第8話 夢の証拠(2022/01/26 改稿)

 

 独古は瞳を瞬かせた。

 ビンカの夢を見ているという発言に、何を言い出すのだと、独古は笑いそうになる。

 けれど、彼の眼は真剣だった。「まあ話を聞け」と彼が諫める。茶色の瞳が冗談ではないと独古を貫いていた。


「エリザベスちゃんは割と最近で三か月前。ビザンツやママは二年前にはもうこの世界に来ていた。ほかの奴らはまちまち。ここに来て、帰れなくなって、それで、みんな商売やら、自由な生き方を始めた」

「帰れないって、どういう事ですか」

「言葉の通りさ、俺たちは…。いや、ゴールドラッシュにいる全員、この夢の世界から抜け出せずにいるのさ」


 要領を得ない話が信じられなくて、思わず笑いが出る。


「何を言っているんですが。帰れないなんて、あり得ないでしょう?だって、ビンカさんが夢だって言ったんですよ?夢なら、醒めないと可笑しいじゃないですか」

「醒めない夢こそが、このゴールドラッシュなんだよ」


 先に、証拠を示した方がいいか彼はそう呟くと、ホールの方で談話をしていたママを呼んだ。

 証拠とはいったい何のことだ。

 与えられた情報を飲み込めず困惑をしている内にママがこちらへやって来た。


「なんだいビンカ」

「ママ、こいつを殴ってやってくれ」

「はあ?」


 話のつながりが見えないお願いに思わず文句が飛び出る。だが、ママは彼の一言で彼の言いたい事を把握したらしい。

 ママは「今?」と言わんばかりに眉を片方上げて訝し気にビンカを見た。


「今だろう、ママ。正直こればかりは経験して身をもって飲み込むしかない」

「まあ、そうなんだけどねえ」


 独古を横目に見たママは、唸るような少し悩み、ビンカに提案に納得したようで、それもそうかと頷いた。

 独古だけが今の状況に置き去りになったまま、展開は進んでゆく。

 説明をしてくださいと言うが、ビンカは経験した後の方がこの後の話がスムーズに行くと謎な事を言い独古を相手にしようとしない。

 助けを乞う様にママの方を向いて、独古は其処で思わず口を噤んだ。

 決意の宿った瞳に射抜かれたからだ。


「いいかい、ドッコ。ゴールドラッシュは、何処まで行っても夢の世界なのさ。夢であるが故に、現実には起こり得ない現象が起こる」


 そう言った瞬間だった。独古は目の前の出来事に目を見開いた。

 カウンター越しのママが左腕の袖を捲る。すると、現れた上腕が見る見るうちに肥大化していくではないか。いや、違う、ただ肥大化しているのではない。左腕の上腕の筋肉が恐るべき速さで膨張しているのだ。


「この世界には、“トラウマ”と呼ばれる異能力が存在する。さっきあんたの傷が軽くなったのは、リザが能力であんたの傷を軽くしたから。そう、この世界では夢みたいな話がまかり通るんだよ」


 ママが拳を握る。


「私の特徴は能力の使用に伴い、左腕の筋力膨張する事、だが、見た目に反して威力は無い。むしろ皆無だ。私がこの状態で誰かを殴っても相手にはダメージも傷もつける事が出来ない。だが、変わりに、この左腕で殴った相手は必ず一定時間、必ず気絶する事になる」


 彼女は巨大な左腕を独古の前で構える。異常な事態に着いて行けない独古は、頭が真っ白でその場から動く事ができなかった。


「夢から醒める事ができる事ができないという証明を手っ取り早くあんたに教え込むよ」


 そうして、ゴリラの腕の様に太くなったそれが、弾丸の様に独古の頭を殴った。


「トラウマ“ギガントラッシュ”」


 衝撃が走る。

 その次の瞬間、独古の意識が刈り取られる。そこには、何かを考える瞬間も無かった。独古は彼女に殴られて、成すすべもなく意識の闇へと落ちていった。


***************


「ドッコ~、夜も更けてきたわよ~。そろそろ起きろ~」

「はっ!?」


 肩を揺さぶられた感覚で意識が戻る。

 独古を揺さぶっていたのはエリザベスであった。彼女は酔いと眠気が合わさった状態だと言わんばかりに、頭で船を漕ぎつつも独古を起こしているという器用な行動をしている。

 独古は呆けて、今までの状況を思い出そうとして、ママに殴られた事を思い出した。自分は一体どうなったのだ、ハッとしてあたりを見渡した。

気絶をしてから、だいぶ時間が立ったのか先ほどまでの喧騒はいつの間にかなくなっていた。其処らかしらに、机や床に眠る者がいる。

 独古は殴られた頬に触れた。そこには腫れもなければ、痛みも無い。ママが言った通り、独古には一切の傷が付けられていない。

 そのまま呆けていれば、独古の頬に冷たい何かが当たった。


「おらよ、水だ。ありがたく飲め」


 それは水入りのコップだった。独古はビンカから水を受け取る。


「ビンカ~、お酒~」

「ああ~ん!エリザベスちゃん!可愛いおねだりに従いたいところだが、今日はもうお開きだ。このお湯で我慢してくれな」

「お酒だ~!」


 ビンカがメロメロにな表情でエリザベスにお湯を差し出す。エリザベスは相当酔っぱらっているのか、それをお酒と信じて飲み干さんとしていた。

 頭の冴えるような冷たい水だった。一口飲んで落ち着いた事で思考が回り出した。

 自分は殴られて、そうして、意識を失った。

 何時もであれば、悪夢をみれば跳ね起きる。息が上がる中、夢見の悪さに悪態を着いて、その裏で現実に戻れた事に安心している。ここが夢の中だと言うのであれば、起きているのがいつも通りだ。

 だが、目が覚めた場所は金鹿亭だ。間違っても己の自室ではない。


「ドッコ、起きたのかい?」


 独古が困惑していれば、ママが奥からカウンターへと出てきた。


「すまなかったねえ、痛みは無いとは言え。殴られるなんていい気持ちじゃあないだろう。驚かせてしまってすまないねえ」


 彼女はビンカの隣に並び立つと、カウンター越しにそっと独古の殴られた箇所を撫でる。そこにいたのは出迎えてくれた時のあの優しげなママだった。隣のビンカに視線を向ければ、彼はまるで世話がやけると言わんばかりに肩をすくめた。

恐らく独古が気絶してから、落ちつくまで今の状態で待っていてくれたのだろう。

 独古は無言でビンカに視線で続きを促した。

 聞かないとならない。己は知らないといけない。己の身に何が起こっているのかを


「事の始まりは五年前だ」


 ビンカが話し出したのはこの世界についてであった。


「始まりと言っても、俺たちもゴールドラッシュから来た先駆者達からこの話を聞いたから何処までを真相として良いのかは分からん。だが、各自で持ち寄った事実を元にしているから九割方はこの世界の事実として受け止めていいと考えている。俺たちはある日、眠りに着き、そして、このゴールドラッシュの街へ辿り着いた。夢だと断言出来るのは、後からやって来た奴が先駆者の中の何名かが現実世界で寝たきりになり問題になっていると話したからだ。ゴールドラッシュにいる奴らの中には著名人が何人か居る。だから、持ち寄った情報でつじつま合わせが出来たんだ。俺たちは夢の世界の中から目覚められずにいると」


 信じられない話だ。だが、その話を冗談と流すには流せない情報を独古は持っている。

 ある日突然寝たきりになった人々。投薬治療をしても一向に目覚めることの無い患者たち。現実の世界で起きていた奇妙な患者たちのニュースを独古は知っている。

ピースが嵌る音がした。


「じゃあ、僕は、此処から出られる事が出来ないんですか…?笑えません、それって、笑えませんよ」


 独古はビンカにすがりつく。

 だが、彼は残酷にも無いと言い放ち、己をさらに絶望へと突き落とす。

 独古は思わずカウンターに腕をついて俯いた。

 嘘のような現実だ。頭の中で絶望だけがハウリングしている。どうすればいいのか、どうしたらいいかなんて答えが出なかった。

思考は固まった様に動かない。


「駄目ですよ…、帰らなきゃ、帰らなきゃならないんです。そうだ、僕、まだ、三越先輩に謝れていない。君影だってきっと僕を心配している。…会わなきゃいけないんだ。そうだ、会わなきゃいけない」


 ふと、光が差し込んだ様に頭に自分を大切に思ってくれた人々の顔が浮かんだ。

 そうだ、己は帰らなければいけない。大切な人が、今も独古の帰りを待っている。

独古は錯乱したかの様にビンカへと詰め寄った。

 ママが独古と悲哀の声を上げるが、今の独古にはその声は届かない。


「帰らなくきゃ…、帰らなきゃいけない!!帰る方法を教えてください!僕は、現実に戻らなきゃいけないんだ!!」

「だから、帰れないって言ってんだよ!!」


 左頬を殴られて、カウンターへと倒れ込む。

 熱い衝撃が頬から右半身を襲う。

 殴られた事実に怒りが浸透し、ビンカを睨みつけようとして独古は其処で言葉を失った。

 なおも殴りかかろうとするビンカを止めようとママが非難の声を上げてビンカを羽交い締めにしようとするが、彼は止まる気配が無い。

 心の底からの怒っていると言わんばかりに、目元を引きつらせ憤怒の表情を浮かべる彼は独古の胸倉を掴み、低い声で憤る。


「悲劇のヒーロー面しやがって。いい加減にしろよ、てめえ。お前だけじゃねえんだ!此処にいる全員が、被害者なんだよ!」


 見ろ! とビンカがテーブルを指さす。


「あそこで伸びているライザは現実でバイク屋を経営しているが、もう二年近く帰れずにそのままだ。マイクは奨学金の返済をする為に一刻も早く働きに帰る必要があって、ビザンツは現実に奥さんと娘さんを置いている!皆、帰らなきゃいけない理由を抱えているんだよ!この世界に居たくもないのに居る奴がいるんだよ!なのに、そいつらの気持ちも考えずに自分一人が被害者だと勘違いするんじゃねえ!!」


 ビンカはそう言い放つと独古を突き飛ばす。独古はビンカの事を見上げたまま床へ尻餅をついた。

 怒号に先ほどまでの混乱は消え去っていた。

 自分の言葉ばかりが先だって、周囲の事など何も見えていやしなかった。

 痛恨の念が胸の内で湧き出す。


「あ、ご、ごめんなさい」

「…ママ。俺エリザベスちゃんを部屋に寝かせてくる」


 謝罪も聞きたくないと言わんばかりにビンカは独古から視線を外すと、エリザベスをそっと抱えてカウンターの奥へと消えていこうとする。

 独古はどうすれば聞き入れてくれるかと焦り、その服を掴もうとして、脳裏に仕事場での出来事を思い出した。

 今の状況はあの時と似ていた。


(ああ、また失敗した)


 掴めるはずが無かった。己が彼を傷つけてしまったのだから。

 ビンカはそのままエリザベスと共にカウンターの奥へと去っていった。

 居心地の悪い空気だけがフロアを流れる。

重々しい雰囲気にママが独古を気を遣う様に、そろそろ休もうと肩を叩く。


「あんな事を聞かされれば、誰だってああなる。ビンカも一夜眠れば頭が冷めて、明日には何事も無かったように接してくるさ。

一日、疲れただろう。お疲れ様。今日は遅いし、もうゆっくり休もう。知りたい事はまだまだあるだろうが、もう休もう」


 ママは、ブランケットをカウンターの奥から取ってくると、今日は部屋が無いからカウンターで寝てほしいと独古に提案した。

 独古は何も言葉を出せず、頷きで答える。


「それじゃあ、あたしも上に上がるから。…おやすみ、ドッコ」


 ママは独古を心配そう気に見つめ、けれど、途中で切り替えてビンカ同様に奥へと去って行った。

 フロアが消灯する。

 後には至る所から聞こえる寝息といびきと、月明かりに照らされる宴の名残だけが残った。

 独古は倒れる様にカウンターへと上半身を預ける。

 馬鹿か、自分は。また、無計画な言動で人を傷つけてしまった事に独古は深い後悔を抱いていた。あの出来事から何を学んだと言うのか、それとも、人は簡単には変われらないと言うのか。愚かな自分に笑いしか出ない。


(…これから、どうしたらいいんだろう)


 こんな救いようのない自分の事も。明日の事も、どうすればいいのか分からない。

 涙が零れ、頬を伝う。

 独古は静かに泣きながら瞼を閉じた。

 全部、夢の出来事で、起きたら全てが幻だったらいいのに。

 自分の愚かさに引きつった笑い声を出しながら独古は意識を眠りへと傾ける。

 描けない明日に絶望を抱いたまま、独古は微睡に身体を委ねた。


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