第27話 スクラップホール選抜試験④(2022/01/26 改稿)


 有望な受験者達が奈落へと消え去った。その光景に、ある者は己が辿るだろう運命に顔を青ざめ、あるものはこんな所で終われないと喚き声をあげている。

 独古は 次の候補に選ばれないようにと、身を縮め、すこしでも影を薄くしようとした。

 不運にもアインに選ばれた者が、また一人と峡谷の方へと連れて行かれた。選ばれた者は円柱の謎を攻略できていないようだった。 会話を紡いで時間稼ぎをしているが、時間の問題だろう。

 次は我が身が選ばれるかもしれない、その前に何とか答えを得るか次のフロアへ行く術を見つけるしかない。


(けれど、どういう仕組みなんだ、これ)


 独古は改めてフロアの仕掛けを見た。

 ”けんけんぱの間”がこの階層のお題、そして、アルファベットの描かれた謎の円柱が自分たちが攻略しなければならない仕掛けであろう事は明白だ。

 けんけんぱ。地面にマス目を書き、マス目に従って片足飛びと両足飛びを行う遊びだ。

 天井に”けん、けん、ぱ、けん、ぱ、けん、ぱ、けん、けん、ぱ”と書かれ、四番目の”ぱ”の後で一番目の”けん”に戻るよう矢印が書いてある。

 このリズムで進めという事であろうか。だとすれば、このフロアは不自然である。

 仕掛けである円柱は、円柱と円柱の間が一足飛び分も空いていた。両足飛びが出来ない作りだ。けんけんぱなどさせるつもりなど無いと言わんばかりの幅である。

 もし、お題のけんけんぱが、自分たちの想像する跳び遊びではないのだとすれば、底面に描かれたアルファベットの謎を解かない限り向こう岸へは渡れない。

 一体どうしたものか。悩んでも一人では答えは出そうになかった。なので、独古は自分だけに許された最強の助っ人の力を借りる事にした。


(ねえ君影、どういう仕掛けだと思う?)


 周囲に感づかれない程度の小声で隣にいる君影に話しかける。君影はどういうもこういうないと肩を竦める。


「絶賛考え中だ。答えは果たして単純に文字列からなっているのか、それとも、複雑な仕掛けからなっているのか。まあ、簡単に解けちゃ主催者側としては面白くないだろうから後者だろうが」


 表情は飄々としてるがその視線は何処か楽しげだ。外面からは分かりにくいが、目の前の謎に興奮しているのだろう。今、彼の頭は謎を己の手で暴くためにフル稼働しているに違いない。


(アルファベット、だよね)

「そうだ、だが、答えの取っ掛かりが見つからない」


 君影が眉間に皺を寄せる。


「この迷宮のルールを言った奴は上階へ上がってくる事を望んでいるんだろう?参加者は国籍も違う奴らが集まっているんだ。そんな集まりの中で上に上がれる奴を選別するのであれば、仕掛け人は万人に解ける者を想定して作っているはずだ。なら、規則性も万人が思いつくものである可能性が高い。ただ、その規則性が思いつかない」


 そう彼が言う。

 改めて円柱を見る。

 底面に描かれたアルファベットはバラバラだ。ここに規則性があるだろうか。そう疑ってしまう程に、謎が見抜けない。


「おい!あそこの文字を繋げると”GOGOGOAL”じゃないか!?」


 受験者の中から声が上がる。縄に繋がれた男が立ち上がって指し示した。

 言われた方向を見れば、確かに、言われた通りの言葉が浮かび上がるルートがあった。


「”GOAL”って書いてある!」

「あれが正解なんじゃ」


 周囲に歓喜のどよめきが走る。だが、独古はその考えは安直過ぎないかと首をひねった。

 ちらりと横を伺い見る。君影は何も言わない。まだ考えているのだ。頭の切れる彼のその様子に、独古の中の疑惑は確信となった。

 だが、他のメンバーは興奮で盛り上がっている。

 それをみて、アインが頷いた。


「よし、なら、お前、踏んで見ろ」

「え、え、おわわ!」


 最初に提案した男を、ドライは円柱の方へ投げた。男はGの円柱の上に尻もちをつき、自分が盤上に載ってしまったと気づくや、唖然とした。


「……どう見たって! あれが答えだろう! 俺はお前の言う通り、答えを見つけてやったじゃないか!」

「なら、それが本当だって証明してみろよ」


 アインがにやついた顔で男を煽る。


「それが、正解なんだろう?」


 男はその言葉に顔をかっと真っ赤にした。だが、自身が言い出したことだけに反論を返せないのか口をぐっと引き結ぶ。

 男は”O”の方を向いた。峡谷から風が吹き上げ、彼の髪を撫でる。飛び乗った先が正解でなければ、待っているのは転落だ。試験終了となる。

 男の呼吸が荒くなる。そして、覚悟を決めたのか、彼はぐっと拳を握って”O”の円柱へと飛んだ。

 ダン、という着地音がフロアに響く。それと同時に、不正解の音が鳴った。


「なんで?」


 彼は青ざめた表情で屋上にいるだろうゲームマスターに嘆きの視線を向ける。だが、彼の嘆きが届くはずもなく、彼もまた、他の人物同様に奈落の底へと落ちていった。リタイアを告げる光が独古たちの前を横切り、迷宮の外へと飛んでいった。

 絶望のため息がフロアに満ちた。

かなり説得力のある答えだったために、落胆も大きかったようだ。ある者は俯き、ある者は壁にズルズルと座り込む。

 受験者達の顔は、皆一様に青ざめていた。ただ1人を除いて、


「ほほう、”G”ならいいのか」


 君影の楽しげな声に、独古はハッとする。

 確かに、”G”を踏んだ時、男は無事だった。ということは”G”は”正解”なのだ。その次に”O”を選んだのが”不正解”だった。

 やはり、規則性があるという事だ。

 もう一度、横を伺い見る。君影は何やらぶつぶつ言いながら右手の指をせわしなく動かしている。その瞳は闘志に燃え上がっていた。長年の付き合いだからこそ分かる、これは例えるならば、相手を言い負かせる決め手を得た勝負師の時の君影の表情だ。

 率直に言えば、君影は規則性が何なのか検討が付き始めている。

 独古は期待に胸を高鳴らせた。

 だが、独古がどれだけ脳内で希望を見出しても、現実は期待通りには動いてくれるものではない。


「もういやだ! こんな奴に消耗品にされるくらいなら、俺は逃げる!」


 捕まっていた受験者のうちの一人がリタイアを宣言して飛んでいった。それを皮ぎりに、一人、また一人と、リタイアが宣言されていく。


(ちょ、ちょっと待って、そんなにいきなりリタイアを選ばれたら…!?)


 予想通り、残ったのは独古一人であった。

 アインはその様子に肩を落とす。


「何だよ、根性なしな奴らばかりだなあ。俺たちみたいなチンピラに阻まれた程度で諦めるようじゃ、もう一度エイドリアンの選抜試験を受けても合格なんて出来ねーぞ? というか、この程度で諦めるんじゃ、このゴールドラッシュで戦って生きていく事なんざできねえって」


 頭を搔きながら、アインが独古へ視線を向ける。独古は自分の運命を悟った。


「ええええーと、そ、そうですね」


 返答を返しながら独古は視線で君影に打開策を求めた。

 君影は気を逸らしたくないと独古に視線も向けずに考えている。


「もうちょっと時間を稼げ、いい所まで来ている」

(どうやってさ!?)

「考える時間が惜しい。切り抜けろ」


 非情である。だが、彼のいう事は最もだ。君影が打開策に思考を割いたとして、それで答えに辿り着けなければ元の木阿弥、であれば、君影がフロアの攻略に専念して一秒でも早く答えに辿り着くのが効率が良い。

 何とかして彼の為に時間を稼ぐのだ。

 縄を引っ張り始めるアインに、焦る脳内で閃いた話題を振る。


「いい天気ですね!」


 思惑があからさまに滲み出ている。アインが独古に哀れみの視線を向けた。

 やめろ、やめてくれ、自分でもこの状況下でそんなにあからさまな時間稼ぎの発言をするなんて馬鹿だと思っている。

 恥ずかしい、でも、間抜けでも何でも状況を切り抜ける事が出来るのならやり通すしかない。

 話の間を無理やり引き延ばす。


「ほら、曇りない快晴の天気ですし、お話するにはもってこいじゃないですか?」

「お前、いくら良いように使われたくないからって、もっと良い気の逸らし方を思いつかなかったのか?」

「いや、そう緊張しないでくれ。何も命を取ると言っているわけでは無いんだ」

「……そうだぞ。こっちももう駒はお前一人しか残っていない。お前が協力してくれるのであれば、お前に対して手を出すつもりは毛頭ない」


 ドライも独古に同情の言葉を掛けてくる。いや、そもそもお前らがこの状況を生み出したんでしょうが。喉まで出かけた恨みつらみの言葉をぐっと堪える。


「僕が渡るにしても、何か考えて下さいよ。”G”以外にヒントが無い状態で、次の答えを導きだせるとでも?」

「いや、でもお前も察しているだろう? 俺たち、基本的に馬鹿なんだよ。頭がよけりゃ最初から脅しも、他人に正解を探らせる事もしていないって」

「いや、棚に上げないで考えて下さいって」

「大丈夫だよ。ほら、”G”のマスの上に立つだけでも良いからさ」


 控えめに、ロープを引っ張られた。独古は反対側に身体を傾けて、それをやんわりと拒む。

 独古は汗をだくだくとかく。

 これだけ時間を稼いでも、まだ君影はまだ考えている。


(無理無理無理、これ以上無理!)


 せいぜいここまで一分程度だが、これだけ稼げただけでも及第点ではないだろうか。

 独古は自分の対人能力では、これ以上時間を稼げないと自覚していた。人付き合いが下手な自分ではこれ以上間は持たせられない。

 そして、待ちきれないのは相手方も同じである。

 痺れを切らしたドライが独古を俵担ぎをし、”G”の文字へと投げ飛ばした。

 背後で三人が独古が逃げ出さない様に見張っている。引くにも引けない状況に独古は心の中でさめざめと泣いた。

 ここまで来たら、もうやるしかないのだ。

 独古が飛び移れる範囲には”A”、”N”、”J”、”O”の四つのアルファベットがある。 どれかが正解なのだろう。そこまではわかる。しかしいくら考えても、独古の思考では答えにたどり着けない。親友はまだなのか。

 奈落への恐怖に足が震える。

 もう覚悟を決めて打開策を得るために選ぶしかないか。覚悟を決めかけた時だった。

 ポンと、肩に手が置かれた。


「独古、”N”を渡れ」


 君影が同じマスに乗ってくる。

 彼はいつもの様に笑み浮かべて独古にそう言い放った。


「”N”? でも、それ本当に?」

「大丈夫だ。俺を信じろ」


 間違える可能性などあり得ないと言わんばかりの自信に満ち溢れた声音だ。

 独古は”N”の円柱を見つめる。本当にこれが答えだというのか。けれど、親友が悩みぬいた末に沿う結論を出したのだ。ならば、信じるほかに道は無い。


(ええいままよ!)


 覚悟を決めて”N”へと渡る。着地して、独古は襲い来る手の衝撃に備えた。

 その体制のまま一秒、二秒、と待つ。しかし、いつまでたっても衝撃も不正解の音もならない。


「まじかよ!正解だ!」


 アイン達から歓喜の声が上がった。


「ほら、正解だったろ?」


 自画自賛する君影を、独古は未だ夢見心地な気分で見つめた。

 一体どうやって分かったと言うのか。


「答え、分かったの?」

「勿論だ。僕を誰だと思ってる」


 いつもの倍のテンションの君影は独古に近寄りアルファベットを指さす。


「独古、モールス信号だ。このけんけんぱは、モールス信号が規則だ」

「モールス信号って、”トン”とか”ツー”とかのリズムを使うあのモールス信号?」

「そのモールス信号さ、正確に言えば、今回必要なのはモールス信号で使われるモールス符号だけどな」


 彼は独古に推論を説明してゆく。


「モールス符号はアルファベットに関しては世界共通の国際符号だ。万人に分かる。国籍の違う人間がいる場の謎解きでは、もってこいの解読の種さ。お前も知って通り、長符が”ツー”短符が”トン”からなる信号だ。”G”のモールス符号は”ツーツートン”だ。ちょうどリズムは”けんけんぱ”に合う。”G”は正解だった。なら、”G”は始まりの”けん”を含んでいる事になる。”けん”が”ツー”、”ぱ”が”トン”だ。あとは、モールス符号を壁に描かれたリズムに合わせてやれば、必然とルートは導き出される」


 君影が指で指し示す。それに従い、独古は円柱を渡る。


「”GNYETNTETEG”、これが、正しいルートさ」


 向こう岸へ辿り着いた瞬間、ファンファーレが鳴った。

 正解だったのだ。

 独古は安堵から床にへたり込んだ。勝利の試合後に似たような、満ち足りた充足感が心を満たしている。

 反対岸からの歓喜の声を背に、親友がどうだと胸を張る。

 それが何だか自分事の様に嬉しくて、独古もまた、彼に笑みを返した。


「相も変わらず、君は凄いね」

「当然さ、僕を誰だと思っている。ヴァ―カ」


 本当にすごい親友だ。へらりと笑う独古に君影も口角を上げて返した。


「おい!仕掛けが分かってるんだろう!俺たちにも教えろ!」


 束の間、向こう岸から声が響く。アインが独古に答えを教えろと叫んでいる。


「虫が良すぎないか?」

「いやそれもそうなんだけど」


 彼らの図々しい態度に君影が不快だと言わんばかりに眉根を顰める。

 君影の言うことはもっともだ。あれだけの受験者達を自分たちのエゴでリタイアに追い込んでおいて、最後に甘い蜜を吸おうとしているなんて。

 このまま先へ行ってもよかった。彼らがしてきたことを踏まえればここで見捨ててやっても何の問題も無い。

 ふと頭にエリザベスの姿が過った。


 (私、人助けをするの)


「分かりました、教えます」

「独古?」


 無理だ。目の前にいる、困っている人を見限ったという事実を背負って、彼女の隣に厚顔な態度で立つ程、自分は高慢な人間にはなれない。


「アインさん、そこから”GNYETNTETEG”と渡ってください!」

「”GNYETNTETEGだな!”」


 三人が指示を出した円柱を渡り始める。

 お人好しな独古の姿に、「良いのか」と君影が独古に問う。


「独古、良いように使われているだけだぞ? 助けてもどうせ次のフロアでもこき使われる事になる。それで良いのか」

「そりゃあ嫌だけど」

「ならなんで切り捨てない」

「そりゃあ…」


 君影からの問いに言葉が詰まる。そこで、一瞬、目を逸らしたのが悪かった。


「よし、次は”U”だな」


 その言葉にはっとして、アインを振り向く。


「違います! ”T”の次は、”N”です!」


 だが、反応が一瞬遅かった。アインが”U”を踏むと同時に不正解の音がフロアと鳴った。

 己の間違いにアインが顔を真っ青にする。そんな彼の後ろに、因果応報と言わんばかりに巨大な手が生えた。その手が懲罰を与える様に振り下ろされる。

ツヴァイとドライが悲鳴を上げる。

 その姿をゴールから見る独古の脳裏に、先ほどの君影の問いが流れる。


(なんで切り捨てない)


 そんなの、そんなの決まっていた。


(私、人助けをするの)


 エリザベスの言葉が脳裏をよぎる。体は自然と走り出していた。

 アインの身体が宙へ浮く。空へと飛び、そしてゴール近くの峡谷へと落ちかける。その手を掴む。


「うぐう!」


 男性一人分の重みが独古の右腕を襲った。腕がちぎれそうだ。


「独古!?」

「「アイン!」」


 駆け寄ろうとした気配のしたアインとドライに向かって、独古は「ゴールをして!」と叫んだ。


「ゴールをしなければ!同じ事になります!だから、まずはゴールをして」


 ツヴァイとドライは狼狽えたが、事態を悪化させるべきでないと判断したのだろう。「次どっちだ」と彼らは指示を乞う。独古は「TNTETEG」と叫んだ。

 アインが信じられないと独古を見上げていた。

 彼らの足音を聞きながら、歯を食いしばる。君影が隣に立ち、無理だと独古に言う。


「独古!お前まで落ちる! 離せ、落ちたとしても因果応報だろう!?」

「…離したくないっ」


 筋トレでもしていればよかったと自分でも自分を呪いたくなる。それほどに貧弱な身体だった、これまでの時間を怠惰に生きた結果がこれなのだろうが。

 激痛に身体が震える。それでも、握りしめる掌がほどけないように歯を食いしばった。


「そこまでする必要ないだろう!? そいつを助けたって何にもならない」

「でも! ここで誰かを見捨てて合格したら、僕は胸を張ってエリザベスさんの隣に立てない!」


 叫ぶ独古の脳裏にはあの夜が思いだされていた。

 変わりたいと願い、人を助けると信念を抱いたエリザベス。そして、そんな彼女へ妬ましさを抱いた浅ましい自分。あの夜程、自分を恥じた事は無い。

 だからこそ、今、自分は変わりたいと願う。

忘れようもない恥ずべき自分から抜け出したい、彼女の様に明日を愛せる自分に生まれ変わりたかった。


「変わりたいんだよ君影!こんな所で僕は弱い僕に負けられないんだ!」


 だから、離さない。掌に抱いた決意を決して離さない。

 後ろでファンファーレが鳴った。ツヴァイとドライがゴールへたどり着いたのだ。二人は走り寄ると独古ごとアインを引っ張る。


「待っていろよ!今引き上げるからな!」


 円柱の底面へアインが引き上げられる。だが、一度不正解を選んだアインをエイドリアンは許していないのか、円柱の上に立ったアインを制裁する為に再び手を生やしてくる。


(まずい、早く逃げないと)


 独古は逃げ出そうとした。その矢先に、アインに腕を掴まれる。独古は逃亡を阻むアインの正気を疑った。だが、アインには打算があるようだった。


「ドライ! 俺たちを纏めて階段まで連れて行け!」

「合点承知!」


 アインがドライにオーダーを出す。

 ツヴァイは独古とツヴァイとアイン、三人の下に潜り込んだかと思うと、そのまま三人を背負う。


「トラウマ発動! ”Go on タックル”!」


 瞬間、彼が風になった。一迅の嵐の様に円柱を駆け、フロアを走り抜ける。絨毯の早さなどの比ではない、目にも止まらぬ速さで彼が上階への出口を超えて、階段を駆け抜けた。

 直線距離を駆けのぼり、そして、次のフロアの光の中へと飛び込むとドライは止まる為に靴を床に擦りつけた。床と摩擦している長靴が、煙を上げる。そのまま5メートルほど床を滑り、ツヴァイは止まった。

 振り向いた独古たちの後ろから、手が追ってくる音はしない。階下への入り口の先からは追手の気配はしなかった。

逃げきれたようだ。

 あくまでも妨害はそのフロア内に留まるという事だろうか。何にせよ、命拾いした。

 無事でよかった、独古は心の底から安堵した。

 ツヴァイとドライは互いに無事を祝っている。だが、アインだけは違った。アインは頭を振りながら、信じられないものを見る目で独古を見つめた。


「お前馬鹿だろう。俺はお前を使い勝手のいいその場しのぎの道具として見ていたんだぞ?俺を助けたって、これからも良いように使われると思わなかったのか?」


 君影と同じような問いに独古は首を振る。


「胸を張れる自分でありたかったんです」


 何度問われようと、誰から問われようと答えは同じである。

 明日を愛せる自分になりたい、エリザベスの隣を立てる自分になりたい。

 そう言い切る独古を見つめ、アインは息を飲んだ。独古がまるで、突然光り輝き出したように、アインには感じられた。今の今まで、受験者の中でもひと際弱そうだと思っていたのに。

 だが、実際蓋を開けてみればどうだ。

 答えを導き、あまつさえ自分を良いように使おうとした男を助けた。お人よしと言うには懐の大きい人。


「兄貴じゃん」


 アインの呟きに、独古は首を傾げた。そうこうするうちに、アインの瞳が子供の様にきらきらと輝きだす。


「兄貴!」


 アインが独古の手を握った。


「兄貴!独古の兄貴!あんたなんてかっけえんだ!芯の在る男だよ!あんた」

「あ、アインさん?」

「ついていきやすぜ!」


 アインの背中に幻の尻尾が見える。状況が理解できず独古は親友を振り向いたが、彼はしらじらしい目で呆れていた。


「ついていきやすぜ!兄貴!」

「じゃあ俺も!」

「アインが言うなら僕もかな?」


 後ろからツヴァイとドライも手を挙げる。一体どういう事なのか。

 彼らの鮮やかな掌返しに独古は笑みを引きつらせるしかなかった。


 二つ目のフロアは攻略に至った。けれど、まだゴールには辿り着いていない。

ゴールを目指して、迷宮の攻略は始まったばかりだ。


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