第19話 家なき子(2022/01/26 改稿)

 長い人生生きていれば、衝撃的な出来事に出会う機会は、幾度となくある。

 例えば、横にいた人物が突如、水溜りに足を滑らせて階段から一足飛びに転がり落ちたり。

 例えば、青信号にも関わず自動車が信号無視をする瞬間に出会ったり。

 独古も「今までの人生で衝撃的な事と言えば何がありましたか」と問いかけられれば、答えられる程度の経験を持っている。

 けれども、居住地へ帰り着いたら、自身の為に用意された部屋が吹き飛んでいたという経験は、さすがに初めてであった。


「「本当に、申し訳ない!!」」

「いや、僕はいいんですけども……」

「アタシは許す気なんざ、さらさらないけどね」

「「マ、ママ~!!」」


 寸動鍋からシチューをつぎ分けているママの背中には怒りが漂っている。

 事の犯人であろう作業着を着こんだ男性二人は、カウンターの前で必死に頭を下げているが、ママは振り向きもしない。

 

 キャンディータフトの元から帰ってきた二人を待っていたのは、三階から上がすっかり吹き飛んだ金鹿亭であった。

 残っている外壁もボロボロで、空との境目が薄檸檬色の鉄骨の間から見えてしまっている。

 帰ってきた独古とエリザベスは口をおおっぴろげに開けて唖然とした。

 いや、この様な光景誰が見てもその様な表情になるのだろうが。

 一体全体、何があったのか。

 慌てて店の中へと入り、居合わせた客達に問い詰めれば、返ってきたのは何とも頓珍漢な回答であった。


「ママ、ドッコ、本当にすまねえ!まさか高圧洗浄機の威力がここまで強いなんて思っていなかったんだ!!」

「いや、水圧の威力が最凶って書いてあるからと言って、誰が建物が吹き飛ぶレベルの威力だと思うよ!?考えつかねえだろ普通!?」

 犯人の二人は悔やむようにそう語る。

 

 事件のあらましはこうだ。

 

 エリザベスと独古が出掛けた後、ママは独古の為に空き部屋を掃除しようとした。

 三階の倉庫代わりしていた部屋は、料理本や財務諸表などの冊子類の資料置き場としていたため重たい家具は置かれていない。重い荷物の運び出しの必要がないから、当初のママは、床を掃いて拭き掃除をする程度で済むと思っていた。

 けれど、いざ数か月ぶりに入って彼女はびっくりした。窓や扉の隙間から入る湿った冷気によって、部屋には苔とカビが繁殖していた。内装工事に回すほどの金銭的余裕がなく、必要な補修を怠っていたことが原因だ。

 壁を撫でれば緑色の汚れが簡単に指に張り付く。

 部屋の惨状に彼女は頭を抱えた。

 業者に手配して壁紙を張り替える事が最も良い方法ではあるが、独古が帰りつくまで残り半日ほどしかない。

 どうしたものか。

 そこで白羽の矢が立たったのが、偶然にも店で酒を飲んでいた掃除業者の二人であった。


「ちょっと問題のある部屋を掃除してほしいのさ。出来る限りで構わない。やってくれたら今日は飲み代は払わなくて良いよ」


 給料日前の二人の懐具合はひもじかった。懐が温まる提案に二人は即座に引き受けた。

 されども、引き受けた二人も部屋の現状を見て唸った。

 その道のプロとはいえ、苔とカビが共生した部屋を完全に綺麗に出来るかと言えばノーである。

 掃除を専門分野としているとはいえども、できる事とできない事がある。

 反面、プロとしての矜持がある以上、ここでやすやすと引くのも嫌であった。

 何とかして、ママに凄い所を見せつけ、満足した状態で酒にありつきたい。

 そこで二人が取った策こそが、今回の事態を引き起こす事となった。


 春桜電気街イナズマ重工製、高圧洗浄機「ピカピカ君」、どんなにしつこい壁の汚れもこれ一機。凶悪な威力の水圧で、綺麗さっぱり貴方の目の前から消し去ります。

 

 そう、例え技術が無くとも、人類には道具と言う名の叡智の結晶がある。自分たちに出来ない事は道具で補えばいいのだ。二人はそう考え、高圧洗浄機を持ち出した。だが、彼らは使う前に冷静に品質の怪しさを疑うべきだった。

 ここはゴールドラッシュ、何が起きてもおかしくないと。

 けれど、酒にありつく事ばかりに頭がいっていた二人は、深く考える事無くピカピカ君を使用してしまった。

 その結果が今の状況であった。


「いや、イナズマ重工製の品物って所で疑いなさいよ、あんた達」

「でも稀にとんでもない高性能高品質の物も売っているだろう、あそこ」

「今回こそ、勝てると思ったんだよ……」

「賭け事じゃないんだから……」


 エリザベスが二人に呆れた声でツッコミを入れた。

 そんな彼らを眺めながら、彼らから独古はゴールドラッシュの奇々怪々さを改めて学んだ。君影が一連のやり取りを眺めていれば、一人だけ冷静に呆れた事だろう。

 カウンターチェアに腰掛けてそんな事を考えていれば、独古の目の前に木製の深皿を置かれた。中を覗けば、野菜がふんだんに使われたシチューがたっぷり入っていた。


「はい、ドッコ。夕飯のシチューだよ」

「え! 今夜も頂いて良いんですか!?」


 独古は今夜も食事を貰えたことに心底驚いた。

 ママは独古の反応を見て、お前何言っているんだと驚く。


「私も見くびられたもんだね」


 ママはやるせ無さそうな表情で独古にため息を吐いた。


「当たり前じゃあないか。遠慮するんじゃないよ。朝も言っただろう?」


 そんな事言われたっけ。

 記憶を辿ってみたが、どうしても思い出せない。独古は久しぶりに自分の忘れ癖を思い出し、微かに顔を歪めた。

 此処にいつも持ち歩いていたメモ帳があれば、思い出せたかもしれない。しかし今の独古にそんなお助けツールは無い。零れ落ちた記憶を拾う事は、結局叶わなかった。

 影を落とした独古の顔を、ママはしばらく黙って見ていたが、やがて、ふんっと鼻を鳴らす。


「今度言ったら承知しないよ、馬鹿たれ」

「すみません」

「謝ってほしいって言っているんじゃあない。もっと頼りにしなって言ってんの、馬鹿たれ」


 独古は取り繕うように笑えば、ママが銀の匙の持ち手の部分で独古の額を小突いた。優しい痛みが何ともこそばゆかった。


「にしてもあんたの部屋をどうするかねえ……」


 カウンターに備えづけられた簡易式のキッチンに背中を預けながら言う。

 まだ、考えてくれていたのか。


「僕は昨夜と同じくフロアで大丈夫ですよ。勿論、ママさんが良ければですけど……」

「寝る時以外はどうすんのさ。仮宿とは言え、フロアでずっと寝泊まりして貰うのも申し訳ないじゃないか」

「……でも、空き部屋無くなっちゃたんですよね?」

「そいつの言う通りじゃねえか、ママ。部屋が無い以上、フロアに寝かせておくしかねえんじゃねえか?」


 奥の方から会話に混ざってきたのは、ビンカだった。キッチンとフロアを隔てている暖簾をくぐり、独古たちのほうへやってくる。

 何処かへ出掛けていたのか、ビンカは黒いコート羽織っていた。彼はコートをカウンターの下に置くと、腕に持っていたエプロンをYシャツの上からつけてママの隣に立った。

 その姿に、独古と同じくシチューを食べていたエリザベスが反応を示す。


「あら、遅かったじゃないビンカ」

「エリザベスちゃ~ん!! ただいま~!! 貴方だけの騎士、此処に戻りました!!」

「はいはい、おかえり、おかえり。今日は日中の仕事が入っていたの?」

「仰る通り」


 恭しく彼がエリザベスに対して頭を下げる。

 今朝と変わらず、エリザベスに対してだけは入れ込み具合が違うビンカである。

 その会話を聞いていて独古は、ふと首を傾げた。


「日中の仕事? ビンカさんって、此処の店員じゃあないんですか?」

「いや、合っているわよ? ビンカは夜だけのスタッフで、昼間は資金稼ぎに別の飲食店のホールの仕事だったり色々掛け持ちしてるのよ。今日は珍しく朝まで居たけど、大概、深夜の締めの作業が終わったら次のシフトの日の夜まで居ないわよ」


 エリザベスがシチューを含んだ口をもごもごと動かしながら言う。

 ビンカは一日を通してここで働いているものだと、独古は思い込んでいた。

 なにせ、ビンカだけエリザベスへの惚れこみ具合が違うため、アイドルの追っかけをする熱狂的なファンの様なイメージをビンカに対して抱いていたのである。

 ビンカの私生活の一端を知って、この人も普通の人間なんだなあと、なかなか失礼なことを思う独古だった。

 ビンカはカウンターのグラスの整理をしながらエリザベスに問いかける。


「エリザベスちゃん、今は俺の仕事内容より、こいつの寝床をどうするかって問題のオチを着ける方が優先じゃねえのか?」

「あ、そう言えばそうだった」


 あらためて、ママ、エリザベス、ビンカ、独古は、うーんと唸り始めた。

 しかしながら、無いものは無いのだからどうしようのないのではないか。

 ビンカと独古はもう結論は出たも同然じゃないかという思考に至った。互いに似たような表情をしている。ママも、それしかないのかもしれないかなと可能性を考える事を諦めだしていた。

 けれども、エリザベスだけはどうやら違うようで、妙案を思いついたと言わんばかりにニコニコしている。

 美少女の眩しい笑顔。

 それを見たママとビンカは眉根を寄せた。

 エリザベスが自信満々に提案を従っている時は碌な考えを持っていないことを、彼らは嫌という程知っているのだ。

 しかし、エリザベスと出会ってまだ一日の独古は、そんな事情を知る由もない。軽率にも、興味本位で尋ねてしまった。


「エリザベスさんには、何か案があるんですか?」

「よくぞ聞いたわ、ドッコ。聞いて感謝で泣き震えるんじゃないわよ」


 エリザベスが椅子から立ち上がる。

 夜の酒場は盛況だった。仕事の愚痴や笑い話を酒の肴に飲む客たちが、フロアには溢れていた。その全員がエリザベスの様子に興味を持って、なんだなんだと視線を向ける。

 大勢の観衆を背に、エリザベスは独古の前で右手の人差し指を突き付けると堂々とその考えを提案した。


「部屋が無くなったのなら私の部屋に寝泊りすればいいわ!」

「「「「「はあああ!!??」」」」」


 店の全員から驚きの声があがった。耳を疑うと言わんばかりの悲鳴である。

 勿論、独古もである。女の子が自分の部屋に男を泊めるなんて。それも出会ったばかりでよく知らない男を。独古の常識ではありえない提案だ。

 独古は軽い眩暈を感じた。ついでにこれから周りから飛んでくるであろう野次や、主に、ビンカからの恨み妬みを予感して、頭まで痛くなってきた。

 ビンカを除く皆、頬を青ざめさせて、口を大袈裟に開けて石のように固まっている。

 真っ青?真っ赤とかではなく?

 怒り狂っているビンカだけが、独古の予想通りの反応をしていた。

 先ほどのエリザベスの発言で何故、大げさなまでに青ざめる必要があるというのか。周囲の驚きの理由が分からない独古は首を傾げた。

 そんな、独古を置いてけぼりにした原因の一人であるビザンツが、硬直から解けると恐る恐るエリザベスに声を掛けた。


「なあ、リザ。それはちと、ドッコがやべえんじゃねえの?」

「何よビザンツ、こういう時こそ助け合いが必要でしょう?私の事を心配してくれてるのなら大丈夫よ。というか、ドッコに私を襲えるだけの肝っ玉があると思うの?」

「いや、お前の心配は微塵もしていない。お前の部屋に泊まるドッコが可哀想過ぎるだろう……」 


 フロアに居る客たちがビザンツに同意する様に頷く。周囲の態度にエリザベスは頬を膨らませて憤慨した。

その様子を見て、独古は周囲がエリザベスの部屋に男が泊まりこむ事を問題視しているのではなく、エリザベスの部屋に独古を泊まらせる事を問題視している事を理解した。

 だけど、それは何故なのか。そこが一向に分からない。

 首を捻る独古の前でビンカが嫉妬心に着火をされて燃え上がっていた。


「きえあああああ!!この泥棒猫があああ!?お前、いったいどんな徳を積んだらエリザベスちゃんからお泊りのお誘いを頂けるんだよ!?今夜こそ許さねえぞてめえ!?」

「待ちなビンカ!これはチャンスだよ!」


 独古の目の前でママがビンカの肩を掴む。

 その目はぎらついていた。まるで、夕方5時のタイムバーゲンの戦場を駆け抜ける主婦の様に獲物を逃さない決意を抱いた瞳をしていた。

 彼女はビンカを説得し始める。


「エリザベスに同居人ができれば、誰も手を付けたくなかった二階の問題が片付く。ついでに、独古が今後上手くエリザベスと同居していってくれるなら、私たちは口ずっぱくしてエリザベスに注意しなくてすむようになる。こんないい事ないだろう?なあ、皆」

「まあ、確かに」

「でもよお、ママ!あいつは男だぜ!?エリザベスちゃんに何かあったら」

「じゃあビンカ、あんたがドッコの代わりにエリザベスの同居人になるかい?」

「いや、それは遠慮したいというか。……ママ、それとこれとは別問題だろう」


 独古は心底驚いた。

 あのビンカがママからの説得に悩みだしている。それどころか、エリザベスの部屋に住むのかという投げかけに対して拒否の意思を示した。

 そこで、独古は一抹の予感を感じ取った。

 これは、とんでもない事を押し付けられそうになっているのでは?

 独古の額に嫌な汗が流れる。


「おい!ドッコ!?」

「は、はい!?」


 鬼の様な形相をしたビンカが独古の顔に透明な何かを叩きつけた。

 一瞬、独古は呼吸が出来なくなった。むせた呼吸を整えつつ、ビンカの理不尽な態度に怒りを抱きながら独古は顔に叩きつけられたものを見た。

 それは二十五枚入りのポリ袋だった。皆嬉しい、業務用LLサイズのポリ袋であった。


「ドッコ!今回はお前にエリザベスちゃんとの同居を許してやる!?だがなあ、リザちゃんの生活はお前の生活力にかかっているんだからな!?見放したその瞬間に輪切りにおろしてやるからなああ!?」

「いや、待ってください。僕まだうんともすんとも同意していないというか、それ以前になんでエリザベスさんとの同居しようとすると、ポリ袋を渡される事になるんですか!?」


 独古は加速する嫌な予感に拒否を示すが、周囲はママからの提起で掌を返したように独古とエリザベスの同居を歓迎するムードをなっている。

 一番めんどくさい相手が自分の提案に同意した。状況を良い方向に捉えたエリザベスは破顔の笑みを浮かべてやる気を漲らせた。


「ようし!そうとくれば、ドッコ!早速私の部屋に案内してあげるわ!」

「え、ちょっと待って、本当に嫌な予感がするんですけど、僕このままフロアに居たいというか。ああ、引っ張らないでエリザベスさん! 歩ける、歩きますから!」


 有頂天になっているエリザベスは、独古の声が届いていないようだ。助けを求めるように、独古はフロアを振り向いた。

 全員が良い笑顔でサムズアップした。


「「「「「「グッドラック!!」」」」」

「絶対、やばい案件じゃないですかー!?」


 ポリ袋を片手に、独古は叫んだ。

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