの方向へと走り出す。

 独古は彼がエリザベスを見捨て、独古だけでも助ける事を選んだのだと悟る。だからこそ、独古は彼を止めようと声を掛ける。


「ツヴァイさん待って! エリザベスさんが!」

「あの人が選んだんです。彼女の決意を踏みにじるつもりですか」

「でも今、一緒に助ければきっと」

「甘い事を考えているんじゃねーですよ!」


 ツヴァイが独古に激怒する。


「現実を見ろよ、あんただって分かっているでしょう!? 対抗手段が無い今、ゴーレムとまともに戦えば俺たちは死ぬ!! 一刻も早く上階に逃げ延びる他に、この状況を切り抜ける方法なんて無いんです! 姉さんはそれを分かっていてなお、残るって決めたんだ! そこに、姉さんよりも何もできないあんたが向かって何になる!? 何にもならないだろう!?俺たちがいたって、足手纏いだ!! なら、俺たちはあの人の犠牲を超えて、あの人の想いを背負って勝ち残るのがせめてもの花向けだ。それは、誰よりも、姉さんの仲間のあんたが、しなければならないでしょう!?」


 ツヴァイの言う事は、最もであった。手段を持たない独古にできる事は無い。寧ろ、何もしない事がエリザベスの為にすらなり得る。それが分かっていたからこそ、独古は彼の発言に何も言え返せなかった。

「お前が居ても碌にならない」、いつしか部長に言われた言葉が脳裏を駆ける。


 今の独古は、あの時と全く同じ役立たずであった。


「ドライ、行け!」

「あいよ!」


 ツヴァイがドライの背に飛び乗る。その瞬間にドライは三人を抱えてトラウマを発動させた。ドライが走り、ゴーレムの間を駆け抜ける一陣の風となる。

「あ」


 高速で移動する身体とは反対に、認識している世界がスローモーションの様に流れていった。独古の視界からエリザベスの姿が遠ざかっていく。

エリザベスはゴーレムに距離を詰められていた。彼女はノアとワイアットを脇に抱え、ゴーレムたちから逃げる方法を探している。だが、ゴーレムの包囲網は完璧だ。逃げる隙なんてどこにも無い。


(エリザベス、さん)


 このままでは大切な人を失ってしまう。エリザベスを失ってしまう。

 部屋を揺らす足音が、絶望をかき立てる。


(ああ、何処までも、僕は駄目な奴だ)


 独古は何もできない己を恥じ入った。

 何もできず、誰かの重荷にしかならない。そんな自分が笑ってしまう程にどうしようもなかった。

 そんな時だった。何かが独古の脳裏に何かの光景が蘇った。

 初めは薄っすらと、けれど、その映像は現実に重なっていく。

 蜃気楼の様に、けれど、幻というには確かな光景が浮かびあがる。


(頑張れ独古、頑張れ)


 君影の声が頭に響いた。

  頑張れという言葉を、独古は以前君影に言われた事がある。そう感じ取った瞬間に、記憶が脳裏に溢れ出した。

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