第18話 独古のトラウマ(2022/01/26 改稿)


 瞼を見開く。其処には己の親友、君影の姿があった。

 彼が困った顔で笑えば、特徴的なカールした前髪も表情に合わせて揺れた。


「お前に分からない事が、僕に分かる筈が無いだろう……お前は僕を何だと思っているんだ。僕にだって分からない事はあるんだぞ?」

「坊や、其処に誰かいるのかい?」

「え?」


 キャンディータフトから投げかけられた言葉に、独古は彼へと顔を向けた。

 彼の視線は独古と君影の間を行き来している。

 その視線は独古に向けられた際は焦点が合うと言うのに、君影に向けられた時だけ彷徨っている。

 まるで、君影が見えていないとでも言うべき雰囲気だ。


「え、何、幽霊でもいるの?」

「え、何を言っているんですか、エリザベスさん! ここに、君影は居るじゃないですか!」


 続くエリザベスの言葉に独古は思わず声を荒げた。

 だが、エリザベスもキャンディータフト同様、困惑の瞳をしている。

 発現の通り、君影は見えていないと言わんばかりの表情で、独古の方を向いている。

 今朝、能力は、その人の心に残る最も後悔した記憶から形成されると言っていた。


 では、自分の場合は?


 君影の居る現状。周囲から君影が見えていない現状。嫌な予感がして止まらない。


「独古、落ち着け!」

「落ち着けっていったって、君影! だって、この状態って!」

「坊や、彼の言う通りだよ、落ち着き給え。これは、正常な状態だ」


 キャンディータフトの制止の声に、思わず彼の方を向く


「坊や、これは正常な状態だ。だから、落ちついて、一回座って聞いて欲しい」


 キャンディータフトの声は至極冷静であった。目の前の君影も、一度落ち着いて座れと言うので独古は荒立つ気持ちを抑えつつ、一度座った。

 キャンディータフトが深い溜息を吐く。


「これは……、予想外だったな……。そう来るとは思っていなかった……」


悩ましげに、彼は万年筆の先端で頭を小突いている。


「坊や、申し訳ないが、僕は彼の存在を認知出来ていない。声を聞く事も姿を見る事も出来ない。申し訳ないが、彼にいくつか問いかけたいことがある。もし可能であれば、彼からの返答を聞かせてくれないかい?」

「……独古、あいつの指示に従え。僕も今、何が何だか分からない。今は一つでも判断材料を手に入れて、現状で何が起こってるか知りたい」

「……分かった」


 君影の言う言葉はもっともであった。独古も何が何だか分かっていない状態であり、君影の言うことは問題がなかった。

 独古は君影に対して頷いたが、キャンディータフトはそれを聞き、自分に対しても了承が出たものと結論づけたのだろう。君影に対して問いかけ始めた。


「まず、坊や、君影君から見て私たちは認識できているのかな」

「出来ている」

「出来ています。姿も、声も君影に届いていますと言ってます」

「そうか、なら、君影君、君は、こうなっている現状に心当たりは在るかね?」

「無いよ。理由がわかっていたら、こんな状況簡単に打破しているさ。……この僕が理解できない状況にいるなんて、むかつく」

「えっと、君影は心当たりは無いって言ってます」

「なら、ここに来る直前までの記憶はあるかい?」

「それは……」


 そこで君影の声が止まった。

 その様子に独古は不安になりと問いかける。

 君影は己の思考に潜っていたのか独古の声も届いていない様子だったが、何かに思いついたようだった。そういう事かと一言呟くと、苛立たし気に独古に対して舌打ちをする。


「独古、お前本当にやってくれたな」

「え、え、どういう事?」

「……お友達は何か思いついたようだね。まあ、こっちもなんとなく何が起こっているのか見えてきてはいるが」

「ちょ、ちょっと待ってよキャンディータフト。私も状況がよく分かってないから教えて欲しいんだけど」


 エリザベスの困惑の声に、独古も頷いた。

 自分のことながら、現状で何が起こっているのか早く理解がしたかった。

 問い詰める独古とエリザベスを宥めつつ、キャンディータフトはさらに独古に問いかける。


「何かに辿り着いた所で申し訳ないが、もう少し確定材料が欲しい。坊や、君に尋ねたい事がある」

「な、何ですか」

「君影君が死んだ、もしくは、君の前から居なくなった記憶はあるかい?」

「あるはずがないじゃないですか!!」


 独古は即座に否定した。

 あるはずが無い。確かに社会人になって以降、学生時代の頃の様に簡単には会えなくなったが、忙しい日も電話もしていたのだ。その記憶はしっかりと独古の中にある。


「すまない。なら、喧嘩をした記憶はあるかい?」

「それは、さっきも言った通り、ありませんが……」


 それも独古は否定した。

 思い返す限りその記憶も無い。だが、それが一体何の根拠になると言うのか。

 キャンディータフトが重たい溜息を吐く。


「なら、これで最後だ。坊や、君、君影君が居なくなる所を想像できるかい?」

「それは……」


 そう言われて、独古は想像した。この先、何らかの事があって、君影と喧嘩別れした場面を頭の中で想像した。

 夜空を背景に、街の飲み屋で君影に罵られる。そんな光景は簡単に想像できた、でも、そこから分かれる姿がどうしても想像できない。

 君影は己の半身の様な存在だ。苦労があれば、お互いに聞き合い、楽しみも悲しみもこれまで一緒に分け合ってきた、大切な友達だ。

 そんな彼を無くした自分なんて、恐くて想像が出来なかった。


「でき……ないです」

「坊や、そっちのタイプか」


 出来ないと正直に申告をする。

 その瞬間、キャンディータフトと君影、両者から溜息が上がった。

 彼らは理解したようだ。だが、自分の発言を想い直してもなお答えには辿り着けない。自分のことながら事態を理解しきれない事に対し、やきもきする。

 独古は助けを求めるようにエリザベスに視線を向けるが、勿論エリザベスも分かっていないので視線で非難を返される。


「キャンディータフト、もったいぶった言い方していないでさっさと説明しなさいよ。私たちはあんた達みたいに理解が追い付けるほど、頭が良くないよの?」

 キャンディータフトの確信をつかない態度が不満だったのだろう。エリザベスが苛立ちを滲ませる声音でキャンディータフトに続きを促す。

「そう急かさないでくれ。ちゃんと説明するから」


 キャンディータフト新しい飴を口に入れると見解を発言した。


「坊や、現状がトラウマなのね」

「「はあ??」」


 キャンディータフトが言った答えに独古とエリザベス両者共に目が点になる。


「現状が、トラウマ?」


 思ってもいなかった答えに独古は啞然とする。

 頭の中で反芻するが、言葉の真意にたどり着けない。


「まあ、そうなるよね」


 呆ける独古を見て、キャンディータフトは苦笑いする。そうなるのも最もだと言わんげの表情だった。彼は謎を一つずつ紐解くように説明を続けた。


「ドッコ君。ここに来てから死に掛けたりしなかった?」

「しょ、初日からしました。エリザベスさんが助けてくれましたけど……」

「ならその夜、悪夢を見るくらいの不安を覚えなかった?」


 それを聞かれて独古は狼狽えた。

 悪夢は見なかったが、不安にはなった。今朝も現実に戻れていなくて絶望したぐらいには、不安を覚えている。

 だが、その事が今ここに君影が居る事と何の関係があると言うのか。

 声に出なかったその問いに答えたのは、予想外にも君影だった。


「僕はお前の幻だよ。独古」

「え?」

「だ! か! ら! お前が現状に恐怖を感じすぎて、僕の幻覚を生み出したんだろうがヴァーカ!!」

「げ、幻覚??」

「そうだよ。僕はお前の能力で、お前が生んだ幻だ!」


 言われた言葉に思わず狼狽える。


(恐怖から自分が生みだした?)


 見た目も、思考の仕方も、疑う余地が無い程、君影のものであった。自分が無意識に作り出しているのだとしたら、再現性が高すぎる。自分が生み出した等、それこそ信じられない話であった。

 そんな独古の信じられない状況を、キャンディータフトはなおも肯定する。

彼は粛々と、自分の経験に基づいて独古を諭した。


「残念ながら、リアルなのは異能力で生み出しているがゆえだ。真実の館を訪れた客人の中に、似たような能力を持っていた人物がいた。元の世界に実在する恋人をこの世界で見た人物もいれば、DV観がトラウマとして現れた人物もいる」


 キャンディータフトは飴に齧りつきながら独古の現状を指摘する。


「……君のタイプは、ゴールドラッシュに来たことで、極度に依存する人物と離れてしまった人によくあるものだ。不安が極度に高まっているタイプ。現に、彼の事を語っていた最中、彼が居ない現状を認識して彼が現れた。さながら能力名は”イマジナリーフレンド”、とでも呼称すべきかな」

「……そんな事があるの?」

「そんな人が何人もいるのさ、エリザベスちゃん」


 話を聞いても、未だに信じられない。独古が確認を取るように君影を見ると、君影は小さく頷いた。


「……今ここにいる”僕”には、お前と会っていた時以外の記憶が全くない。それは恐らく、お前が僕といない時の僕を知らないからだ。もしも僕がお前の能力で転送されている”本物の僕”ならば、そこら辺の記憶はあるはずだ。なら、無い僕は”偽物の僕”と言うしかない」

「……君影」

「全く、本当に厄介な事をしてくれたな、このヴァカ独古! 寂しがり屋! 友達がいのある最高の親友!」

「ぐしゃぐしゃと頭を撫でないで!」

 君影が独古の髪の毛をぐしゃぐしゃと撫で回す様にかき乱す。


 ちらっと見た君影の頬は赤かった。これは、滅多にお目にかかることの無い本気で照れた時の表情である。滅多にお目にかかる事が無いと言うのも、大概君影はポーカーフェイスが上手いためである。下らない話じゃ起伏豊かに話す癖に、重要な話題になると心の中を悟らせない様な振る舞いをしだす。

 今は重要な話題なのに、前者の彼であった。そのちぐはぐさには、自分の願望が現れている気がする。彼はやはり、本物の君影ではなく、自分の生み出した幻覚なのだと、独古は悟った。

 エリザベスも少しずつ現状が理解できたようで、何よそれ、と呆れた声を上げた。けれど、その声にはどこか安堵の色があった。

 それを聞いた独古は、今更ながら自分が大騒ぎしすぎたことに気づき、照れくさくなった。

 君影の手で頭を下げられているおかげで、赤くなった顔が誰にも見られなくて良かった。


「ま、何にしろ。これで坊やの能力も分かったし一件落着じゃない?」

「まあそうね、こんな能力が出てくるとは思っていなかったけど……」

「それは私もだよ」


 キャンディータフトが新しい飴を取り出しながらだらしない姿で座り直す。

 彼の表情は疲れていた。

 一仕事終えた後の様な仕事人の雰囲気を出している。

 彼は新しい飴に齧りつくと、二人に対してしっしと手を振った。


「これで私の仕事は完了だ。君たちから貰うもんも貰ったし、もう用はない。さっさと帰り給え」

「相変わらず、興味が冷めたら態度があっさり変わるわね」

「そりゃそうだろ。特にならない事に、何故これ以上首を突っ込む必要がある」

 キャンディータフトは気怠そうだった。


 その様子に自分が原因となっているだけあって、独古は居たたまれない気持ちになる。

 俯いたまま頬を書いていれば、君影から俺も帰るか、という声が聞こえ、頭を撫でていた手が離れていく。

 帰る、その言葉に独古は思わず顔を上げる。


「か、帰るって?」

「これ以上、此処にいてもあの男の言う通り、意味ないだろう。必要が無いのにいるなんて無駄しかない。ナンセンスだ」


 君影が首をやれやれと言わんばかりに首を振っている。だが、独古からしたら困惑しかなかった。そもそも、帰ると言ったって何処に帰ると言うのか。

 再度不安になる独古の気配を感じ取ったのか、君影が独古の額にデコピンをする。


「いたっ」

「このヴァカ、ちっとは考えろ。僕はお前の能力で生み出されたんだろう。なら、いったん消えても、お前が僕を必要だと能力を発現させればすぐ会えるじゃないか」

「あ」

「心配するな、お前が必要とすれば、何時でも会える。この僕はそういうお前の願望そのものだ」


 君影が子供でも見るような、慈愛の視線で独古を見る。


「大丈夫だ、独古。だから、またな」


 童話の人魚姫の様に、あたかも其処に居なかったように消えた。 やはり、ここにいた君影は幻覚だったのだ。

 ”イマジナリーフレンド”、君影の幻を生み出す能力。

 己の異能力、否、トラウマを反芻し、独古はきっぱりと言い切る事のできない気持ちの悪さに恐われた。友達に会える事は嬉しい、けれど、君影を都合の良いように利用しているようで罪悪感に苛まれる。


「お友達も帰ったみたいかな」

「はい。……あ、あの!今日はありがとうございました。お陰で友達に会えたというか、能力が分かったというか」

「ぜ~んぜん、まあ、面白かったからこっちとしても良かったよ。君の能力はこの世界では“思考系”と呼ばれている。しかも宿主に協力的な系統の能力とは、珍しいものを引いたもんだ。使いどころは限られているが、状況によっては強力な切り札になる。まあ、商業試験受けるんだろ? せいぜい使い方を考えて、頑張り給え」


 応援する言葉を吐きながら、左手は帰宅を促している。

 早く一人になりたいようだ。余程、疲れたのだろうか。

 エリザベスと独古は互いを見合った。


「……帰りましょうか、ドッコ」

「そうですね、エリザベスさん」


 独古とエリザベスは席から立ちあがった。最後にもう一度キャンディータフトに礼を言い、彼らは光沢のある黒い扉から金鹿亭へと帰って行った。

扉が閉まる。

 館から出れば、外は既に夕暮れ時へと変わっていた。オレンジ色一色に染まっている一本道を、二人は進む。


「ま、これでドッコのトラウマも分かったし、商業試験も何とかなるんじゃないかしら」

「……自分の能力には驚きでしたが、どうにかなるんですかね、これ」


 独古はエリザベスの言葉に苦笑いした。

 能力が分かっても、それが試験で活かせるとは限らない。

 実際、試験内容がどんなものか、独古は知らないのだ。味方が増えるというのは強そうな能力だが、それがどう生きるかは全く別問題だ。

 不安げな独古に比べて、エリザベスはいつものエリザベスだった。


「まあ何とかなるんじゃない?」

「どうしてそう思うんですか」

「だって、なるようにしかならないじゃない。人生って結構そのようなもんよ。それにあんたの能力って、友達を呼び出せる能力なんでしょう? どんなピンチでも、頼りになる友達がいるなんて、それだけで何でも乗り越えられるもんだわ」


 その瞳が独古を射抜く。


「きっと、大丈夫よ」


 なるようにしかならない、その言葉は、不思議とすんなり受け止められた。大丈夫の響きが、親友の響きと似ていたためだろうか。


「……そうですね」


 未来など、どうなるかは誰にもわからない。自分たちにできるのは、少しでも良い未来が訪れる事を祈って、今を積み重ねる事だけだ。

 なるようにしかならない。その通りであった。

 言葉を胸に受け止め、独古は前を向きなおした。

 小さな一本道に、来た時と同じく、二人分の影法師が伸びている。

 行きと違うのは、その片方に不安の色が無くなったことだろう。

 そうして、二人は金鹿亭へと帰って行った。







*******************






 暗い応接室に飴をかみ砕く音が響いている。

 二人を見送った後、キャンディータフトは改めて今日来た客の事を思い返していた。


「……現状に対しての恐怖?そんなわけないだろう」


 あの時の自分はうまく取り繕えていただろうか。

 キャンディータフトはドッコに対して説明をした時の自分を思い返し、苛立たしそうに飴を嚙み締めた。


「正直、あのタイプは久々だから焦った。なんで、あの幻覚君が話を合わせてくれたかは分からないが正直助かったな。私、一人じゃあ、矛盾を突かれて謝ってトラウマを掘り返してたかもしれない。……いや、あの坊や、無意識に分かっていたんだろうな、だから、幻想の彼に自分の意に反しない言動を取らせた」


 精神科の医者としての現役時代、ドッコの様なタイプの人間をキャンディータフトは数回だけだが相手をした事があった。患者の多くが自覚症状が無く、その親族によって精神科に連れてこられている。


「まったく、診療自覚が無いタイプ程、恐い物はない」


 苛立ちで飴を嚙み砕く。


「心理的要因から来る健忘症とか、地雷持ちの中でも最も厄持ちな奴じゃないか」


 キャンディータフトは溜息を吐いた。

 彼は確信していた。あの坊や、彼奴は自分で自分の記憶から何か大切なことを忘れ去っていると。


「爆弾には触れない事に越した事は無い。くわばらくわばら」


 彼は今日来た彼らの行く末を祈り、十字架を切った。

 とは言え、ゴールドラッシュに神など存在しない事を良く知っている彼からすればその行為自体意味のない事なのだが。

 後悔と欲望が渦巻くこの夢の世界で彼らがどのような道を進むのか。キャンディータフトには知る余地も無い。

 ストレスの吐き口とばかりに新しい飴を取り出し、彼はまた嚙みついた


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