第13話 ウエストダンプ露店団地
建物の合間に、快晴の空が覗いている。路地裏に面したベランダで洗濯物が干されている。それらがそよ風にはためく様子は、カラフルな国旗がたなびいている様にも見えた。
陽気な景色を背景に、独古はエリザベスの背後を歩く。
一歩前を進むエリザベスは独古の方を見向きもせずどんどんと進んでいく。独古はというと、重たい麻袋を抱えている事もあり、いつもより歩みが遅い。日が射している場所を進むとすぐ汗が頬を伝う。
(すこしは手伝ってくれればいいのに……)
独古は乱れた息の合間から、エリザベスを呼ぼうとした。
けれども、こちらを見向きもしないエリザベスの、鼻歌を歌いそうな雰囲気に気付いて、口を噤んだ。エリザベスのいかにも楽し気で、あまりにも鷹揚とした態度を目の当たりにすると、自分でも不思議なほど、怒りや不満が消えてしまう。小さな事を気にしてる自分が、馬鹿馬鹿しく感じる。
生きる事を楽しんでいる。エリザベスのその姿が眩しくて、羨ましくて、そして、いつまでもそうであって欲しいと願ってしまう。
独古は気合を入れ直し、麻生袋を抱えなおすと、晴天の空の下、彼女を追いかけた。
目指すはスクラップホールの中心地だ。
何故、二人がスクラップホールの中心地に向かっているのか。
話は一時間前に遡る。
****************************
「そうさ、エリザベス。ドッコを試験に連れていくのなら、あんた、先にこの子にトラウマを見つけてあげないと」
選別試験に行く事が決まった時、ママが、エリザベスに提案した。
だが、話題の人物であるはずの独古はその意味が分からない。話の中で出てきた、他の三人の間では通じている単語に首を傾げた。
「ああ~、その通りねママ、ドッコのために見つけないとね。……でもそうしてあげたい気持ちと裏腹にキャンディータフトの所にわざわざ行かないといけないのが、ちょっと愉快じゃない気持ちもあったりしたりなんかその……」
「わざわざそんな事しなくてもこいつ一人で行かせればいいじゃねえか。一人でお使いが出来ない年じゃあるまいし、だろ、エリザベスちゃん」
「いや! 誘ったのは私よ! ならば、ドッコを育てる責任は私にあるわ! 人間、誰しも母親や先輩になれば腹を括らないと行けない時が来るわ。それが、今よ!」
「いや、それは行き過ぎてる気がするぜ、エリザベスちゃん」
「あの、すみません。何だか一人蚊帳の外と言いますか、話の中心人物なのに何が何だか分からない状況にあるのですが・・・」
あーだこーだと話している三人に対し、独古はそろりと手を挙げ主張する。
話の前提が見えていない独古に、ママは額に手を当てた。
「そう言えば説明がまだだったね」
「ざ、話が終わるまでに、俺は”土産”の準備をしとくよ、ママ」
ビンカはそう言って、キッチンへと下がっていった。
トラウマに土産、さらに疑問が深まり、独古はママを見やった。
なんて言ったらいいかしらねえ、と呟き、しはらく考えてからママが答えた。
「ほら、昨日異能力の事を説明しただろう?」
「あれですか? エリザベスさんの治癒能力の事と、ママさんの気絶の能力の事」
「え、ママ、ドッコに能力の事話しちゃったわけ」
エリザベスは今までになくショックを受けた顔つきになった。どうして、その様な表情をするのか。
ママは慌ててエリザベスへ手を振った。
「あんたの能力の詳細までは話してないさ。ゴールドラッシュには人々に異能力を与える力があるという事までさ」
「な~んだ、そこまでか」
彼女はほっと一息ついた。
そこまで知られたくない何かがあるのだろうか。多少、気になりはしたが、まずは今目の目にある疑問から一つずつ解決していかないといけない。
独古はママにトラウマの解説の続きを促した。
「ゴールドラッシュで各人が持つ異能力は、必ず、その人物の心の奥底にある”トラウマ”から形成される。それがゴールドラッシュでの常識で、理屈さ」
「心の奥底の、トラウマ? ……心の傷のことですか?」
「そう。心的外傷。後悔、悔恨、そう言った意味合いのトラウマから能力は出来上がるのさ」
見ていな、そう言って、ママが右手をぐっと握ればその腕が見る見るうちに肥大化した。それは昨夜ママが見せてくれた能力であった。
「この能力は昔旦那から受けた暴行から出来ている。現実にいた頃は、毎夜、旦那の右手で気絶するまで殴られたものさ。あの人はその躾こそ愛だと言っていたが、あれは愛じゃない。その忘れられない傷が、この能力の核になっている」
拳を解けばそれと同時に腕のサイズも元に戻っていく。
独古はしばらく唖然としていたが、やがて小さく呟く。
「そんなの悪夢だ……」
思わず漏れた素直な感想に、ママが深く頷く。
「全くその通りさ、忘れたい記憶を掘り起こして忘れさせてくれないなんて、忌々しい限りだよ。夢だっていうのに、忘れたフリもさせてくれないなんて」
腹立たし気に眉を顰めるママにエリザベスも同調して頷いている。
独古は己の掌を見つめた。最も深い後悔から能力が形成されるのだとしたら、己の能力は一体何なのだろうと。
そんな独古を尻目にママは解説を続ける。
「形成される異能力はその人が抱える最も心の傷として残っている記憶から形成される。けれど、同じ様な理由のトラウマ持ちだとしても、必ずしも同一の能力が生まれるわけではない」
「んん? どういう事ですか?」
「例えば、火事を経験した事を最も辛い経験として抱えている人物が居るとする。だが、同じ”火事”という苦痛な記憶を持っていても、その経験を持っている人物全員が必ずしも”火”の能力を持つわけでは無い。”建物を倒壊させる能力”を持っているものもいれば、”火傷を相手に施させる”人物もいる。その人の人生に強い衝撃をもたらした瞬間が何であったかによって、異能力も変わるのさ」
「え、じゃあ、能力というか、後悔の自覚が無い人って能力が分からないままになるんじゃないですか?」
「だから、これからドッコの能力を調べに行くのさ」
独古の質問を待っていたとばかりに、ママは口角を上げて答える。
「ドッコ、だからあんたは今からエリザベスとキャンディータフトの所に行ってくるのさ」
****************************
かくして、二人はスクラップホールの中心地に向かうことになったのだ。そこに居るキャンディータフトという人物を訪ね、独古のトラウマを知るために。
キャンディータフトはゴールドラッシュ内でも珍しい、能力を調べる事の出来る男性だそうだ。
エリザベスは彼の事をトラウマ暴露装置と言っていた。
どっこいせ、と袋を抱えなおす。
持っている麻袋は出掛け間際にビンカから預かったものだ。中に入っているのは大量のロリポップキャンディーである。何でもこれがあればキャンディータフトは力を貸してくれるとの事だった。
しかし、大量のロリポップキャンディーで能力を調べてくれる人物とは一体どんな人物なのか。
朝から疑問ばかりが浮かぶ一日である。
ふと雑踏の音が耳に入った。
最初は小さかった音は少しずつ大きくなっていく。路地が終わりに差し掛かり、目の前に開けた光景が見え始める。
前を歩いていたエリザベスが此処に来て独古の方を振り向いた。
「さて、お待ちかねの場所に着いたわよ、ドッコ」
両手を広げ、お先へどうぞと路地の先を射しながらエリザベスがにんまりと含み笑いを浮かべる。
「ようこそ、挑戦と情熱の街、スクラップホールへ」
促されるままに路地から抜けて、その先の光景に目を見開いた。
視線が続く限り立ち並ぶ巨大な廃墟の様な古びたマンション群。首を挙げれば上空五十メートル程まであるビルの底は見えず、視線を下げればマンションの底が奈落と一体化している様な景色が見えた。
だが、独古が驚いたのはそこじゃない。そんな建物のイメージからは想像もできなかった、多くの人々の営みに独古は驚いていた。
マンションからは至るところから看板が突き出ている。一室一室が、小さな店舗として利用されているのがわかる。あわせて幾千もの店が、目に見える限りに立ち並んでいるのだ。
マンション群の間には店と店を行き来できる様に小さな橋が幾千にも掛けられており、ある種迷路の様にも見える。店からは人を呼ぶ掛け声が聞こえ、運送業者らしき人が大量の荷物を抱えてどいたどいた、と叫びながら橋から橋へ飛び移っている。
まるでSFの世界から飛び出してきたような、あらゆる文化が入り混ざった商業街がそこに広がっていた。
異様な、それでいて目から離せない光景に啞然とする独古に、エリザベスは期待通りだと言わんばかりにしてやったりといった表情だ。
「目を奪われるでしょう? 私も来た時は興奮が止まらなかったもの」
「これ、どうやって建てられてるんですか?地底が見えないんですけど」
「分かんないわ。噂じゃあ、スクラップホールのオーナーのメンバーに、でたらめな建築が出来る人物がいて、その人が作ったとか言われているけどね」
エリザベスは日の当たる橋へと進み出た。コートをはためかせながら独古を振り返り、恭し気に右腕を広げて独古を歓迎する。
「改めて、スクラップホールへようこそドッコ。ここはスクラップホールの中心市街地、ウエストダンプ露店団地。駆け出し商売人と職人の熱意が入り交じるゴールドラッシュ一のガラクタ市場よ!」
落っこちないように気を付けて頂戴、と言い加えて、エリザベスは先に立って歩き出す。独古は追いつこうと一瞬小走りになったが、柵の無いレンガの橋の上にいることを思い出して、慎重に歩きはじめた。
「スクラップホールはオーナーの意向で、届け出さえすればエリア内でのみどんな商売でも許されているわ。このウエストダンプ露店団地は商業権を持った商売人の店が集まってできた巨大市場なのよ。小さな金鹿亭で飲んでいた連中も大概は此処の小さな工房で働いているわ」
「でも、お店あり過ぎじゃあないですか。看板の出ている所って全部お店なんですよね」
「噂じゃあ、去年の出店数は三千を超えたらしいわよ。まあ、ダブりも多いけどここに来ればなんでもあるわ。食料品だったり、電気機器を打ってたり、ガラクタを専門としている店もある。小さな部品から、誰かが捨てるゴミまでありとあらゆるものが売られているわよ?」
ほえ~と独古は上を見上げる。
絨毯を店頭に置いている店や、大量の人形が壁に飾られている店が見えた。色々在り過ぎて、色鮮やか過ぎる街だ。
「夜になればネオンライトでもっと色鮮やかになるわよ」
独古は異国を旅しているような心持であった。知らない光景に興奮が冷めやまず、目が奪われてしょうがない。
前を行くエリザベスは知った道と言わんばかりに人が行きかう橋をどんどんと進んでいいってしまうから、本当ははぐれないよう彼女から目を離さないようにしなければ行けないのだが、そうは思いつつも周囲の光景に気を取られてしょうがなかった。
狭い橋に差し掛かった際、すれ違った男性と独古の肩がぶつかた。そのはずみで、腕に抱えていた麻袋からロリポップキャンディーが零れ落ちる。
「わわわ!!」
「あ、すまねえ、兄ちゃん」
慌てて独古はしゃがみ込み、橋に散らばったキャンディーをかき集めた。ぶつかった男性も申し訳ないと拾ってくれるのを手伝ってくれる。そのおかげもありキャンディーの回収はほどなくして完了した。
互いに謝罪をしあいながら独古はエリザベスに着いて行くために前を向き直した。
「え」
けれど、振り返った所にエリザベスはいない。
雑踏の中で独古は啞然とした。
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