第16話 キャンディータフト(2022/01/26 改稿)


 真っ黒な空間に廊下が伸びていた。

 薔薇が描かれた赤い絨毯がどこまでも伸びており、その両横に続く壁には、一定の間隔でステンドグラスのはめ込まれた扉が付いている。

 ランプなどの照明器具は無く、光源は玄関口から差し込む日光と各扉のステンドグラスから漏れ出る光しかない。

 神聖さを漂わせる廊下を独古は観察する。


「何だか教会みたいですね」

「まあね、あいつ葬祭用品の販売をする傍ら、墓地の管理もしてるからあながち間違いではないかしら」

「え、墓地ですか」

「その扉の先の幾つかは共同墓地よ」

「え」


 ただの葬祭用品店ではないというのか。

 思わず独古は横の扉を見た。だが、そこにあるのはイカリソウを描いたステンドグラスだけだ。

 この美しい扉の先に死体があるなんて。思わず思考が固まる。

 エリザベスはどこ吹く風と言わんばかりに部屋の向こう側の景色には何の興味も抱いていないようであった。

 その不安の無さは通い慣れた故の恐怖の薄れから来るものなのか、それとも死者や棺と言ったホラー要素に対して耐性が強いのか。


(後者だったら、エリザベスさんって凄いな)


 ホラー要素に対して耐性の弱い独古は心の中で思った。


「教会も真っ青な心霊スポットですね」

「何ビビッてるのよ。怖い物なんてありゃしないわよ。ドッコって本当に肝っ玉が小さいわね」

「いや、そこに死体ありますよって言われたらビビりますでしょう」

「ゴールドラッシュは何でもありの夢の世界。棺があるぐらいでビビってたらこの先生きてけないわよ。もっと心臓に毛を生やしなさいよ」


 いや、毛を生やさないといけないぐらい恐ろしい事があるんかい。ああ、そういえば、殺人が日常茶飯事な世界だった。


(僕、生きていけるかなあ……)


 これからの生活と、遭遇するであろう出来事に数々、いろいろな意味でこれからの未来を想い、独古は大きなため息をついた。


 そんなこんなで入り口から三十メートルほど歩いた先に、その扉はあった。

 それはこれまでのどの扉より重厚感のある黒い扉であった。

 意匠の凝った扉だ。

 扉にはブドウの木を模した金のアイアンワークがはめ込まれており、上から下へ蔦やブドウの房が垂れ下がる様な模様が描かれている。

 価値は分からないが、その細工が高価なものであろう事は予想できた。


「キャンディータフト、入るわよ」


 エリザベスがドアを開ける。

 木の扉特有の軋む音が鳴り響く。

 入った先は、外以上の闇に包まれた応接室の様な部屋だった。

 扉から入って正面に木製のソファが相対する様に置かれており、その奥に設置されたヴィンテージ物の飴色の木製のデスクが置かれている。

 部屋に在る照明器具はそのデスク上に在る大きなランタンしかなく、ガラスの中の炎が乱雑に束ねられた書類の陰影を壁へと引き延ばしている。

 ここまでならただの応接室だった。

 だが、その普通さを上書きする要素が部屋中に散りばめられている。


 それは、壁に飾られた標本であった、


 魚の魚拓、蝶、羽、化石、はたまた人間の右手の骨。

 モノクロ調の壁紙の上に、様々な額縁が飾られている。

 昆虫は針を突き刺され、化石は何時かの動いていた姿を模した状態でワイヤーで固定されている。

 そこに明るい匂いは無く、ただ人の都合で留められた偽りの生の匂いが広がっている。

 死の静寂が満ち満ちた部屋だった。

 独古はおどろおどろしい雰囲気に思わず尻込みしてしまい、咄嗟に隣にいるであろうエリザベスに近づいた。

 一歩分詰めて、背中に何かが当たった。

 肩ではなく背中?

 動いて当たる位置が違わないだろうか。

 頭によぎった嫌な予感を肯定するように、首元に生暖かい風が吹きかかった。


「私に、何か御用かな?」

 

 耳に息がかかる距離で囁かれ、独古は悲鳴を上げてエリザベスへ飛びついた。


「うわあああ!?」

「ドッコ、何するのよ!?」

「だって、だって! だって! だって!」

「あひゃっひゃっひゃ!」


 後ろの人物はエリザベスと独古のやり取りがつぼに嵌ったのだろうか。痛快極まりないとばかりに大笑いしている。

 冷静さを取り戻した独古は、そこで自分を驚かした相手を改めて見た。

 長身の男性だ。

 聖職者を思わせる、鷲のデザインの金属ボタンが誂えられた紺色のロングコートに黒のロングブーツ。

 焦げ茶色のワークキャップの下には、目元まで覆いつくす牡丹色の前髪が垂れている。


 その隙間から、墨色の瞳が覗いていた。

 まるで真夜中の路地奥の闇の様な瞳。

 見つめていると、深淵を覗き込んでいるような心地になってきて、独古は思わず慄いた。

 そんな独古を見るエリザベスの視線は少し冷たい。どんだけ肝っ玉が小さいのよ。と言わんばかりの目だ。

 男は二人のやり取りが面白いのか、さらに上機嫌になる。

 弾んだような高い笑いが響き渡った。


「ひゃっひゃひゃ、ひゃっひゃひゃ」

「何笑ってんのよキャンディータフト。アンタのせいでドッコがビビりまくってるじゃない」

「いやはや、笑った笑った。ああ~、君、最高に驚かしがいがあるねえ。こんなに笑ったのは久々だよ」


 ウケる、と言いながら彼は独古から離れる。彼は執務用デスクの前の革製の椅子に近づき、勝手知ったる様子で身を沈ませた。椅子が軋む音が響く。彼は組んだ両手の上に顎を置くと、二人に歓迎の意思を示した。


「いらっしゃ~い。改めまして、僕が真実の館の店主こと、キャンディータフトだよ。葬祭に関することなら何でも言っておくれ。君の望む最高の式場を用意してあげよう。勿論、お金はふんだくるけどね」


 そう言い、彼は白い歯を覗かせ、信愛の笑みを向けた。


(この人がキャンディータフトさん)


 求めていた人物は想像していた様なおどろおどろしくは無かったものの、予想通りの奇特な人物であった。

 独古は思わず唾を飲む。

 エリザベスは腰に手を当て、今なお笑う知人に対してその青い瞳を呆れさせて彼を見た。


「久しぶりキャンディータフト」

「ひっひっひ、お久しぶりだねえ、エリザベスちゃん。ママからのお使い依頼かな。三回目ともなると迷わずに来れたみたいだね」

「いつまでそのネタを引っ張るのよ。それにしても相も変わらず閑散としたお店ね」

「繁盛していなくていいのさ。うちの仕事は儲けの為じゃない。君が目指す、慈善事業だからねえ。公共、いや、死者の利益こそ、我が利益。花向けで死者が報われるならそれが何よりなのさ」

「そう言う割にトラウマ特定代でがっぽり儲けている癖に」

「あれはあれ、それはそれ。トラウマを教えてあげるのは葬儀屋の仕事とは別物、僕個人の趣味の範疇だからね」


 キャンディータフトは自信の爪を齧りながら楽しそうに口角を挙げる。


「金も欲も潤沢でないと福祉などやってられない。真の意味での奉仕事業などこの世には無い。誰かが取る全ての行動の裏には必ずエゴがあるものなのさ。それは君も同じさ、エリザベスちゃん。人助けをしようとするのであれば今の考えのままでは何処かで行き詰るよ。何時までも、誰かに助けて貰えるとは思わない事だ。覚えておくといい。慈善事業を行う先輩からの、ありがたいアドバイスだ」

「……」


 エリザベスは何か言いたげであったが、ぐっと唇を噛み、結局何も言わなかった。しかし醸し出す空気はいつになく険悪だ。

 二人の間に何があるというのだろう。

 場の雰囲気を和ませた方が良いかとも考えたが、ここで自分が入った所で何にもならないという考えに行き着いた。取り敢えず、場を静観する。

 二人はそのまま見つめ合っていたが、キャンディータフトの方が折れたようだった。

「君も頑固だね」、と一言だけ苦言を零し、彼は視線を独古へと切り替える。


「さてさて、此処に来た目的は、坊やのトラウマを知る為だったね」


 ランプの炎に照らされたキャンディータフトの顔には悪どい笑みが浮かんでいる。


「改めて、葬祭用品店”真実の館”店主のキャンディータフトだ。エリザベスがドッコと呼んでいたが、本名は?」

「な、夏越独古と言います。今日はよろしくお願いします」

「ひっひっひ、エリザベスちゃんと違って常識がありそうだね。ゴールドラッシュじゃ貴重な、根の優しそうな子だ」

「誰が常識が無いって?」

「ひっひっひ、怖い、怖い。ともかく、良識的な態度の客は大歓迎だ。今日はよろしく頼む」


 デスク越しに長い手が伸ばされる。

 それが握手の意味を含んでいると気づき、慌てて独古はデスクへと近づきその手を取った。

 体格に見合う長い指の揃った手だった。

 差し出された右手を握れば、節くれだった感触がした。独古は、専業主婦であった母の手の様な、よく手を水にさらす人間の手だと思った。

 いい子だ、とキャンディータフトが微笑む。


「さてさて、自己紹介も終わった事だし本題に移る・・・前に。エリザベスちゃん、お代は何処だい?」

「お代?お金の事ですか?」

「違うわよドッコ、飴の事よ。その麻袋をそいつに渡して」


 ほら早くと、エリザベスが白い手を振る。

 抱えていた麻袋を書類と書類の合間を縫うようにそっと飴色のデスクの上に置けば、キャンディータフトが麻袋へ飛びついた。

その勢いのよさに独古は思わず片足分引き下がった。

 キャンディータフトは一本取り出し口に含めると、美味しそうに両頬に手を当て身体をくねらせる。


「うんまい~! これ、これ! サンガーデン特産の鐘棒キャンディー! いやあ、ビンカは良い仕入れ先を持ってる。これこの地区じゃあ滅多に手に入らないから、君たちが来た時だけが最高の楽しみなんだよ」


 キャンディータフトは喜色満面の笑みで頬を麻袋に擦り付けている。

 その様子を見て独古は少し顔を引きつらせた。そんなに美味しかったのか、これ。

 キャンディータフトは一本食べ終わると、極上の時間だったと言わんばかりに恍惚の溜息を一つ吐く。

 ほう、と満足気に呟くと、彼は両手を組み腕を上にあげて、一度腕を伸ばし、気持ちを切り替えたようにエリザベスと独古に向き合った。


「さ~て、お題もいただいたし、ボチボチ始めるかねえ」


 独古は彼の言う”始める”が、自分のトラウマについての事だと理解した。

 エリザベス達は彼は貴重なトラウマを発見する能力者だと言っていた。

 だが、一体どんな方法を取れば、他人の能力、もとい、トラウマを教える事ができるというのだろう。


「立ったままでもなんだから座り給え」


 キャンディータフトが言う。

 エリザベスと独古は来客用のソファに腰かけた。

 キャンディータフトは乱雑に積み重ねられた書類の中から器用にバインダーを取り出すと、胸元のポケットから万年筆を取り出した。


「では、問診を始めようか」

「問診、ですか?」


 予想外の言葉に独古は戸惑い、聞き返す。

 キャンディータフトは頷いた。


「問診こそが、私の能力。私は、対象者と対話をし、対象者の心の奥底で蜷局を巻いている心の傷を深堀する。対象者のトラウマとなっている記憶を引きずり出し、そこから強制的に能力を発露させることが出来る」


 キャップの頭頂部分を顎に当てながら彼はそう言う。


「能力名を”誰が為の心療審問”と言う」


彼はそう言い放ち、不適に笑った。

 この世界の能力はトラウマからできていると聞いていたから、独古は勝手に、火傷や交通事故といった、わかりやすく痛みを伴うものばかりを想像していた。

 問診が後悔の種なんて、一体全体どんな過去を経験すればトラウマになると言うのか。

 そんな独古の疑問を感じ取ったのか、キャンディータフトが口角を挙げながら独古に問いかける。


「あ。もしかして私の過去気になっちゃう?気になっちゃう?」

「いえ! そういうわけでは!」


独古は慌ててキャンディータフトを否定した。

 トラウマになるほどの出来事なんて、人に明かしたくないもののはずだ。今ここで彼の地雷を踏んでしまい、自分の異能力を調べられなかったという事態に陥ったら目も当てられない。


「いいよ、教えてあげる」

「いや、いいんかい」


 秒で帰ってきたあっさりした言葉に思わずツッコム。心の中で一番の傷として残っている記憶という前提はどうした。

 独古のツッコミにまたツボが刺激されたのか、キャンディータフトは大笑いした。


「本当に君、面白い子だね」


 目元の涙を拭うと、彼は過去を語り出した。


「私は昔は心療内科に勤めていた医者でねえ。昔はちょっとした、大きな病院に勤めていたのさ。大学時代は心理内科の学科で主席クラスでねえ、医療仲間からは期待のホープなんて呼ばれていたものさ」


 キャンディータフトが標本を見ながら、しかし、視線は懐古へと飛ばしながら語る。


「大学時代は自分の知識で人を救うんだと意気込んでいた。けれど、現場に行けば、実際に待ち受けていた光景は自分の想像していた様な場所じゃあ無かった」

「違ったって……」

「生易しい場所じゃあ無かったのは確かだよ……地獄を抱えた人が居た。誰にも解決できない悩みを持った人が居た。ただ、話を聞いて欲しいだけの人が居た。助けてと言う癖に変わらない人が居た。抱えている問題は人それぞれだが、共通して言えるのは、学校で習った教本の内容なんかじゃ誰一人助けられないという事だった」


 あれだけ高い授業料を払っておいて皮肉だよね。キャンディータフトが小さく鼻で笑う。


「私に求められていたのは、彼らが求める状況改善の答えを与えるスキルだった。ただ話を聞いて安らぎたい人ばかりじゃない。家庭内暴力、縁を切れない問題から抜け出したい、そう言った表面上の話だけ見えてこない部分を、深堀して聞き出す必要があった。皆救いを求めていた。私は考えて行動したよ。私は医者だから、彼らを救いたかった」


 難しかったけどね、と彼は顔を伏せながら呟く。

 その表情は先ほどまでと違い、憂いに満ちていた。

 人の心の傷と向き合うなんて、苦しい事が多かった筈だ。ましてや、トラウマとして心の中に残ってしまう程の経験があったとするのであれば尚更だ。

 何を考えているかわからない印象の強い人物であったが、彼にも人らしい苦悩があり、悲しい過去があった。

 独古は膝の上で手を握りしめる。彼の上辺だけを見ていた自分が恥ずかしかった。


「患者さんたちの辛い記憶ばかり聞いているうちに、ご自身も追い詰められてしまったんですね……それがトラウマに……」


 独古がしんみりと言うと、キャンディータフトは首を傾げた。


「いや、違うよ? 患者の後悔を暴きまくっていたら、さらに輪をかけて病む人が多くなってしまって、それが私の医者としての後悔、トラウマになっちゃったのさ」

「感動モノの話が来ると思ったら、とんだ藪医者話じゃないですか!」


 独古は再び切れ良く突っ込んだ。そんなトラウマは、自業自得と表現出来るのではないか、と顔を引きつらせる独古とは対比的に、キャンディータフトは愉快極まりないと笑い転げている。

 笑う彼の姿が目に映り、思わず同情を返してくれと言いたくなる。

 そんな哀傷の表情を見せる己の表情を見て、エリザベスが溜息を吐いた。


「だからいったじゃないドッコ、この人はトラウマ暴露装置だって。同情とか情けなんて感じない方が良いわよ。この人、基本、愉快犯だから」

「エリザベスちゃん、素直だけど、人が悪いのそういう所~」


 彼はさながら、どっきりを仕掛けて成功した時の仕掛け人の様な雰囲気を纏って楽し気に笑っている。

 ここまでくると、独古もつられて引きつった笑いを浮かべるしかなかった。


(だけど)


 キャンディータフトの後悔は本物だとも思えた。「救いたかった」と言った時の彼の声音は真剣だった。冗談と笑い飛ばせない無い、本心の部分もあるはずだ。

 真意を問いただしたい気持ちはある。しかし、言わないでほしいから、有耶無耶にしたのだろう事は察する事はできる。聞くのは野暮であった、独古は浮かんだ質問を頭の中から消した。


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