第7話 金鹿亭(2022/01/26 改稿)


 その店は、路地を抜けた先にあった。

 色鮮やかなビル街から離れ路地裏を歩く事三十分。何処かのパイプから水が滴る音のする路地のその先。階段を登った頂上に、薄檸檬色の縦に長い五階建ての建物があった。

 一階には店舗が入っているのだろう。カフェテラスなどで見かけるような赤と白のストライプ柄の日よけが店頭に備えづけられており、その下にベルのついた重厚そうな黒色の扉があった。

 扉には金色の文字で”金鹿亭”と書かれている。これが店名だろうか。

 エリザベスが独古に話しかける。


「ここが金鹿亭。私の下宿先で、街の厄介者が集まる下町風情が素敵な酒場よ」

「厄介者?」

「そうよ!家のない人だったり、仕事を探している人だったりね。かく言う私もその一人。ここは、誰かと支えあわなきゃいけない人が集まる場所なのよ。まあ、そんな風に言ってみたけど、実際はそんな志の高い人なんて集まりゃしないから、昼間から酒を飲みたい飲んだくれが集まる場所になっているんだけどね」


 エリザベスが呆れたように肩をすくめる。しかし、声は明るかった。

 エリザベスはこの場所を良く思っているのだろう。

 改めてお店を見る。


 「・・・・それってなんだかいいですね」


 正直な感想を口にした。エリザベスのような人が好きな店なのだから、本当に素敵なのだろう。

 それを聞いたエリザベスは自分の事のように誇らしかった。


「でしょう!!」


 独古もつられて笑おうとした。

 その時、腹部に痛みが走った。

 思わず痛んだ場所を押さえて身をかがめる。

 今になって象人間にやられた傷が痛むなんて。安心していたからかな、独古は顔をしかめながら思った。

 エリザベスは独古に近づき、服に手を掛けた。


「ちょっと、お腹見せなさいよ」

「え、ここ人前、ちょ、ままま、待って!!」


 独古の抵抗も虚しく、エリザベスがドッコのワイシャツを捲りあげる。そこにあった紫色の痣を見てエリザベスは痛々しげな表情を浮かべる。


「そう言えば、平気そうだから忘れかけていたけど、あんたあの象にいたぶられていたのよね。…治療をしましょう。取りあえず、中に入るわよ」


 エリザベスは独古の服を戻すと、ドアを開けて先に入っていった。独古もそれに続く。


「ただいま、ママ」


 店内は賑わっていた。

 見てわかる範囲で、ざっと十五人ほどの客がいる。

 三人で雑談をする者、読書に耽る者、ギターを片手に弾き語りの演奏を行う者とそれをビール片手に野次を飛ばす者。

 ダイナーともカファテリアとも形容しがたい空間が広がった酒場であった。カウンターの奥で、エプロンを着た恰幅のいい赤毛の女性がグラスを磨いている。茶色の大きい瞳をした、女親分のような雰囲気を纏った女性だ。

 エリザベスが奥のカウンター席へと近づけば、彼女がエリザベスの事に気が付いた。


「ああ、リザ、お帰り!思っていたよりも帰り着くのが早かったじゃあないか」

「仲間探しはまた今度にしたの、それよりママ、此処の席使っても大丈夫?」

「勿論さ。で、連れてきた彼は何者だい?リザが男を連れて帰ってくるなんて珍しいじゃあないか」

「私がこんな野暮ったい男がタイプだと思わないでママ。この子はドッコ、新参者よ。さっき、中央区の方でカツアゲにあっていた所を助けたの。それよりも、ドッコ怪我をしているの。治療をしないと」

「あらまあ怪我しているのかい!そりゃあ勿論良いさ!医療道具はいるかい?」

「良いわ、私がやる」

「そうかい…、それだったら手伝いはいらないね。なら、私は何か食べるものを持って来るさ」


 あんた、ドッコだったかね。

 ママと呼ばれた女性に名前を呼ばれる。

 突然話しかけられた事で独古は緊張で上ずった返事をした。


「ここまで苦労しただろう。今、暖かい物でも持って来るからちょいと待っていな」

「は、はい」


 優し気に微笑んでママと呼ばれた女性は再度に独古に話しかけるとカウンターの奥へと入っていった。見かけよりも暖かい雰囲気の女性だった。

 優しい人なのよと、スツールに腰掛けたエリザベスが呟く。


「ママは金鹿亭の店主で、優しい皆のお母さんよ。誰にでも分け隔てなく思いやりを持って接する事ができる人なの。だから、皆、ママの事が好きでこの店に集まるの。私もママの事が好きよ。…いや、今はそんな世間話をするよりもあなたの治療が先ね。ドッコ、そこに座って。治療をするわ」


 勧められた言葉に従い、独古もスツールに座った。その拍子に、再び痛みが走る。

 アドレナリンが切れたのか、先ほどよりも痛みは顕著になってきていた。

 エリザベスはコートをまさぐり、何かを取りだろうとしている。

 そこで、独古はふと思った。先ほど彼女は自分の治療にあたり、治療道具をいらないといった。でも、道具が無ければ治療はできない。彼女はどうやって治療をしようとしているのだろう。

 独古の疑問をよそに、エリザベスがあったあったと言いながら、あるものを取り出した。

 それは独古も見たことがあるものだったが、今必要なモノとも思えず、首を傾げる。


「ひい、ふう、みい、三枚しか無いわね。でも、痛みを取るくらいならできるかしら」

「えっと、エリザベスさん。お札を数えて何をしているんですか?」

「決まってるじゃあない、これからあんたを治療するのよ」


 エリザベスが取り出したのは紛れもないお札であった。だが、何故お札。ますます彼女のしたい行動が読めなくなった。

 エリザベスが、ほれ、腹を出せと指示をする。

 独古は取り敢えず、従うがままにシャツを捲った。

 エリザベスはお札を軽く握り直すと、そのお札で独古の腹を軽く叩いた。


「札パンチ」


 そう言えば、先ほども札パンチなる言葉が聞こえたが、それって何なのだろうか。でもそんな疑問は、自分の身に起こった変化への驚きで掻き消される事になる。


「え、痛みが軽い!?」


 札束で撫でられた箇所の痣が全部ではないものの、少しばかり治っていた。痛みも

軽い打撲程度のものに変わっている。

 自分の身に起きた超常現象に、独古は開いた口をふさぐことが出来なかった。

 エリザベスはそんな独古を見て満足げに顔をにやつかせている。


「ふふん、褒め称えても良くってよ!」

「いや、え、でもこれどうやって」

「決まっているでしょう。私の”トラウマ”であんたのお腹を直したのよ。まあ、お札が3枚しか無かったらから、効果も弱かったけどね」

「効果?トラウマ?」


 疑問符ばかりを浮かべる独古の後ろの席から、ピューッと口笛が聞こえた。


「めっずらしい、リザが金を使って傷を治してやってる。いつもは渋るのに」

「人が金の亡者みたいな言い方やめてくれる?今は人助けで使っているの!だいたい、アンタたちは私利私欲の為だけにねだってくるじゃない!私はこの力を困っている人以外に使う気はないの!」

「そりゃあないぜ!」


 壁際の席に着いていた若い赤髪の男性はポテトを摘まみながら、エリザベスの返答に大笑いしている。

 独古はただただ、状況についていけずにぽかんと口を開けていれば、肩をポンポンと叩かれる。

 独古は振り向き、其処にいる人物を見上げて口を引きつらせた。

 そこにはドワーフの様な長い顎鬚と巨躯を携えたタンクトップ姿の男性がいた。


「兄ちゃん。あんたもしかして新参者かい」

「え、ええーと・・・」

「ビザンツ!そうよ!ドッコは新参者よ」

「おいおい、まじかよリザ。それはやべえじゃあねえか」


 エリザベスが独古を新参者だと断言した瞬間に食堂の空気が静かになる。

 独古はいきなり空気が変わったことに焦った。

 そう言えば、街にいたときからやたらと新参者という言葉を聞いた。もしや自分の立ち位置は悪い状態なのだろうか。


 (もしかして、自分自身が理解していないだけで、このままここにいたらさっきの像人間の様に襲われるんじゃあ・・・)


 独古の額に冷や汗が流れる。緊張した空気の中で、彼らが口を開く。


「「「そりゃあ、歓迎してやらないとなあ!!」」」


 どっと笑い声が響いた。

 酒を用意しろ!テーブルを寄せろ!

 先ほどまでの冷たい空気は何処へ行ったのやら、食堂にいた者達は皆が我先にお祭り騒ぎだと言わんばかりに騒ぎ始める。

 思わず目が丸くなる。

 

(え、どういう事?)


 場の展開に着いて行けない独古を置いてけぼりに、独古の周囲に人が集まり出す。


「おい、兄ちゃん、あんたどこの国の出身だ?」

「こんな別嬪さんに拾ってもらえるたあ。お前さん、運が良かったなあ!来都のブローカーあたりでも出会ってたらあんた今頃、闇賭博場で奴隷として売り出されていたぜ!?」

「いやいや、その前にアビスフォードの連中に変態させられてたんじゃねえか?あいつらは寂しがり屋だからなあ、すぐに仲間を作りたがる!」

「それよりも兄ちゃん酒が飲める口か!?良い酒があるんだ。せっかくの記念だ、これから生活が大変になるんだから、こんな日くらいぱあっと酒を浴びようぜ」

「ちょ、ちょっと待ってください!情報量が多くて何が何だか!」


 抗議の声をあげるも彼らは独古の声など聞いてやしない。

 酒だ、騒げと、独古をより一層もみくちゃにしていく。

 よく分からないままに酒を注がれを飲まされていく。

酒の勢いも、周囲の勢いにも目が回る。そうして、場が温まりを超え、どんちゃん騒ぎで煮詰まった頃には、独古も程よく酔っぱらっていた。

 何故、こんな事になっているのだろう。

 空の皿を突っつきながら考えるが酩酊した思考ではうまく答えが思いつかない。

 隣のエリザベスに聞こうとしたが、彼女はそのまた隣の男性と勢いよく酒瓶を掲げて飲み比べをしている。

 この世界の事を教えてくれるという宣言は何処へ行ったのやら。恐らく忘れられているのだろう。


「せめて、どうして助けてくれたのくらい、教えてくれないかなあ…」

「そりゃああんたが新参者で、優しいエリザベスちゃんがお前さんを見捨てられなかったからだろう」


 突然の答えに驚いて声の方へと顔を向ける。振り向くと、茶髪の男性が大きな両手を抱えてノシノシと歩いてくるところだった。


「ほらよ、オイルサーディンとカミツレのチーズ焼きだ。よく味わって食いな」

「あ、ありがとうございます!」


 カミツレの匂いが食欲を誘う。ママと同じく目元の優し気な人だった。彼もここの店員さんだろうか。美味しい食事をくれて、自分の事も気にかけてくれた。心根の優しい店員さんなのだろう。

 独古はありがたく、彼から差し出された料理を受け取ろうとした。

 そうして、お皿を受け取った瞬間に、両手首を握りしめられる。

 なんだと思って彼を見れば、彼が独古に笑いかけた。


「エリザベスちゃんに拾ってもらえるなんて夢みたいな事は同じ男として許せん。

だが、エリザベスちゃんがその寛大な慈悲でお前を助けたのなら、俺はエリザベスちゃんの意思を尊重しなければならない。俺は貴様の状況が羨ましくて、妬ましくて、たまらん。が、小指の爪の程度だけだが!お前の事を気にかけてやることにした!

だから、俺はてめえを本当は露ほども歓迎してないんだからな!勘違いすんなよ!」


 彼は晴れやかな笑顔で独古に毒を吐く。イケメンの部類であるだけに、向けられた笑みと言葉のギャップが著しい。

 前言撤回、この場所変な人しかいない。

 男はひとしきり独古の腕を握りしめてから手放した。握られた所が赤くなっている。

 とんだ過激派も居たものである。独古は引きつった笑みを浮かべた。

彼は近くに会った氷入りの2つのグラスにウイスキーを注ぐ。それを両手に持ち、エリザベスとは反対側の独古の隣に座ると、彼はそのうちの一つを独古に差し出した。


「やる」

「あ、ありがとうございます。えっと」


 なんて、彼の名を呼べばいいか分からず口を濁せば、彼が自分の名はビンカだと名乗る。

 彼はテキパキと晩酌の準備を整えると、自身のグラスに檸檬を絞る片手間に、独古が置かれている今の状況を聞いてきた。


「ここがどこだが、エリザベスちゃんからは聞いたか?」

「いいえ、まったく聞いていません。ここに来れば教えてくれると仰っていたんですが…」

「酒を飲まれたエリザベスちゃんは、すっかりお前の事を忘れられちまったと」


 まったくいつも可愛い子だなと、ビンカが暖かい目でエリザベスを見る。

 まあ、ほったらかしにされている独古からすればたまったもんじゃあないのだが。


「…今夜のうちに教えて頂けていれば、明日のことを少しは考える事が出来たのに」

 何も分からない状態では、始める事すら出来ない。独古が途方に暮れていれば、どういう魂胆か、ビンカが「俺が代わりに教えてやろうか」と提案をしてくる。

「はい?」


 思わず聞き返したのも許してほしい。エリザベス過激派の片鱗を見せた彼が敵に塩を 撒くような提案をしてきたのだ、驚くのも無理は無いと言えやしないか。

 ビンカはそんなドッコの態度をして、お前絶対今失礼な事考えているだとうと口元を引きつかせた。


「これもエリザベスちゃんの為だ。俺が先に話しておけば、明日、エリザベスちゃんがお前の為に割く時間が減るだろう」

「あ、僕がエリザベスさんと一緒にいる時間を減らす為の提案だったんですね」


 独古はそれを聞いて心底安心した。言えば彼の怒号が飛んでくるのは確実なので心の中で留めるのみにしているが。

 ビンカは独古の沈黙を了承と見なしたのか、何処から話すか、と宙を仰ぎながら独古への説明を考え出した。指でグラスを数回叩き、やがて、彼は話す内容を整えた様で独古の方へと向き直る。

 独古は唾を飲んだ。ようやく知るのだ、ここが何処で、自分の身に何が起こっているのかを。緊張で拳を握りしめた。騒がしい酒場の中で、ビンカの手元のグラスの氷が溶けた音がやけに鮮明に聞こえる。

 世界が今、開けようとしていた。


「夢の中にある街、ゴールドラッシュ。それがお前さんが今いるこの場所の名前だ」

「夢?」

「そうさ、お前さん、今夢を見ているんだよ」


 開口一番、ビンカはそう口にした。

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